波間の天秤

谷樹里

第1話

 一見、いつもの波が漂う機渦海(ききかい)だった。

 しかし深海のざわめきを隠すことはできない。

 眼光鋭く水平線を眺めている青年は虚無的に白銀のリヴォルバーを腰から抜き、弾の込めていないシリンダーを撃鉄で撃つと、いきなり辺りは完全に静寂に包まれた。

 彼の狙うディオビ海商の輸送船団が、もうすぐここから一キロ前後にある航路を通る。

「そんなに言うならリーリカムには、ディビオを襲ってもらおうか」

 港の会議室で、ティリイグに言われた。

 迷いはない。自己の主張を通すために、機渦海諸島と大陸間での交易大手の輸送船団を襲う。

 海面からわずかに空中に浮いている突撃艦の上に、片膝をついて時間を待った。

 リーリカは強化繊維でできた曲線の絡まった刺繍の目立つ旧コーカル帝国風衣装を着ていた。黒系統で袖と裾は広めで大きい。シャツもズボンも。その上から襟のないコートを着ている。

 やや長身で均衡がとれた痩せぎすなしなやかな雰囲気の体形をしている。髪は灰色で前髪が長く、後ろは借り上げていた。

 統制下にある戦力は、突撃艦六百隻丁度。

 艦と言っても、全長二十メートルほどのものだ。

 ディビオの大規模輸送船団は、数か月に一度の一大イベントと言って良い。

 護衛の戦艦十二隻、巡洋艦三十五隻、駆逐艦五十隻、そして本体の輸送船百隻。

 戦艦クラスの全長は百五十メートル、砲百二十門。

 相手の総砲門数は約大小四千門。

 リーリカム艦隊の砲は一艦に七門。四千門とほぼ同数だが、これは全て小型砲だ。駆逐艦ならまだマシも、巡洋艦の装甲すら破壊できる威力ではない。しかも、商船といっても武装船である。それぞれ砲六十門に装甲は巡洋艦並みだ。

 加えるとリーリカムには補給物資が存在しない。

 五回、砲を撃てば弾切れである。

 操縦は間接神経網で共鳴させた無人、稼働も本人の体力の限界まで。

 共鳴を使った小型艦は、機渦では独立海商の代表的操縦方法だった。

 当然、大陸側の艦は海面に浮いているし、操縦に二十人から百人を数えるものもある。

 彼らに海賊と言われている独立海商の艦は海面から三十センチほど浮いている。空気と海の中にある機渦海独自の機片泡(あわ)を利用しているのだ。結果として、大陸艦隊が最大四十ノットの壁を越えられないところ、機渦商の艦は二百ノットまで軽く上げることができる。

「……楽しいねぇ、こういうの」

 いつもの口癖がでた。ぼんやりと海面を眺めるリーリカムはつい、ヘラリと口元をゆるめる。

『何考えてんの? 死ぬ気?』

 突然に頭の中で声がした。

 艦の索敵網を探ると、後方南南東方面に小型艦の群れが確認できた。

 声の主だ。

 トーポリー。ティリングの部下で、主に砲艦の指揮を担当している。

『何しに来た?』

 呑気としか取れない口調で応じる。

『まさか本当にやるとはね。というか、あんたらしい。だから止めに来たに決まってんじゃん』

『いつでも張る命無くて海賊やってられるか。で、艦隊引き連れてか?』

『この海域はコリィドットの支配下だし』

 確かにティリング統下ではない海域では、間接神経系の繋がりがやや低下している。

『大体、急すぎるんだよ、提案が』

『そうかねぇ?』

 ワザとらしくとぼける。

『話がいつもの言葉足らずだ。詳しく聞くから、一旦ここは母港に戻ろう?」

 リーリカムはその気もないのに敢えて黙った。

 彼はティリングに、大陸の三つの港に建設中の間接神経塔について詰問されたのだ。

 間接神経塔は、機渦海を統制下に置くための基本システム設置建築物だった。

 三つの塔はそれぞれ誰も聞いたことがない管理者の名前になっており、工事資金そのものがティリング艦隊から支払われるようになっていた。

 この勝手な行動に、ティリングは激怒したのだ。だが、リーリカムは弁明を避け、今ここにいる。

 トーポリー艦隊が水平線に合われるのを視認した。

 索敵ブイが砲艦五百隻、工築艦百隻、突撃艦百という数を報告する。

 リーリカムは一瞥して、無風状態だったはずなのに前髪が軽くなびいたことに気付いた。

『……俺の横流し疑惑は? 不正資金は?』

 ティリングは直接指摘してこなかったが、会計のカアゥが身元の金の流れを調査しているはずだ。

『出てきてない。あんたは一切、自分のところにウチの艦隊から抜いているモノがない。他の連中は多かれ少なかれやってるというのにね』

『……あいつに文句言われないとは不満だな。俺の潔白は一応証明された訳だが、何か一言ほしいもんだ』

 リーリカムは鼻を鳴らす。

 基本、リーリカムはティリング艦隊で嫌われていた。

 仕事も何もかも、独断専行すぎるのだ。

 だがティリングと長い彼は、痴話喧嘩と言われる衝突を繰り返しながら重用されていた。

 艦隊が近づいてきて、彼と合流した。

 艦橋の上に立っているのは、赤毛の右側を長く垂らし耳にピアスを多数開けた、細身で小柄な少女だった。

 リーリカムと同じく、旧機渦海の帝国風の青い服を着ていた。

 彼女の乗った旗艦が近づいてくる。

「ようこそ」

 笑みを浮かべた彼は、北北東を力の抜いた片腕を上げて指さした。それは船体群というより、一個の要塞だった。

「……来やがったか」

 トーポリーが忌々し気に呟いた。

「期待しているからな」

 ここぞと楽し気な声を出し、リーリカムは麾下の艦たちを三角型に配置してエンジンに点火する。

「はぁ? ちょ、待て待て!」

 トーポリー慌てたようにコックピットに入った。

 リーリカムの艦隊が整然として前進を始めた。

「馬鹿野郎!」

 トーポリーは砲艦を展開させた。

 背後での彼女の動きを気にもしていないかのように、リーリカムは速度を一気に上げた。

 工築艦が続く。

「マジかよ……一気に突っ込む気なの?」

 トーポリーは呆れ気味な溜め息まじりの声をもらす。

 ティビオ輸送船団から警告の旗が昇った。

 それを、無視して六十七ノットを出す。

 壁のように巡洋艦が並び、その後ろに戦艦が輸送船を護るために動いた。

 鐵鋼の城塞だ。

「もう、やってられない!」

 半ば自棄な声が伝わった。

 トーポリーの砲艦は彼女の持つ方位盤からの指示通り射撃を始め、リーリカム指揮下の突撃艦を援護をする。

 ティビオ輸送船団の護衛艦隊から一斉の砲撃が始まった。

 リーリカム艦隊周囲に水柱が回廊のように上がる。

 トーポリーは気分とは別に、敵艦の砲塔に正確な集中砲火を行う。。

 爆発が巡洋艦隊のあちらこちらで起こった。

 次にトーポリーはリーリカムの援護のための弾幕を張る。

 一直線に突撃を敢行したリーリカムは一キロ圏内に入ったところで天井に向けてリヴォルバーの引き金を引いた。

 麾下の百隻を巡洋艦が造っている壁の手前で、重力を捻じ曲げるかのように強引に水中に潜らせた。

 機渦海の水は重くなっていた。

 リヴォルバーの効果だ。

 水面が一気に海の斜面を造る。

 巡洋艦の壁の一部が傾き、崩壊した。

 トーポリーもここぞと射撃式装置の方位盤を使って、斜面から逃げ行く艦に集中砲撃を始めて一艦ずつ確実に沈めてゆく。

 現れた隙間に向かってリーリカムの突撃艦がさらに速度を上げる。

 戦艦の艦首と艦尾の間を横切ると輸送船団が見えた。

 トーポリーの砲撃が相手護衛艦の意識を集めている。

 商船団の旗艦に、合成金属でできたリーリカム艦隊の衝角が幾隻も船体に突き刺さった。

 正面ハッチが開き、リーリカムを先頭にバイオ生成された白兵戦特化型レプリカントたちが船内に侵入した。

 商船は警戒音をたてて、陸戦兵たちを防衛に動かす。

 リーリカムは腰に拳銃を二丁ぶら下げて第二甲板らしい通路にでると。同じく

 射撃の弾が乱反射的に飛び交う中、悠々とのんびりした歩調で真っすぐ操縦室に向かう。

 途中、陸戦兵から何度も銃口を向けられるが、間接神経網を使って彼が統べるレプリカントで先に撃たせる。

 彼は場違いなまでにぼんやりと歩きつつ、同時にレプリカントを指揮していた。

 操縦室のドアを空けた時、目が細くなる。

 席に座った四人の男たちは、それぞれ床に倒れたり椅子にもたれかかっていた。

「待ってた」

 計器類と正面ガラスを背に、夕刻の光りが漏れていた。

 ショートカットにした髪には青いメッシュを入れ、二回りは大きなロングシャツにハーフパンツ。脚が伸び瑠先端には軍靴。

「……遅い」

 氷のような視線。

 小柄で細い十代半ばの少女が、だらりと腕を落として計器類の上に座っていたのだった。

 冷めきった眼で。

 リーリカムはふと見覚えがある気がした。そんなはずはあり得ないというのに。

「……おやまぁ。楽しいねぇ、こういうの」

 口調とは逆の鋭い表情でリーリカムは銃で彼女に狙いをつける。

「これはおまえがやったのか?」

 少女は、やや自虐を含んだ笑みとともに頷いた。

「四人も殺しちゃって、これからどうなるやら」

 虚無と言っていい口調だった。

「本当だったら、こいつらに操縦をまかせたかったんだけどなぁ。大事な人質にして」

「人質ならここにいるでしょ?」

「だから誰だよ、おまえ」

「名前ならシーウでいい。この船の操縦任せた。ああ、あとその拳銃、弾入ってないのモロバレだよ」

 しばらく黙っていたが何も変わらないと思ったリーリカムは通信機のマイクを手にした。

『……全戦闘を中断せよ。こちらはシーウの身柄を確保した。我に従え』

 全艦に声が響き渡る。もちろん商船団にもターポリーにも聞こえるように。

 両軍は突然に大人しく砲火を消し、海は静寂を取り戻した。

 リーリカムは醒めた頭の片隅で感心していた。

 何者だ、このガキは?

「ああ、あとあんたに聞きたいことがあったんだ」

「あ? 何だよ?」

「あんた、リーリカム?」

「そうだけどね」

 彼は操作パネルが埋め込まれたところにある座席に座った。

「ティリング艦隊で最も知的で凶悪な海賊の一人……」

「失礼な。噂は噂だ。真に受けない方が良いな。大体、カッコ悪いだろ、その代名詞」

「俺をティリングの元に連れて行ってくれ」

「話聞いてるのか? 大体、何も事情も知らないでハイというと思ってるのかよ?」

「なら、しばらく手伝って貰うという形で」

「金がでるんなら」

「誰が渡した艦隊を走行中だと思ってる?」

「知ったことじゃない。これは俺の指揮する艦隊が奪い取ったものだ」

 冷淡に応じつつ、艦隊のデータを確認する。

「……知ったことじゃない? 貴様なにを勘違いしてる? 俺を誰だと思っている?」

「どこの不良少女だ? どうせどっかの良いとこのが甘やかされて下手な遊びでもしてせいでここにいるんじゃねぇ?」

 少女はニヤリとした。

『当たらからずも遠からず。この子はそうだろうな。だが、今はシーウと呼べ。真名はタラント候だ』

 いきなりの自己紹介だった。

 それも間接神経網を使った。

 だが、リーリカムには効いた。。

「……タラントート……機渦海域に同名の奉られた神がいたが……」

『……そうだな。分かったなら、言う事を聞け』

 素早く頭を回転させたリーリカムは、一度鼻で笑う。自虐的に。

「楽しいねぇ」

 ニヤニヤした顔の彼は、航路を変えた。






 旧コーカル帝国が海に沈んだ隣の大陸は、イルファン朝王国が支配している。

 首都の近くにある港街ヴァーリィには旧コーカル帝国人たちが集まっている。正確には押し込められている。街並みも、狭い空間に違法建築物が塔のように乱立して道路もまるで路地の迷路と言って良く、治安も悪い。

 そんな一画に王国が認めたルグイン研究所が建っていた。旧名ルグイン総統府。

 ルグイン研究所はそれ自体が一つの街そのものである。

 旧コーカル帝国が大陸への出先機関として一個の都市そのものを支配していたのだが、その旧大陸が沈没した今や、イルファン朝の顧問機関として生き残っていた。

 その地理・戦史課主任には、新たにイブハーブ准将が就任している。

 二十八歳。長身でやや垂れ目。フロッグ・コートに灰色のスーツという制服姿。研究所の地理・戦史課は軍事顧問としての役割もあるために軍籍である。

 史料が机の上に乱雑といっていい散らかし方で放っておいている。

 椅子にだらりと座り、ぼんやりと天井のシーリングファンを眺めていた。

 ティムサ提督の輸送機関が襲われたと報告を受けた時、ただ単にやっぱりと言っただいけでもうティムサ提督もイルファン朝などもどうでも良かった。

 彼は別の男を提督として推していたのだが、主張が認められなかった為に完全にやる気を無くしていたのだ。

 自分の栄誉などには関心はないが、主張は認められたいという欲求だけは大きい。

 ルグイン研究所そのものには愛着はある。名前だけでも研究所、そして顧問機関である。

 ただ、存在を否定するようなやり方をされるのならば、向かう先への興味・関心というものの意味すら問いたくなるのだ。

『その態度には問題がある』

 頭の中に女性の声が響く。

『そうですかね?』

 どうでもよさそうに、研究所所長に返事をする。

『実はおまえ、悔しいのだろう?』

『ウチにはやることが多いのでねぇ。要機軸(ようきじく)の研究もありますし』

 要機軸とは、先代の地理・戦史課課長が残した機渦海の様々な記録である。それをまとめれば、旧コーカル帝国そのものの研究になる。

 旧コーカル帝国は五港という主な港を残して沈んだ。

 その五港も今はどこにあるかわからない。

『好奇心が強いのがおまえの実力を発揮できる元だろうがね。負けず嫌いにもほどがあるなぁ、相変らず。ところでお客が来ているぞ、コーヒーか紅茶でも準備しておけ』

 面倒くさいと思い、無視して椅子に座ったそのままで相手を待った。

 十分もしないでドアがノックされる。

 課員が開けると、スーツにリボンタイという二十前後の女性が立っていた。

「……ああ、おまえか。まぁ入って好きな椅子をどうぞ」

 イブハーブは呑気な声を放り投げてやった。

「イブ、すまなかった」

 第一声で、彼女は頭を下げてきた。

 一瞥をよこして、つい失笑する。

「おいおい、一国の宰相が簡単に卑屈になるな」

 イルファン朝廷の宰相ウークアーイーである。

 同時に、小さい頃は近所に住んでいた少女であり、暇があれば様々な遊びをしていた仲だった。

 ウークアーイーはイブハーブの近くに椅子を持ってきた。

「今回の人事上の事故は私の責任だ。それで……進退を決めて会いに来た」

 聞いたイブハーブは、溜め息をついた。

「一回や二回のミスで政治やめられたら、こっちもたまったもんじゃないんだわー。ミスも合理化して次の手を打つのが政治ってもんだろう?」

「だが、私はあんたの助言もきかずに事件の原因を作った」

「なら、結果良くなるようにしなよ?」

「わからないんだ。もう、どうしたらいいのか」

 ウークアーイーは椅子の上で小さくなっている。

「……今回の件で、おまえの責任を問う声がある。巻き込んでしまった」

 イブハーブは「あぁ」とだけ、納得した声を出す。

 何事かと思えば。巻き込んでしまったから職を辞めるという、二重の脅しで解決策を求めてきたのだ。

 ひねくれたもんだなぁと、嗤いを押さえて軽く考える。

 悪戯心がもたげた。

 ぼんやりと思考を巡らしてゆくと、個と個の複雑に絡んだモノがわいてきた。

「……機渦海の海賊たちへの組織的な討伐軍を動かすんだ。今の王には退いてもらう。戴冠式を行って新王の名で討伐するんだ。ただな、討伐軍は何度失敗してもそれを認めないで続けろ。途中撤退は認めるな。金はあんたのバックにいる会社から出させろ。そして借金という呪縛で大企業をまとめて朝廷の為に動かせて、自分たちの朝廷という認識を持たせろ」

「ま、まて……それはいくら何でも過激すぎないか? 上手く行くとも保障はない」

「これ以外におまえが権威を取り戻す方法はないね。やるか、死ぬかだ」

「死ぬ!?」

「おまえみたいに地盤のない成り上がりが、権力を手放したらどうなると思う?」

 困惑気に一瞬、黙る。

「現王には恩が……」

「政治屋さん相手には恩も仇もないよ。奴らは利害で動いてるだけの生き物だ。それにこの案なら、地盤を企業群に持つことができる」

 ウークアーイーは眉間に小さな皺を寄せた。小さく肩が震えている。

「……手伝って、くれないか?」

「あー、 ああ。任せな」

 思案気に窓の外を眺めながら、適当な口調でイブハーブは言った。

 なるほどなぁという気分である。

 ウークアーイーは、万が一の時の犠牲の羊を用意したかったらしい。

 どこまでも人を巻き込む。

 昔はこんなな性格だっただろうか?

 何にしろ元は自分の悪戯心が原因だ。

 こうして人は自分の首を絞めるのだと、イブハーブは自嘲する。。

 ただ、そんな場合なら場合で、考えがあるというものだ。

 この本当に案を実行に移すとき事実上、ルグインを巨大化させて朝廷から弾かれないようにする。

 彼にとってこの事実上のクーデターはルグイン研究所の権威を上げて、旧コーカル帝国民の地位向上にも繋がる積年の願いと言って良い。

 協力は十分にするつもりだ。

 狭い地域に押し込められた彼らは、このままではまるで将来の見えない状態にあった。

 イブハーブは正規の教育と訓練を受けて研究所に入ったものとは違い、先代の所長であるファガンという人物に拾われ、抜擢されて地理・戦史担当の第九、課の職員になったのだった。

 ファガンはある日突然、消息をくらませた。

 諜報部門の研究所第三課に捜索依頼をしているが、未だに足取りは掴めない。

 五港候という存在と何か関係があるという噂だが、五港候に関しての情報も乏しい。

 何しろルグイン研究所は長いこと冷や飯を食わされて資金的に常に赤字状態なのだ。

 おかげで大陸の闇組織と関係があると噂され、スキャンダル好きな民衆と官僚・閣僚が真に受けているために、さらに公の活動は縮小されつつある。

 ただイブハーブはここでの呑気で悠々自適な生活も悪くないとも思っていた。

 だが、近いうちに変わるざるを得ないだろう。

 自らの軽率な思い付きで幼馴染を弄ってしまったツケだ。

いまさら冗談だとも言えないなら、なるようになるだろう。

 こういう無責任なところが彼にはあった。

 そしていつも結果を鬱陶しがるのだ。

「俺も貿易商になろうかなぁ……」

 呑気に呟いたが、目の端に要機軸の断片の紙切れが入って来た。

 誰も己から逃れることはできない、と頭のどこからか言葉がわいてイブハーブ鼻を鳴らした。


 




 ウークアーイーが帰ると、イブハーブは一人の回線をつないで一人の人物を呼んだ。

 今度は大陸の慣例通り、課の扉を使用人のメイドが開けた。

 立っていたのは、どこかイブハーブと通じるものをもっていたのは、小柄で悪戯っぽい雰囲気をしたシーイナという少女だった。

 王国海軍の少将で、彼より階級が上だがお互いの態度は完全に真逆だった。

 旧帝国の参謀本部と言って良かった機関と、現職の軍の人間という複雑な関係のためだ。

 彼女は軍服を完全に自分用に改造していた。ミニスカートの下にハーフパンツを履き、スーツっぽさを出したジャケットは青を基調としている。

 礼をしてお茶を用意していたメイドに、結構ですと丁寧に断りの声を掛けてさがらせる。

「ちょっと急でしたねぇ。どうかしましたか?」

 どこかセリフを読むかのような言い方。

 目からは表情が見えず、その分、声質に感情が乗っている。

「ああ、今度機渦海の海賊討伐をするんだが、総指揮は君に執って貰いたい」

「またも急ですねぇ」

「以前、君を推薦したことがあるんだが、却下されててね。私は君を買っている。フリーハンドだ。全て任せるぞ」

「とか言って、自分は自分で動くんでしょ? ファガンの件もありますし」

「ああ、バレた?」

「見え見えです」

 シーイナはケラケラと笑った。

「まぁあれだ、討伐軍だけじゃファガンは排除できないからなぁ」

「昔の上司を追い込もうなんて酷い人ですね、あなたは」

「ことの話は全て彼から始まってるからね。要機軸なんてモンを造らなきゃ良かったんだ、あの人」

「戦略面のことはお好きに居どうぞ。私は戦術面でのフリーハンドがあればそれでいいので」

「お見通しだねぇ」

 イブハーブも釣られて笑う。

 さてとと言って、彼は椅子から立ち上がった。

「どこ行くんです?」

「飲みにね。たまにはやけ酒じゃない酒を一人で飲みたいんだ」

「どうぞ、ご自由に」

「ああ」






 ウークアーイーのおかげで考えを変えていた。

 外に出ると研究所付きの使用人と護衛が車で待っている。

 皆に閑をやり、自分の運転で寄り港に近いビルに入った。

 外観は薄汚れている古いレンガとコンクリートを使った、六階建のものだった。

 最上階までエレベーターで昇ると、十九号と書かれた部屋に入る。

 ここには、大陸風の使用人が一切いない。

 中は窓にサッシが降り、机が三つとぎっしりと詰め込まれた本棚が一つあるだけだった。

 大型封筒が置かれている机につき、中身を取り出す。

 イーベア提督艦隊襲撃報告と、一枚目に書かれていた。

 ページをめくって、戦闘経過を読み込む。

「ふうーん、なるほどねぇ」

 要は、艦列で作った防壁を砲撃の援護の元崩し、一点突破されたのだ。

 相手は小型艦とは言え、恐るべき速度と集中により大陸海軍が護衛をしていた輸送船を奪取したのだ。

 他の事例からも推測するに、彼らは敵戦力の撃滅という戦略を常に持っている。対して、イルファルン朝の海軍は、武装したシーレーンを確保するという方針を貫いてきた。

 海軍戦略的には、海賊たちは陸軍のものを使用して成功してきている。

 何しろ、彼らが根拠地としている五港は常に移動したり存在を消したりするという、厄介なものだ。

 加え、間接神経網と呼ばれるものと、彼らの白兵戦で主役になっているレプリカントである。

 大陸ではいずれもロスト・テクノロジーだ。

 しかし、要機軸にはそれらしき記述がある。未だ未研究のものだが。

 そもそも機渦海の旧コーカル帝国の資料が大陸には圧倒的に足りない。

 イブハーブは正規の教育を受けて研究所に入った者ではなかった。

 先代の課長であるファガンがいきなり課に配属したのだ。

 腐臭のする路地裏生活は身に染みるほどに記憶にある。

 彼は事実上のクーデターと機渦海討伐を成功させるつもりになっていた。

 狭い地域に押し込められた旧コーカル帝国人をイルファン朝の同じ人間として、いや、より権力と能力があると認めさせるのだ。




 


 思案しつつ、ビルを出て再び車を出す。

 港そばにあるの建物だ。

 十二階建てだが、吹き抜け状になっており、室内は草木で一杯だった。

 ビルそのものが山を覆った建物なのだ。

 ここは要機軸にも書かれた主機(しゆき)という「神のように状況を造る状システム」を内蔵させた、間接神経網の中心の一つだった。エンジンと言って良い。

 これと同じものが、機渦海には五基ある。

 五港との関連性を疑わせていた。

 あそこには巨大な主機がそびえていたという。

 イブハーブは主機をチェックした。

 やはり、稼働力が跳ねあがっている。

 間接神経網があらゆるところに侵入して、人間を取り込もうとしている。

「これは……懐かしい人が来たものです」

 主機司という、管理人が現れた。

 イブハーブは断片の集まりである要機軸のページをめくる。

 アーランリと記された項にチェックを入れる。

 旧コーカル帝国で信仰されていた神の一柱である。

 間接神経網に巣食う、情報塊だ。

「この主機の稼働は何時頃から?」

「んー、去年の終わりぐらいでしょうか」

 主機司が答えた。

「今は主にどのような記録が多いでしょうか?」

「機渦海の主機と頻繁に情報を交換しています。まるで、独立した知能の一つのようです」「成長と言って良いでしょうか、これは」

「いえ、目覚め、ですね。あまり良い兆候とは思えませんが」

「例えば?」

「信仰する者たちの帝国が無くなった以上、そこで奉られていた神は手枷足枷を外して野放しにされた状態です。異形が勝手に動き出すかもしれません」

 異形とは情報塊が人の意識の中に現れる通常とは違う現象を言う。

「動くとして、どのようになるか予想はつきますか?」

「流石にそこまでは」

「そうですか」

 イブハーブは建物から出て、空気を思い切り吸った。

 わずかに潮の香りがする。

 とにかく、要機軸に書かれている神である。

 何かの影響は起こすはずだった。

「ファガンさんよー、あんたどこにいるんだよ……」

 イブハーブは呟きでぼやいた。

 計画の不確定要素が、唯一ファガンという人物だったのだから。

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