第39話「レイデュラントの寵児たち」

「――兄貴、行っちまったよ。これでよかったのかな……親父、お袋」


 ラディカ・レイデュラントは王城近くの建物の屋上で、空を見上げながらつぶやいていた。

 それからしばらくして、竜影機関からの術式通信がラディカの元に届く。


【国内に敵勢力の侵入を確認した。総員、迎撃せよ】


 短い命令文。

 そこに生死についての縛りがないことから、すでにその敵の裏はとれているのだろう。

 

「――そうか」


 竜影機関の敵に対する基本方針は、抹殺である。

 情報を吐かせるために生きて捕らえる必要がある際には、必ずその旨が伝達される。

 だから――


「今、オレは気が立っている。楽に死ねると思うなよ」


 ラディカは後方に感じた気配に対し、そんな言葉を吐いた。


◆◆◆


 ――攻撃性の魔力のうねり。


 ルナフレア・レイデュラントが人ごみの中でそれを感じ取ったのはドラゴン・レースがはじまって間もなくのことだった。


 ――数は五。一人じゃないってことは計画的なものね。


 己の感覚器官のみで周辺の魔力のうねりを感知するという芸当は、普通の人間にはできない。

 ルナフレア・レイデュラントは当家はじまって以来の魔導の天才であり、十三歳にしてもはやその才覚は常人の枠を越えようとすらしていた。


 ――来る。


「――〈炎の翼〉」


 ルナフレアは己の術式範囲に人がいないことを確認し、背に炎の翼を生成した。

 続けて、飛翔補助を兼ねる魔術を重ね掛けしてそのまま天へと舞い昇る。


「――いた」


 燃え盛る炎の翼を背に生やした人間が急に空へ飛びあがったのを見て、周囲の人々は驚きながら空を見上げている。

 ルナフレアはそれを上空から見下ろし、その人ごみの中にちょうど五人、自分に向けて両手を掲げている人物を発見した。


「その程度で私を害そうとするのね。なめられたものだわ」


 平時、学園ではおしとやかと言われ、家では兄たちに不器用ながら甘えようとする少女の姿はそこにはない。

 むしろ、『敵』を見つけてからのルナフレアの表情と姿は、一介の武人と言われてもなんらそん色ない迫力をたたえている。

 彼らは見誤っていた。

 ルナフレア・レイデュラントという小さな少女の本質を。


「私のことまで狙おうというのだから、フレデリクお兄様やラディカ兄様、そしてミアハお兄ちゃんのことも狙っているのでしょうね」


 ルナフレア・レイデュラントには自分の身を焼きかねないほどの後悔がある。

 そしてその後悔は、やがて彼女を前に進ませる爆発的な推進剤となった。


「私の家族に手は出させない。もし、手を出したら――地の果てまで追いかけて殺してやる」


 彼女こそ、のちに〈至高の魔術師〉と呼ばれ、ドラセリアを表舞台から牽引した傑物である。


◆◆◆


「あ――」


 遠くにドラゴンレースの開幕を告げる花火の音を聞いたミアハは、ゼスティリアのいる森をいったん後にしようとしていた。

 そして、そんなミアハのもとへ風がとある知らせを持ってきたのもちょうどその時だった。


『ミアハ』

「うん、わかってる」


 ゼスティリアが面倒くさそうに鼻から息を漏らしている。


「わかってはいるけど、さすがに少し緊張するな」


 ミアハは腰に履いている刀を外し、それを杖代わりにして立ち上がる。


『どうする。必要であれば私がやるが』


 一応取引相手だしな、とゼスティリアが言う。


「ゼスティリアはなにもしなくていい」


 しかしミアハは首を振ってそう答えた。


「これはたぶん、おれたち人間の問題だ。ゼスティリアがドラセリアに住まう竜ならまだしも、そうでないなら首を突っ込まなきゃいけないいわれはない」


 ミアハは片足で立ったまま器用に鞘から刀を抜く。

 鞘はそのまま杖代わりにして、片手でぶらりと抜き身の刀を持った。


「早く出てきた方が良い。竜が苛立っている」


 その言葉はゼスティリアに向けたものではない。

 自分に向けて殺気を向けている茂みの影の人物に向けたものだ。


「――〈竜憑き〉、ミアハ・レイデュラント」

「そんなことを言われるのも久々だ。案外ヨルンガルドも下世話な話が好きらしいね」


 茂みから姿を現したのは黒い戦闘装束に身を包んだ男だった。

 片手に短剣を握り、もう片方の手はだらりと自由にしている。

 一瞬袖の隙間から刺青のように刻み込まれた術式紋様が見えて、その男が魔術を使うために片手を自由にしているのだということをミアハは見抜いた。


「なぜ私がヨルンガルドの所属だとわかった」

「いや、今知ったよ」

「っ、貴様」


 ミアハは自分のかまかけが思った以上にうまくいきすぎて思わず笑いそうになる。

 それが向こうもわかったのだろう。目つきを鋭くして短剣を構えた。


「それで、おれを狙った理由はなんだろうか。レイデュラントの勢いを止めてドラセリアを衰退させるため? それともこの眼?」

「――どちらもだ」


 じり、と刺客の男が一歩を踏む。

 後ろに見えるゼスティリアをいまだに警戒しているようだが、目をつむって動こうとしないその姿を見て、決心を固めたようだった。


「そうか。じゃあ、おれの兄妹にも刺客を送り込んでるんだろうね」


 対するミアハは大きなため息をつく。


「じゃあ、やめだ。これじゃあ物足りない」


 そういって刀を放り投げたミアハの雰囲気が急に重苦しくなったのを、目をつむっていたゼスティリアは感じ取った。

 そして――


「おれの家族に手を出してまともな死に方ができると思うなよ」


 怒気。

 刺客を前にしてどこか飄々としていたミアハの表情が一瞬にして険しくなる。

 その時どこからか風が吹いた。


――」


 ミアハが小さくつぶやく。

 その体からおぼろげな青い光が湯気のように立ち昇った。

 それは、魔力のような光だった。


「っ、貴様は魔力がないと――」

「そう、これは魔力じゃない。お前たちの方がよく知っているだろう」


 近頃ヨルンガルドが実験を推進している禁断の技。

 命の力を魔力に代替する――


「刻め、〈風の牢獄〉」


 ミアハが告げた直後、見えない風に全身を切り裂かれた刺客の叫び声が、森に響いた。

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