35.ばらと毒虫(2)

   Ⅲ


 数日後、主人は、男奴隷たちに新しい仕事を命じました。

 それは、山のはずれの洞窟どうくつから、日干しレンガを作るための土を運び出すことでした。

 奴隷たちは、ざわつきました。

 その洞窟は、「呪いの洞窟」だと言い伝えられていたのです。

 人を食う魔物が住んでいるとか、呪文が聞こえるとか、魔法使いがゆくえ知れずになったとか、入ったら生きて出られないとか、おそろしいいわれがあるのです。町の人々は、だれもよりつきません。

 ふだんは主人にさからわない奴隷たちですが、こわがって洞窟に入れません。

 主人は「店を大きくするためにレンガがいるのだ。だれか入って、中の様子をしらべてこい」とどなりました。

 洞窟をほるときは、岩くずれが起きないか、空気があるかどうかなど、安全をたしかめるのです。

 そこで、前に出た者がいました。

 あの若者です。

「おれが行きます」

「とちゅうで逃げ帰るなよ。たしかに奥まで行くんだぞ」

「はい。みんな、魔物なんかいないさ。待っていてくれ」


 若者は、ロウソクを手に、暗い洞窟に入ります。

 その背中が見えなくなり、足音も聞こえなくなりました。

 主人は、念のためもうしばらく待ちました。

 それから、奴隷たちに見られないように、こっそりと導火線どうかせんに火をつけました。

 導火線は、洞窟の中にのびていました。

 じつは、主人が、あらかじめ火薬をしかけていたのです。

 火薬が爆発しました。

 地ひびきとともに、山がくずれます。

 洞窟の入り口は、埋まってしまいました。

 奴隷たちがほり返しても、土があふれ出て、小さな穴もあけられません。

 主人は、あきらめて帰るように言いつけました。

 山くずれは事故ということになりました。

 帰り道、奴隷に引かせたラクダの上で、主人は考えました。

 やつは、土に埋もれて死んだか、生き埋めだ。生きていたとしても、飢え死にするしかない。これで、じゃま者はいなくなった。あの娘は、わしのものだ。

 ひげをなでて、にやりとほくそ笑みました。




   Ⅳ


 いっぽう、若者は、ごう音と地面のゆれに、ひどくおどろきました。

 しまった! 山くずれだ!

 風がロウソクを消します。

 手さぐりで、来た道をもどります。

 しかし、光は見えません。

 出口は、くずれてなくなっていました。

 生き埋めだ!

 暗やみの中、両手で土をかき出しました……


 何時間がたったでしょうか。どれだけ土をほっても、ほるそばからくずれてしまいます。

 土、土、土とやみばかりです。

 どこからか空気が流れているようで、息苦しさはありません。しかし、水も食べ物もないのです。

 若者は、最後の希望をかけて、洞窟の奥に進むことにしました。


 岩かべに手をついて進んでいくと、ほのかな光が見えました。

 それは出口ではなく、光るキノコでした。

 あわく、青白い光。

 奥に進むほど数がふえ、うすぼんやりとあたりが見えます。

 やがて、洞窟のいちばん奥にたどりつきました。

 そこは、行き止まりでした。

 風の流れを感じて見上げると、天井に通れそうな穴がありました。しかし、背たけより高く、手もとどきません。

 それでも、若者は岩かべをのぼろうと試みました。


 何日かがたちました。

 若者は力つきて、地面に横たわりました。

 自分はここで死ぬのだとさとり、恋人を想って嘆きました。

 そのとき、岩のかげから、若い女があらわれました。

 キノコの光で、女のすがたが見えます。

 月のように美しい女でした。

 つややかな黒髪をたらし、うすきぬのベールをまとっています。

 女は、きぬがさらさらとすれるような美しい声で、

「食べ物をわけてくれないかしら?」

と言いました。

 若者は横になったまま、かすれた声で

「おまえ、魔物だな?」

と言いました。

「迷信だと思っていたが、呪いの洞窟のいちばん奥に、女がいるわけがない。しかも、土くれひとつついていない、まっさらなすがたで」

「おっしゃるとおり、魔物よ。このすがたはまぼろし。正体は、大ムカデなの。あなたをこわがらせないように、人間のすがたのまぼろしを見せたのよ」

「正直な魔物だな」

「本当は、人間の前にあらわれたくないんだけど……。下半身が山くずれの下じきになってしまったの。動けなくて、水もエサもとれないの。脱皮のあとで弱っているし、とてもおなかがすいているの……。このままじゃ、死んでしまうわ。何かを食べれば、新しい皮がかたくなるの。そうなれば、力が出て、土からぬけ出せるわ。おねがい、食べ物をわけて」

「すまないな、何も持っていないんだ。そうだ、おれを食べるがいい」

「えっ?」

 魔物は、目をぱちくりさせました。

「なにをためらっている。人食いの化け物なんだろう」

「人間を食べたことなんてないわ。おびえた人間の作り話よ」

「そうだったのか。しかし、かまわない。どうせ死ぬ身だ。ふたりとも飢え死ぬより、どちらかが生きのびるなら、そのほうがいい」

 魔物はもじもじしていましたが、やがて「目をとじていてください」とささやきました。

 若者はまぶたをとじました。

 すると、まぼろしが消え、かわって天井の穴から、巨大なムカデがぬっと頭を出しました。

 するすると岩かべをつたい、はい下りてきます。胴の太さは、人間ほどもあります。

 大ムカデは、下半身が土に埋まり、前のほうしか出られません。それでも、横たわる若者にとどきました。

 巨大アクバルな顔をよせると、若者の首に前足をからめ、するどいキバでかみつきました。

 キバから、毒をそそぎます。

 毒には、まひの作用があるようでした。若者の頭はぼんやりし、体はふんわりしていきました。

 大ムカデは、あやまるようにそっとなでてから、丈夫なアゴで若者の右足をかみちぎりました。

 ばりばり……むしゃむしゃ……もぐもぐ……くちゃくちゃ……

 いたみはなく、ムカデが自分を食べていく音だけが聞こえます。

 若者は、まどろみか夢の中で空中をたゆたうような気分でした。

 食べられたところは、すきま風がふくように、ひんやりと冷たくなりました。

 体が、どんどんなくなっていきます。

 右足がなくなり、左足がなくなり……

 はらがなくなり、むねがなくなり……

 頭がなくなるとき、恋人の笑顔が、うかんで消えました。

 やがてすべてがなくなり、若者のいのちはとだえました。

 真の暗闇くらやみがおとずれました。

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