百舌鳥のはやにえ

とりたろう

第1話



 砂埃が酷くて、まるで霧の中にいるようだったのを覚えている。それでも場違いのように潮の香りも混じっていて、それに耐えながら進まなければいけない苦行を強いられたのも印象深かった。

 視界が悪い中、感覚を研ぎ澄ましながら崩れ掛けのビルを進む。訓練されたのがよくわかる動きで皆慎重に進み、様子を伺い、くまなく外部に伝達する。

暫く進んでいけば、人が沢山倒れている光景が目に飛び込んできた。

その場にいた全員に緊張が走るが、皆冷静に安否の確認を行う。まだ息のある者を血眼で探していく。命の選択とはよく言うが、救える命を迅速に救うのが皆の仕事であり責務だ。

 しかし、探せど探せどそこにいた殆どがもう息をしておらず、大半は助かる見込みもない程の傷を負っていた。尚且つ近くで見て気づいたことだが、皆何かしらの物体に突き刺さっているのだ。意図的にやられているのが目に見えるようなその惨たらしい刺さり方に、自分も含めた皆顔を顰めていたのかヘルメット越しでも分かった。中には身体が重なるように連なって突き刺さったものもあり、気味が悪くて仕方がなかった。

 その奇妙な死体の山からまだ救える人を懸命に探しているうちに、やけに見覚えがあるブレスレットが転がっていた。


 それを見た瞬間頭が真っ白になった。弾かれたようにそのブレスレットの近くに横たわる人の元へと向かい、邪魔な瓦礫を急いで除けいった。

 そのブレスレットはいつもあの子が着けているものだった。

 赤色の宝玉がついたそのブレスレットは、正直似合わないと思っていたしなにか薄気味悪かったからよく覚えている。


 退かした瓦礫の下では、鉄骨に貫かれたあの子がいた。酷い出血を見せつけるようにその子周辺の瓦礫は真っ赤だった。次に飛び込んできたのは何故か左腕が綺麗に消え失せている様だった。長袖を着ていたせいで全く気づかなかったがよく見るとこの子の左の袖は血を沢山吸い取りベッタリとひらべったくなっていた。それを見た時、この子が味わった痛みや屈辱を想像して崩れてしまいそうになった。

 それらに堪えながら、震える手で頬に手を添えてこちらに向かせる。もう見るからに生気を失った焦点のあわない瞳、おかしな方向に曲がった脚と暫く痛みや恐怖に耐えたであろう涙跡、もがいた跡と思われるのが分かるほどボロボロになっている爪。それらがただそこに生々しく在った。



____、知り合いか?


………………。


………………………………………………。


「……ちがう」



見覚えなんてない。


似てる、と思っただけ。


実際にこんなものはみたことない。



そうだ。ない。あるわけない。こんな髪色知らないし、こんな服装知らない。

あの子の好みじゃない。



それに、電話すればあの子はきっと出る。何せとびきりのいい子だ。ハキハキと喋りながら、心配しすぎなんて言うのだ。

今日は出かけず家にいると言っていた気がするし。


そうだ。何も……

何も問題はない。

だから頭をクリアにして次に進まなければいけない。

立ち上がってその場にいる皆に呼びかけなければいけない。


「全員亡くなっているのを確認した」



名前も知らない方々に。

何も知らずに亡くなった方々に。

亡くなった御不憫な家族皆々様に。



「上の階に進もう」



 そういいはなって、胸を張りながら歩いていった。

そんな態度とは裏腹に、何かやましい事があるように、こっそりとあのブレスレットをポッケにしまった。























 霧がかった夜の景色が、小さな窓から見えた。


 日が落ちてから急激に冷え込んだせいだな、なんて思いながら昔のことを思い出す。

 目を凝らして進まなければ迷ってしまいそうになるその光景をよく覚えている。少しの恐怖感と戦いながらもコンクリートジャングルを歩いていく、あの日のこと。


"まさか、こんな遅くなっちゃうなんて思わなかった。"


 そんなふうに、あの日あの子は思ってたんだろうな。誰も悪くないし、強いて言うなら運が悪かった。

 名前も顔も知らない誰かが死んでも皆気にしない。当事者にならないとこの悲しみは分からない。

 自分だって、そんな目にあったことがないからわからないけど……。


 身近にそんな人がいれば、少しシリアスになってそんな事に思い耽ってしまうのは当然だよね。



「ただいま」


 聞きなれた低い声が、玄関の方から聞こえてきた。

外の冷たい空気を纏いながらサギ兄が何かをご機嫌に持ちあげて私に見せる。


「サギ兄……何それ」

「つぐが好きなお饅頭買ってきた。こしあんとつぶあんどっちがいい?」


 表情は何一つ変わらないが、つぐに喜んで欲しい!、みたいな心持ちの顔なのが私には分かった。


 「んー、どうしよう。でもまあ、こしあんかな」


 私は、こしあんが好き。

 この気持ちに嘘はないし、別にどっちも食べられる。でも豆の感じがそんなに好きじゃなくて、こしあんをいつも選ぶ。


 「だと思った」


 その答えを予測していたサギ兄は、ちょっと嬉しそうに目を細めている。

 今の返答に嘘なんてついてないが、サギ兄の"この顔"を見ると息が詰まる。なにか後ろめたい気持ちが湧き出てきてくるのだ。加えて、そう答えることがきっと正解なのだと知ってしまったから、もう素直に喜べるはずもないし、どんどん苦しくなる。

 この笑顔を見た時に微笑ましいとこちらが感じるのさえもう嫌になってきている。

 洗面所で手を洗っているサギ兄を横目で見ながら二人分のコップを取りだし、牛乳を注ぐ。

 この動作さえももうしんどいなあ。


 誰も彼を助けてはくれない。

 誰も私を助けてはくれない。


 あなたのことをサギ兄と呼ぶ度に、私の中の何かが忙しくなくバタついて、破裂しそうになるのだ。

片方だけ並々注いでしまったコップをサギ兄の席に置いてやる。

 そのコップから溢れて零れそうな牛乳の水面を見つめながら、丁寧に手を洗っているサギ兄を待った。

 

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