ミントブルーの純情
1
「あら、あおちゃんおはよう。今日は遅いのね?」
「お義母さんおはよう。課題やってたら寝るの遅くなっちゃって」
月曜日、朝。
毎朝みつよりも15分以上余裕を持って目覚める私だけれど、今日はいつも起きる時間よりも20分も寝坊してしまったらしい。まあ、学校には全然間に合うのだけれど。
お義母さんが用意してくれていた水をひとくち飲んでから自分の席に着く。
「……みつは?」
「なんか珍しく早く出て行ったわよー。部活かしら?」
「ふうん……」
きっとその理由は部活でもなんでもないんだってこと、私は知っている。いつも私と同じ時間に家をでるくせに、なんてあからさまな奴なんだろう。あの日、みつが私の部屋を出て行ってから、同じ家に暮らしているというのにまともに顔を合わせていない。
みつの分の食器を洗うお義母さんを見ながら、用意されていた食パンをかじる。みつも私もだいすきなピザトーストだ。お父さんはもう会社に行ったのかな。
「ねえ、お義母さん」
「うん?」
「みつね、彼女できたんだって」
「ええ?!」
驚いて顔を上げたお義母さんのもともと大きくて綺麗な目が、もっと大きく見開かれて思わず笑ってしまった。息子に彼女ができたというのは、親にとったら案外大事件なのかもしれない。
「はは、驚きすぎだよ」
「いやあ、だってあのみつがねえ……」
「みつ、モテるから、フツーじゃない? むしろ遅い方だよ」
「いや、そんなことはわかってるわよ。私の息子なんだもの! カッコいいに決まってるじゃない」
鼻高々にそう言い放つお義母さんにまた笑ってしまう。こういう性格だから、私も仲良くなれたんだよなあ。
血は繋がっていないけれど、本当に優しく大切に育ててもらった。お義母さんが私に壁を作らなかったから、私もお義母さんに壁を作らなくなったんだと思う。私に家族の形を教えてくれたのは、間違いなくこの人だ。
「で、どんな子なの?」
「んー、バスケ部のマネージャーだって。かわいい子だよ。みつにはきっと、合ってると思う」
それは強がりでもなんでもない、私の本音だった。みつには、あんな風にかわいくて、素直にぶつかってきてくれる子が似合うと思う。私とは、正反対の。
「そう。マネージャーとだなんて、我が息子ながらなんてベタな子なのかしら」
「憧れちゃうなあ、私も何かのマネージャーやればよかった」
クスクス笑いながら言うと、食器を洗い終えたお義母さんも笑いながらテーブルを挟んだ私の目の前の席にやってくる。コップに牛乳を注ぐあたり、やっぱりみつの母親なんだなあって思う。
「……あおちゃんは? いないの? そういう人」
かじりついたピザトーストからボロボロとパンくずがこぼれ落ちた。味は好きだけれど食べるのが難しい。これは大きな問題点だと思う。
誰にでも上手くいかないことや欠点があるのと一緒だ。
「私は、いないよ」
「あら、そう? でも、前は彼氏いたんでしょう?」
「うーん、そうだけど……恋愛、だったのかなあ」
中学生の時、好きな人がいたことがある。同じ陸上部だった男の子。周りが恋愛話で盛り上がる中、自分だけ恋をしていないことが恥ずかしくて、形のないその感情を必死に探した。友達に『彼が好き』だと口に出して言うと、自分でもなんとなくそうなのかもしれないと思うようになった。
単純な好意だった。きっかけは、髪型と背丈が、なんとなくみつに似ていたからだったのに。
そのあと、高校一年生の秋、伊藤くんと付き合った。告白されて嫌な気はしなくて。簡単に、人の好意に頷いた。
好きか嫌いかと聞かれれば、好き。
いい人だと思う。中学の時に好きだった人も、伊藤くんも、優しかったし一緒にいて楽しかった。
でも、私が、恋をしている誰かと同じだけの想いを抱えていたかと聞かれたら、素直に頷けない。
いつも、友達の恋の話が羨ましかった。誰かと付き合ったり別れたり、告白したり告白されたり、恋愛に真っ直ぐな女の子がどこまでも眩しかった。あの日ユカリちゃんにみつへの想いを聞かされた時もそう。
自分はそうなれない。だからこそ、必死にそうなろうと頑張っていた。
「あおちゃんは難しく考えすぎなのかもしれないね」
「え……?」
「ふふ、若い時って周りが見えなくなって突っ走っちゃう人の方が多いのに、あおちゃんは大人びてるのね。周りの目とか、評価とか、気にしちゃうタイプでしょ」
「大人びてなんかないよ、だって、当たり前のことを、考えてるだけで」
「ねえ、あおちゃん、いい物あげるわ」
ふふ、と笑ってお義母さんが立ち上がる。
その隙に時計を確認すると、そろそろ家を出ないといけない時間が近づいていた。でも、なんだかこのまま休んでしまってもいい気がする。インフルエンザ以外で学校を休んだことなんてないけれど、お義母さんの話を今日は聞くべきだと思うのだ。
「あったあった、これ。今のあおちゃんにきっと似合う」
お義母さんがテーブルにコトリと小さな箱を置いた。ネイビーブルーの小物入れ。丸いシンプルなその箱を、お義母さんがゆっくりと開けた。
「……きれい」
思わず声が出た。少し緑がかったような淡い水色のガラス玉がついたネックレス。朝の光に反射して輝くそれはとても美しくて綺麗だった。思わず吸い込まれてしまいそうなほど。
「ね、綺麗でしょう。
「え……」
「このガラス玉ね、トンボ玉とも言うんだけれど、トンボ玉にはたくさん意味や効果があるのよ」
「意味や、効果?」
「そう。たくさんある中の一つが"素直な気持ちを取り戻す"」
ドクリと、心臓が跳ねた。お義母さんはいつものように笑いながら私を見る。全部見透かされているようで、何も言えなかった。言ったら、ダメだと思った。
「本当は、光葉の名前に『葉』がついているから、ミント色を買う予定だったのよ。でも、ちょうど売り切れでね。その隣にあった色に一目ぼれして買ったのよ。ミントブルー。綺麗な色でしょ?」
「ミントブルー……」
「そうしたら、再婚相手の娘の名前が『
「みつがミントで、私が、ブルー……?」
「そうよ。ねえあおちゃん、私とお父さんのこと、気にしなくたっていいの。あおちゃんはもう少し欲張りで、我儘になってもいいのよ。私たちはもう10年近く、ふたりに幸せを与えて貰ったんだもの」
「お義母さん何言って、」
「でもね、どんな形でも、みつも、あおちゃんも、私の大事な人よ。それだけは忘れないでね」
私の本当のお母さんは、私がまだ幼稚園に通っていたころに家を出ていったらしい。幸か不幸か私にはその頃の記憶がまったくなくて、母親がいない生活が当たり前だったものだから、寂しさだとか悲しさだとかは深く感じたことが無い。きっとそれは私のお父さんがとても大事に私を育ててくれたからだと思う。
今のお義母さんの元旦那さん(つまり、みつの本当の父親だ)は、お義母さんがみつを身籠っていると知った途端逃げ出したんだとか。みつは本当のお父さんの顔も知らないと言っていた。
その話を聞いたとき、心底みつの本当のお父さんに嫌悪感を抱いた。けれど同時にその人がいなければみつとは出会っていなかったと思うと何も言えなかった。
いろんな縁が繋がって、絡み合って、ほどけ合って、また繋がって、今わたしたちはここにいる。
小学2年生の時、私はお父さんに連れられてみつとお義母さんが住んでいるアパートへと挨拶しに行った。あの時はまだ、一緒に暮らすことになるなんて思ってもいなかったけれど。
─────群青 光葉
─────群青 碧
やがて、みつの苗字がわたしのそれと同じになった。いつだったかはもう覚えていない。
滅多に呼ばれないみつの本名と、ほとんど使わない私たちの漢字。(小さい頃から『みつ』と呼ばれていたから、本名を『みつ』って思い込んでいる人のが多いんじゃないかな。私も最初は『みつ』だと思っていたくらいだし)
お義母さんも、もちろんお父さんも、私とみつのことを同じように大切に大切に育ててくれた。それは、この17年間を振り返ればわかること。本当の親子みたいに接してくれるお義母さんのこと、大好きだしとても信頼している。お義母さんがいなかったら、今の私はきっといない。
「……お義母さん」
「うん?」
「私も、どんな形でも、ずっとお義母さんは私の大切な人だよ。忘れないでね」
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