第18話:「後悔の軛」
"帝都エグゼア・ラウスハースト医院"──
温かみのある照明に照らされた木製の廊下、その壁にもたれかかりながら、俺は天井をじっと見つめていた。
今はフォックスの診察と治療、その結果の報告待ちだ。
──そう。フォックスは奇跡的に、一命を取りとめた。
ただし本当に奇跡的に、だ。
細かいことは今医師が診ているが、フォックスの意識は戻らないまま。
予断を許さない状況なことには間違いなく、この後どうなるかは分からないとのことだ。
「クソが……何で俺はあの時……!」
握りしめた拳から、血が垂れる。
何が『俺がついてるから大丈夫』だ。
結局守り切ってやれなかったじゃねぇか……!
やっぱり最初から、どんなに強い言葉を使ってでもついてこさせるべきじゃなかったんだ。
何故俺はあの時、あんな対応を取ってしまったのだろうか。
理由は分かっている。心のどこかで油断していたんだろう。
どうせ大したことは起きないとタカをくくっていたんだ。
ハンターに必要なのは何よりも用心深さ。
それを身に沁みて知っていたはずなのに、そうできなかった自分自身に殺意が湧く。
甘い。甘すぎたんだ。何もかもが。
「……謝るのは俺の方だ、馬鹿野郎……」
顔を苦渋に歪ませながら思い出していたのは、森から脱出するまでのことだった。
◇◆◇
バケモノがどこかへ去った後、冷静さを取り戻した俺が慌ててフォックスに駆け寄ると、あいつは朦朧としながらも意識があった。
この状態を幸いと言っていいのかは分からないが、まだ生きていてくれたのだ。
そのことに安堵すると同時、もし先程感情に任せて"力"を解き放っていたらと思うと背筋がぞっとする。
「ヴァ、ニ……無事か……?」
「俺は平気だ! それよりもお前──いや、喋らなくていい! すぐにここから連れ出してやる!」
「……はは……すまない。結局お前に、迷惑を……かけることになったな……」
「だから喋るな!」
口から血を零しながら謝るフォックスを背負い、俺は出せる全力の速度で森の出口を目指す。
どうやら全身の骨が折れているらしかった。
なるべく揺らさないようにはしていたが、背中からくぐもったうめき声が聞こえる度に俺の心は焦りで締め付けられた。
こんな場所では、そして持参してきている装備には、フォックスを治療してやれる道具なんかない。
ましてや俺に医療の知識など皆無だ。
こいつを救うには、とにかく街に戻る以外に選択肢はなかった。
あっという間にベルセルクたちの死骸が転がっている場所まで戻り、そして更に、それより前に通ってきた道を駆け抜けていく。
行きにマヤが付けておいてくれた目印が助かった。
「なぁ……ヴァニ……」
「なんだ!?」
不意に、フォックスが苦しそうにしながらも話しかけてきた。
「悪かった……俺はお前のこと……なんにも……グゥッ! ……ハァ……分かって、やれてなかった……」
「…………何の話だ」
「お前はあんな思いをして……いつも戦ってたんだな……。それを知ったのに、俺は怖くて……結局、本当に危ないときまで……何も手伝って……やれなかった……」
「……それ以上は言わなくていい」
その発言で、なんとなく察した。
きっとフォックスは全部見ていたのだろう。
俺が死ぬところも、そして生き返ったところも、あのバケモノと戦っていたところも。
「ごめんなぁ、ヴァニ……。でも、それでも、俺はお前の……………………ゆう……」
そこで言葉が途切れた。
「……おい、フォックス……?」
最悪の可能性が頭によぎり、立ち止まる。
背中越しに確認したフォックスは、死んだように眠っていた。
微かに呼吸はしている。まだ生きてはいるようだ。
だが、一刻を争う状況なのは変わらない。
「畜生ッ!」
俺は苛立ちと焦燥を声に出し、再び全速力で走り出した。
呼吸するたびに血の味がするのも、脇腹や足が悲鳴を上げるのも無視して走ったおかげか、来たときの何倍も早く出口に辿り着くことができた。
「お前ら! よく無事だったな! 俺様はてっきり…………って、おい! フォックスの奴に何があったんだ!? つぅか、さっきの鳴き声は一体……!?」
森の外には、ハーラルドたちが待機していた。
開口一番にこちらの身を案じる言葉を切り出したハーラルドは、俺が背負っているフォックスを見てギョッとした顔になる。
「……お前らこそ、無事でよかった。話は後だ、すぐに帝都に戻るぞ」
「まさか……フォックスさん?」
「そんな……どうしよう!?」
ロイとマヤがフォックスの様子を見て、顔を青ざめさせる。
こいつらも、あの場から離れて時間が経ち、落ち着きを取り戻したらしい。
事情を説明してやりたいところだが、今は話をする時間すら惜しい。
案じる声を無視して走り出すと、慌てたように【白翼の鷲】が後に続く。
聞きたいことは山ほどあるだろう。それでも黙ってついてきてくれることに感謝した。
それから道中下車した村まで戻り、帝都行きの馬車に乗った帰り道。
「頑張ってください、フォックスさん……!」
依頼品として納品する予定だったカームレリーを惜しげもなく使い、少しでも容態を安定させようとロイが懸命に応急処置を行う。
他のメンバーは葬式のような表情でそれを見守っていた。
ふと、今まで黙りっぱなしで俯いていたクリスティナが口を開く。
「……ごめんなさい。私たち、結局何もできなかった……」
その弱々しくか細い声からは、普段見せている強気な態度は欠片も感じられなかった。
「……お前らは何も悪くない。悪いのは全部……俺だ」
「そんなことない!」
慚愧の念を堪えながら俺が返事すると、それに対してマヤが大きな声で反論してきた。
「元はと言えば、アタシたちがあの森に行きたいなんて言い出したのが悪いんだよ! ヴァニっちは何も悪くない! ヴァニっちはアタシたちのために独りで戦って、それでリーダーのこともここまで連れ帰ってきてくれたじゃん! それだけで、それだけで……!」
「……マヤの言う通りだぜ。俺様たちだけだったら、今頃全員、仲良くくたばってただろうよ。だからここにはお前に感謝こそすれ、責める奴なんか誰もいやしねぇよ」
「そうですよ。……それに、仮にそんなことを思っていたとしても、僕たちにあなたを責める資格なんてありません。命を助けられておいて、思うはずもありませんが」
「ええ……。ヴァニ君は、やれるだけのことをしてくれたわ……」
マヤたちは口々に慰めの言葉をかけてくれるも、本当に申し訳ないが俺の心には少しも響かない。
今回の一件は俺が全ての判断を誤ったからこその結果で、それだけが事実だから。
この贖罪を果たすためには、今度こそあのバケモノを殺す他にない。
それからは全員が黙りこくってしまった。
あの森で見たモノについて詳しく聞きたかったが、思い出したくもないという空気が漂っていたから聞けなかった。
どうせ遅かれ早かれ知ることになるだろうしな。
そして無事帝都に着くと同時、【白翼の鷲】のメンバーとは一度別れた。
ギルドへの報告は彼らに任せて、俺は知りうる限りで最も医療技術の高く、信頼の置けるこのファーモリア医院にフォックスを連れてきたのだ。
そして、時間軸は今に戻る。
◇◆◇
目の前の扉が静かに開き、中からくすんだ銀髪を後ろで纏めた白衣の男性が出てきた。
ファーモリア・ラウスハースト。
この医院を経営している医師であり、精霊術と医学の知識を組み合わせた治療を行う男だ。
齢三十歳という若さでいながら、その医療の腕はかなりのレベルのものだ。
「先生、あいつはどうだ?」
「ひとまずは安定しています。今は目を覚ましませんが、しばらくすれば起きるでしょう。……ただし、それが今日なのか、明日なのか、あるいはもっと先なのかは分かりません」
「……そうか。それで、具体的にはどうだった?」
「ええ。順を追ってご説明します──」
ファーモリアが語ったフォックスの容態は、かなりの重症だった。
まずは全身……主に胸椎の複雑骨折。特に肩甲骨と肋骨の何本かは粉砕骨折していたらしい。
それから、右上腕骨と右膝蓋骨、左大腿骨も折れていたと。
その他様々、軽微な骨折やヒビが見受けられたという。
更に内臓破裂が起きた上、骨折による内蔵損傷も確認できたそうだ。
ファーモリア曰く、折れた肋骨が肺に刺さっていなかったのは幸運だが、他は思わず目を背けたくなるような惨状だったようだ。
ひとまず命に関わる危険のある箇所は治療したが、しばらくは絶対安静。
面会も当分は控えるようにとのことだった。
「恐らく後遺症は防げると思いますが、本人の体力と努力次第です。精霊術による治療は自然回復と違い治癒力が強いですが、患者の体に大きな負担が掛かりますから。こればかりは彼の様子を見て、少しずつ施していくしかありません。それにかかる時間によっては……残念ながら、軽微な障害は残る可能性もあると言えるでしょう」
「分かった。……先生、感謝する」
一通り説明を聞いて頭を下げると、ファーモリアは目を細めて柔和に微笑む。
「いえ、私は私の使命を果たしているだけですので。それより、君の方は大丈夫なのですか? 少し
「ああ、問題ない。これぐらいなら動けるさ」
「医師としては、そう言われても放っておくことはできませんが……はぁ、君は昔からこの手のことには強情ですからね。治療していけと言っても、どうせ断るのでしょう?」
「……悪いな。とにかく今は、すぐにでも動かなきゃならん事情があるんだ。先生、フォックスのこと……頼んだ」
「もちろんお任せください。ヴァニ君も、どうかお気をつけて。決して無理をしてはいけませんよ。……ああ、それともうひとつだけ」
「……?」
聞きたいことは聞けた。
再びファーモリアに頭を下げ、医院を後にしようとしたその時、ファーモリアに呼び止められて振り返る。
ファーモリアは複雑な微笑を浮かべながら、俺の顔を指差した。
「顔、酷いことになってますよ。事情は先程のお話で大体察しましたが、あまり一人で抱え込みすぎるのはよくありません。私は精神科医ではありませんが、それでも話を聞くことくらいはできます。もし独りで抱えきれないことがあるなら、いつでもお頼りなさい」
「……助かるよ」
本当にそのときが来るかどうかは分からないが、気遣いには感謝しよう。
外に出ると、辺りはすっかり夕暮れになっていた。
夕日に照らされて、それぞれの帰路に就く人々が賑やかに歩いている。
だが、俺の心はそんな穏やかな景色とは対照に、どす黒いもので埋め尽くされていた。
「……よくもやってくれたな、お前のことは必ず殺してやる。それまで首を洗って待ってろよ」
バケモノへの復讐を誓いながら、俺は次にギルドへ向かう。
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