第0―13話 追憶⑨
古びた扉に手を掛ける。軋みを立てながら雄臣は二階の部屋に入った。
あるのは箪笥とベッドだけの殺風景な部屋。
彼女たちが薪で焚いた風呂に浸かっている間、雄臣は後で風呂に入るとして箪笥から寝間着を手に取り、破れた衣服から寝間着に着替えた。
そのまま灯りを付けずにベッドに座り、深く長く息を吐いた。
静まり返った部屋の中、雄臣の頬をつうっと涙が伝う。
(……本当、殺されなくてよかった。帰って来られなくなったら、美楚乃はあんな風に泣いて、いやもっと悲しく、見捨てられたと思ったかもしれない。……だから本当に、よかった……)
流した涙を腕で拭う。高ぶった感情を落ち着かせる。
(……こんな泣き顔、美楚乃には絶対に見せられない。僕は兄貴なんだから)
いらない感情を吐き出してすっきりした雄臣は階段を降りた。居間に戻ろうとしたその時だった。
「きゃああああああああっ――!」
浴室から美楚乃の悲鳴が上がった。
「っ⁉」
雄臣は急いで階段を駆け下りて、浴室に通じるドアを開け、その勢いのまま風呂場のドアも全開にした。
「きゃああああああああああああああ!」
本日二度目の妹による悲鳴。浴槽の縁に座っていた美楚乃は咄嗟に上半身を隠し、雄臣も即座にドアを閉めた。
「ご、ごめん。悲鳴が聞こえたから」
「もうっ、兄さま、あっち行ってて!」
「でも、お腹に指が――。白雪、美楚乃に何したんだっ。怖がらせるようなことするなって言ったのに」
ほんの一瞬だが、間違いなかった。美楚乃のへその窪みに白雪の人差し指が押し込むように刺し込まれていた。
「怖がらせてなどいません。ただ少し驚かせてしまっただけです」
ドア越しに聞こえる白雪の声は相変わらず抑揚がなく、その言い訳も苦し紛れでしかない。
「同じようなもんだろ!」
美楚乃が誘ったとは言え、白雪は初めからこうするつもりだったんだ。
「不確かなものを明確にするにはこうする他ないのです。妹を溺愛しているあなたにそのことを伝えれば、結果は自ずと分かります」
「溺愛って――」
「ふっ、ん」
美楚乃の悶えるような声が聞こえて、雄臣は心配になる。
「おいっ、何して」
「それにこれは無理強いではなく、触ってもよいと許可を得ています」
仮に本人が良くてもつらそうなのは事実で納得いくわけがない。
「にぃ、さま。少しくすぐったいだけで、痛く、ないから、大丈夫……だよ。だから、向こう、行ってて。もうすぐ、上が――んっ」
美楚乃は苦しそうに言葉を漏らしながらも、雄臣の不安を鎮めようとする。
「美楚乃っ!」
「おねがい……変な声でちゃうから、聞かないで……恥ずかしい」
「っ。……白雪、後でそのわけを聞かせてもらうからな」
「はい、構いません」
状況が分からない雄臣は苛立つ。けれどこの場に居座り続けることはできないし、美楚乃がいやだと言っていることを差し置いて自分の感情を押し切ることはしたくない。仕方なく居間に戻ることにした。
それから彼女たちが風呂から上がって居間に戻ってきたのは十分後、時計の針が九時半を回った頃だった。
「ねえねえ見て見て兄さま、白雪ちゃんとお揃いっ! 可愛いでしょ」
「え、あ、ああ」
二人は同じ水玉柄のワンピースのようなパジャマを着ていて、美楚乃は淡い水色、白雪はというとミルク色のものを着せられたようだ。
「このパジャマ、気に入ってくれたみたいだからあげるんだ~」
「美楚乃がいいならいいけど……」
雄臣は白雪と目が合った。知りたいことは美楚乃に関することすべて。彼女に取り巻く不老の原因が魔法と関係あるのか、すぐさま聞き出したかったが妹の前で急かすような立ち振る舞いはできないと、開いた口を閉ざした。
察した白雪も美楚乃に案内されるがまま、テーブルの椅子に座った。
「ほら兄さまも拗ねていないでご飯食べよ」
「別に拗ねてなんかない。それより大丈夫なのか」
何もなかったかのように平然としているが。
「大丈夫だって、ほら早く」
雄臣も促される形で白雪が座る前の席に着いた。少し待っていると美楚乃がキッチンから運んできたものは、かつて肉じゃがと呼ばれていたものに近い肉のない芋の煮物に、米の代わりである蒸したひよこ豆とサラダだった。
運び終わった美楚乃は雄臣の隣の席に着く。
「さあ、食べよ」
「あ、ああ」
「「いただきます」」
いつもより二時間近く遅い夕食。美楚乃と雄臣は手を合わせた。それを見ていた白雪は真似るように手を合わせ「イタダキマス」とたどたどしく声に出した。
「……」
雄臣と美楚乃は箸を持ったまま、白雪の挙動に意識を向けていた。
箸の持ち方が分からないのであろう白雪は、蒸した豆や芋を掴もうとするたび箸先が交差して一向に掴めないでいる。何度か格闘した挙句、棒を握るように箸の持ち方を変え、じゃがいもをぶっ刺した。そのまま白雪は握り箸でじゃがいもを口元に運ぶ。
「どう、おいしい?」
美楚乃が興味津々に感想を聞いた。
「生憎、美味しいという感覚はよくわかりませんが、優しい甘さでホクホクなのは確かです」
「えへへ、やった! 褒められた~」
美楚乃は嬉しそうにはにかんで自分も肉無し肉じゃがを食べた。
「うん、おいしい。長い間、煮込んだから味が染みてる」
陽玄も一口食べて妹の料理センスに鼻が高くなった。まさかこんな美味しいご飯を作れるほど上達するとは思わなかった、と同時に美楚乃の成長が感じられて嬉しくなる。
「……白雪、箸じゃなくてフォークとかスプーンの方が食べやすいだろう」
箸の使い方に苦戦している白雪を見て、雄臣はキッチンからフォークとスプーンを持ってきた。
「……こんなものがあるのですね」
白雪は箸を置き、渡されたフォークに手を掛けた。だが棒を握るような持ち方は変わらない。まあ、彼女にとってその持ち方が食べやすいのであればあえて直す必要もないだろうと雄臣は特に何も指摘せず食事を再開した。
「ねえねえ白雪ちゃん」
「はい、何でしょうか?」
「どんな食べ物が好き?」
「……。私はあなた達のような栄養摂取を必要としませんので、特に好きなものはありません」
白雪の応答に美楚乃は首を傾げた。
「? でも白雪ちゃんはお人形さんじゃなくて人間なんでしょ?」
「人間ではありますが、何かを食べたり飲んだりする必要がない燃費の良い人間なのです」
「でも、ちゃんと食べないと元気出ないし、体調とか崩しちゃうよ」
「ご心配なく。疲れれば眠りますので」
「ふーん。変なの」
「はい。変な人間なのです」
「ふふふ、自分で自分を変だなんて変なの、ふふ、面白いっ。ね? 兄さま」
「え、あ、ああ」
雄臣は静かに彼女たちの会話を聞いていた。嘘のような話から白雪の生態がどんなものなのか何となくわかってきた。
(人間ではないのは薄々分かっていたけど、食事を摂らず睡眠だけって……これも体内に流れ込んでいる魔力が関係しているのか?)
雄臣は疲れ知らずの身体能力と言い、彼女の自己完結に近い身体機能に改めて驚かされた。
「「ごちそうさまでした」」
食事を終えた美楚乃と雄臣が再び手を合わせる。
「ゴチソウサマデシタ」と続けて白雪が同じように挨拶の言葉を繰り返した。食事の礼法を見様見真似でやろうとするところは微笑ましいし、食事中、空腹状態にはならないと言ってはいたが、食卓に出てきた料理はすべて平らげていて、美楚乃も嬉しそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます