第0―11話 追憶⑦

「お! あともう少しで指が生えそう」


 未だに信じられないが、蜥蜴の尻尾みたいに生えてきた指を見て自分が普通の人間ではないことを認識する。細胞も神経も筋肉も爪の繊維まで元通りになろうとするこの身体の修復能力に雄臣は驚く。治りかけの肘を折り曲げ、再生進行中の傷口を見た。


「うわっ、間近で見るとえぐいな」


 断面図から無数に飛び出している細く小さな血の触手――神経のようなものは、互いにひしめき繋がり合って自分の血肉になろうとしている。


 雄臣は自分の身体だからか、手と足はあと十五分もすれば、完全に元の姿に戻るだろうと漠然と思った。それを見越してか白雪は雄臣に気を配る。


「あなたはこの先一人でどうするのですか? 他の村に頼れるような方はいらっしゃいますか?」

「いや、実は僕、この村の人間じゃないんだ。ちょっとわけあって色んな村に訪問していて……それでたまたまさっきの男が住民を皆殺しにしているところに鉢合わせてしまって」

「そうでしたか。迷いの森を一人で……ではあなたの親族は無事なのですね。それは良かったです」


 少女はまるで自分のことのように安堵の念を抱いた。対して、雄臣の心には今更になって恐怖の波が押し寄せていた。


「大丈夫ですか? どこか気分が優れませんか?」


 血と泥がついたグローブを外した少女の右手が雄臣の震える腕に触れた。


「大丈夫、ありがとう。ちょっと、僕がいなくなってたら大事な妹を一人にさせていたと思って、今更その実感が湧いてきたんだ。それで少し怖くなった」

「……タケオミは素直で妹思いの優しい人間なのですね」


 白雪はどことなく優し気な眼差しを雄臣に向けた。


「ですが、そんなあなたが妹を一人置いて、森の中で行方不明になるかもしれないというのに、なぜ別の村に赴いているのですか? 私にできることは限られていますが、良ければそのちょっとしたワケを聞かせてもらってもよろしいですか?」


 その投げ掛けに雄臣は一切迷わなかった。それどころか、淡い期待さえあった。一年間、どんな村のどんな人間に訊ねても分からなかった妹の不老の原因を、人間とは一線を画す存在であるこの白無垢の少女ならば何か知っているのではないかと思った。


「実は妹が十年ぐらい前から、突然歳を取らなくなったんだ。僕は普通に大人になっていくのに、妹だけ顔立ちも背も何もかも幼いままで……。だからまた何か別の病気なんじゃないかって思って、その原因を知っている人間がいないかあちこち探し回っていたんだ」


 雄臣はこの少女を唯一の頼みの綱として今までの経緯いきさつを包み隠さず、全て打ち明けた。


「……」


 終始聞いていた白雪は張り詰めた表情で黙り込んでしまった。その長い沈黙は、何を意味するのか。雄臣の手と足が完全に治っても未だに続いており、あまりにも難しい顔をしているから声を掛けることも躊躇われた。


 雄臣は空を見上げる。


 空はもう墨色に染まり、星がちらほら見かけられた。


(さすがに早く帰らないと美楚乃が心配する)


「……タケオミ」

「は、はい」


 ただならぬ空気感と白雪の険しい口調に、思わず雄臣は正座した。


「一先ず、あなたの魔力を切除するのは妹さんに会ってからにしましょう。確認したいことができました」

「え、あ、はい?」


 具体的な理由は愚かこちらの是非をも問わない辺り、これは絶対のようだ。


「では行きましょう。私があなたを抱えるので、あなたは家路までの道のりを指示してください」


 すると白雪はもう片方の白のグローブを外し、立ち上がった。


「この通りひどく汚れていますがご了承ください」

「いや、そんな小さい身体じゃいくらなんでも」

「いいえ、心配無用です」

「うわわっ。ちょっと――」


 白雪は軽々しく雄臣を持ち上げた。いつもなら寝落ちした妹をベッドへ運ぶのは雄臣の役目なのに、そんな妹よりも小柄な女の子に抱きかかえられていることに、驚きと恥ずかしさで頭がついていかない。


「さあ、あなたの帰りを待つ妹さんはどこにいらっしゃいますか?」

「いや、本当大丈夫だから。一人で歩けるから」

「そうですか。ならば脚の一つでもへし折りましょうか」

「っ⁉ 分かった。分かったからそれだけはよしてくれ!」

「……冗談ですよ。ですが観念して下さい」


 無表情で言うから本当にやるかと思った。


「分かったよ……。えっと、たしかここから家だと……四時間以上、南南東をひたすらに、名無しの村を六つ超えた先にある小さな村から少し離れたところに」

「承知。では私にしっかり掴まっていてください」

「え?」

「でないと振り落とされますよ」

「わわっ。うわああああ」


 次の瞬間、白雪は足音一つ立てずに疾走した。


 目に映る景色が一瞬にして村から森に切り替わる。


 自分よりも重いであろう男一人分の体重を抱えておきながら、彼女は有り得ない速度で森の中を走り、目的地を目指す。


 流麗な脚運び、風で靡く白の髪。一切乱れない呼吸にブレない体幹。立ち止まることなく走り続ける無尽蔵の体力。


 森を抜け、丘を追い越し、次の村を渡っていく。


 そして、雄臣が四時間以上かけて訪れた道を、白雪はその半分二時間経つか経たないかの時間で雄臣を家に運び届けた。

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