7話 恋の風吹く


 幸せだったな……短い間だったけど。


 深夜、眠る前のベッドの中でそんなことを思う。まるで本の中に出てくる余命わずかな登場人物みたい……大袈裟おおげさなんだろうな、私はいつも。


 寝返りを打つと見える暗い天井。


 失恋なんてよくある話、振ったり振られたりしながらみんな運命の恋を探している。きっと私だって……いつかこの想いを忘れて生きていくんだ。


 忘れられるのかな。


 こんな小さな、秘かな片想い。付き合うどころか、触れる事も気持ちを伝える事もできないまま……死んでいく。ただ私に残るのは、幸せな記憶だけ。


 いつか消える、頼りない幸せ。


 明日、ちゃんと話せるだろうか……優しい想い出に沈みながら、眠りに落ちた。







 季節は本格的に梅雨を迎え、雨ばかりのじめじめとした毎日を過ごしている頃、文芸部には、恋の風が吹いていた。


 ロミオとジュリエットの脚本効果で、二組のカップルが誕生し、部室は一気に明るくなった。


「最初はなんとも思ってなかったんだけどね……」


 そう言って頬を赤らめる吉永さんの隣には同じく三年生の金田先輩が照れくさそうに座っている。


 もう一組。


「脚本……作ってる内にいいかなって思ったんだよ」


 みんなの追及に顔を真っ赤にして目を背ける佐藤副部長。隣で恥ずかしそうにしているのは元々、あんまり参加していなかった同級生の鈴木さん……あの時やめちゃったんだと思っていたら体調を悪くして休んでいただけらしい。華奢きゃしゃですごくかわいいなって思ってはいたんだけど、お互い人見知りだからかほとんど話したことはなかった。


 みんな、いつの間に……。


「恋の季節だね」


 先生もニコニコと微笑みながら佐藤君をいじり倒して、なんだか先生じゃないみたいに生徒とふざけ合っている。私がただびっくりしているうちに、この二組のカップル誕生は部に大きな変化をもたらした。


 まず、この四人は必ず部室に来るようになった。そのうちまた人数が増えて、この間まで静かだった部室は毎日にぎやか、脚本作りをしていた頃のようにみんなで集まって雑談するのが当たり前になった。


 そうして5時半頃、みんなめいいっぱい遊んで楽しかったというように帰っていく。その中でも二組のカップルが帰る時間になるとこっそり視線を交わしては、手を繋いで部室を出て行く姿を見ると、ちょっとうらやましい。


 でもこれでいいんだよね、部活なんだから。


 がっかりする気持ちをしまいながらカップル達を見送る。私ももう帰らなきゃな……。


「青春だね」

「そうですね」


 何だか青春なんていう響きについ、笑ってしまう。


神崎かんざきさんはまだいいからね」

「はい……? 」


 まだいいって、何がだろう。意味がわからなかった私が隣の先生を見て聞き返すと、ふっと顔を背けられてしまった。


「さぁーて、仕事するかな」


 背を向けて椅子に座る先生……てっきり職員室に戻るかと思っていたのに。


「今からですか? 」

「うん、もうちょっとね。ここのが捗るんだよ」

「そうなんですね……」


 それなら帰りたくない。あの日からどんどん膨らんでいく気持ちが、抑えられなくなりそうで時々、怖くなる。


「もう、帰っちゃう? 」


 背中を向けたままの先生から聞こえる声。一体どんな気持ちで、どんな表情かおしてそんな言葉を……言ってるの?


「もう少しだけ、本読んでいきます」


 どんなに頑張って部活を続けても、先生とこの部屋にいられるのはあと一年4ヶ月。リミットがあるなら一分でも一秒でも、先生の側にいたいと思うから。


 キーボード音だけが響く静かな空間、何も喋らなくても一緒にいられる、初めて知った幸せな時間。


 本当は帰らなきゃいけない。一人娘で内向的な私を両親はわりと過保護に育ててきた……例えそれが愛情だったとしても窮屈に感じる事がある。今のままだと結婚どころか誰かと付き合う事なんて、夢のまた夢かもしれない。


 本に集中出来なくて、眺めるのは先生の背中。


 だとしたらこれが……最初で最後の恋になったりするのかな。


「暗くなってきちゃったね」


 先生が荷物をまとめ始めて束の間の幸せが終わりを告げる。


「また明日ね」

「はい、また明日」


 いつの間にか私達の合言葉になっていた。







 次の日、私達の部室に思わぬ来客があった。一組はジュリエットとパリス……ロミオじゃないんだとちょっと拍子抜けしたけど、私達の書いた脚本でお芝居をしてくれる演劇部の二人だ。


「よかったら皆さんに見に来て頂きたいんです」


 つぶらな瞳でうさぎさんのような顔をして、くるんときれいに髪を巻いているジュリエット役の子が、きゅるんと瞳を輝かせる。


「そんな事言って恥かくような演技するなよ、ドレスの裾踏むとか」

「は!? 大丈夫だって、そんなことしないもん!! 」


 一歩うしろに控えているのはパリス役の荒城亮君……吉永さんも鈴木さんも彼氏が隣にいるのに目がハート、私はよく知らないけど有名な俳優さんだったらしい。


 口ゲンカしてるけど、仲悪いのかな。


「まぁまぁ、ぜひ皆で観に行かせてください、当日楽しみにしています」


 先生が微笑ましそうにケンカを収めながら返事をすると、それでも何かを言い合いながら仲良く帰っていった。


「あの二人、すごいらしいよ。期待の新人さんなんだって」

「へぇ〜」

「確かにかわいいもんな」


 佐藤君の言葉に頷く男性陣に吉永さんは睨みをきかせ、鈴木さんは苦笑している。


「じゃあ7月10日の13時開演だからね」


 脚本がお芝居になる事も休みの日に先生に会える事も楽しみだった。そしてもう一組……こっちにはちょっとびっくりした。


「本当に入部したいの? 」

「はい! 」

「感動しました! 」


 男子二人と女子二人、一気に四人の入部希望者が文芸部に来たのだ。聞くとやりたいことが見つからず体験入部で転々としていたところを演劇部の練習で私達の脚本に感動して入部したいのだと言う。


「うちは大歓迎だけど演劇部じゃなくていいの? 脚本作りは今回だけかもしれないよ? 」


 先生の言葉に頷く四人。


「私は普段からネット小説書いてるので……活動の幅を広げたいんです」

神崎かんざきさん、話が合いそうだね」

「へ!? あぁ……はい」


 急に話を振られてびっくりする。完璧に油断していた。そうして、文芸部は四人の一年生を迎え入れ、より部活らしくなった。


「もうじき、部誌の作成も始まるしね」


 この間、春が来たと思ったら梅雨がやって来て、それが終わったら夏が来て三年生は引退する。あっという間に、先生といる時間は過ぎていく。


 特に進むわけでも退くわけでもない私と先生の関係は心地よくて、毎日に花が咲いたみたい。雨のせいで頭が痛くても、家で何かあっても、気にならないほど幸せで。


「今日は自転車じゃないの? 」

「はい、用事があってバスなんです」

「じゃあ、門のとこまで一緒に行くよ」

「え……でも……」

「傘忘れたんでしょ? 」

「はい……」


 わざと忘れたわけじゃないんだけど、日頃のおっちょこちょいが、たまにこんな嬉しい出来事も呼んでくれたりして、毎日学校に行くのがすごく楽しみで。気付けば明日からテスト期間という日になっていた。


「そうか……明日から部活ないのか」

「そうだよ、ほんとに鬱陶しいよな」

「いや、佐藤はそんなこと言ってる場合じゃないだろ、受験生なんだから」

「俺は推薦組じゃないからいいの、入試が本番なんだから」


 テストが終わればすぐに夏休み。こんなやり取りもしばらくは聞けないな……少しさみしく思いながらその会話を聞いている。


「テスト期間でも一緒に勉強してるし、大好きだよとかメッセージくれると幸せだなぁって」


 そういう吉永さんカップルも佐藤君カップルも、相変わらず仲が良くて毎日一緒に帰ってメッセージも送り合ってる……そんな話を聞いていると、ちょっとだけ羨ましくなる。


 卒業までこの部屋で一緒にいられるだけでいい、それ以上は期待しちゃいけないって分かっている、でも……私が大人だったら……17歳じゃなかったら、堂々と出来たのに。時々どうしても考えてしまう。


 大人になりたい。


「メッセージ……かぁ」


 一人でいる、こんな時に先生からメッセージが来たらどんなに嬉しいんだろう。家に帰ってきて鞄からスマホを取りだす。


 来るわけない、そんな事わかりきっているのについついスマホを開いて見る。


 先生、今何してるんだろう……。


ピロン!!


「わっ!! 」


 慌ててスマホを落としてしまった。先生からだ……。


[7月10日って何時からだっけ? 18:32]

[13時開演です 18:33]


 嬉しくて、すぐ返してしまう自分が恥ずかしい。


[どうやって行く? 18:33]


 返ってきた……今、先生もこの画面見てるんだ。


[私はまだ決めてないです 18:34]

[そっか 18:35]


 部室でするような何気ないやり取りなのに、何度も見返す私。一人で浮かれてバカみたい、でも嬉しくて……顔がにやけてる。


 物語の中だけじゃない、平凡な私の人生にこんな気持ちになれる恋を見つけた。7月10日……先生に会えないテスト期間を越えればやってくるその日が楽しみで仕方なかった。

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