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第17話
⑩
この日のイベントの最初の試合が始まった。貴子が出場する予定の試合は、この日のイベントの後ろから3番目の順番の試合だ。出番が来るまでの間、控室の片隅で静かに昨日の母親との話のことについて振り返っていた。当日は、彼女の母親ののりこが経営している美容院を臨時休業として、娘の試合の応援に来ることとなった。なぜならば、貴子にとって、今日の試合が高校生活最後の試合となるからであった。
「貴子。高校卒業してからもボクシング続けるの?」
と母親が聞くと、
「続けるつもりよ。目標は世界チャンピオンになること。お母さん、これからも私を応援してね。」
後で考えたら、どうして、こんな世界に行ったのか。母親ののりこにとって、貴子のことが心配だった。貴子の父親は仕事の都合で会場に行くことはできなかったが、この日は、高校1年生の弟も一緒に観戦に来ていた。貴子にとっては、この試合には特別な思い入れがあった。試合の結果によれば、ランキング入りだってあるかもしれない大事な試合だったからだ。3試合目に出場する真理奈の出番がやってきた。真理奈の対戦相手は、キサヌキジムの会長の長女で女子大生ボクサーの木佐貫千鶴だった。9月に行われた前回の試合は、苦戦しながら判定で勝っている選手だった。リングサイド席には、銀行マンになった3つ年上の兄がいた。セカンド役には、もちろん彼女の父親である木佐貫会長がつとめた。真理奈と千鶴の対戦は、一進一退の激しい攻防となった。試合は規定の4ラウンドを戦って判定になり、結果は引き分けだった。その次の試合に出場したしおりは、試合開始から一気に飛び出して1ラウンドで相手をKOした。しおりのランキング入りはほぼ決定的となり、しおりのセコンド役をつとめた忍と共に歓喜にわいた。しおりの試合が終わった直後、客席の方では、春樹が、
「コイツ、以前と比べてはるかに強くなったな。次は、たかちゃんの出番だ。」
とつぶやいた。春樹の隣には、春菜の一家のほかに、春菜の娘の奈々子の保育園時代の恩師の千晴も一緒だった。
「たかちゃんって言ったら、あずさ先生の前の試合に出場する吉見貴子のことなの。」
と千晴が春樹に聞くと、
「そうだけど。」
と答えた。
「知り合いなの。」
と千晴が更に聞くと、
「高校は違うけど、ちょっとした知り合いなんだ。オレと同じ高校の1年下の坂井ちえみさんのいとこなんだ。」
と春樹は返答した。
「私は、そんなにボクシングは詳しくないけど、昨年の夏にプロデビューした女子高生ボクサーということだけは知っている。あずさ先生から、その話を聞いた。「所属ジムが違うから、もしかしたら、リング上で対戦するかもしれないな。」と、あずさ先生は言っていた。」
と千晴は言っていた。
「そうそう。春樹君も来年の春から私と同じ保育士になるんだってね。春樹君の赴任先の保育園にも男性保育士がいるよ。伊本薫先生といって、学生時代は柔道部に所属していて柔道一筋だったみたい。柔道も二段で黒帯とのこと。実は、私とは大学時代の同級生で、彼、高校時代に木登りをして降りれなくなった4歳児の男の子を助けたことがきっかけで、保育士の道を目指した。と本人から聞いたよ。よろしく言っといてね。」
と千晴は春樹に、あいさつ代わりに、そのことを伝えた。
この日のイベントも後半戦に差し掛かり、春樹たちの後ろの席に陣取っていた麗香の母校の豊橋城東高校サッカー部の部員達が持っているチアホーンの音が賑やかに鳴り響いていた。一方、春樹は席を外してお手洗いへ行っていた。そこにバッタリと会ったのは、春樹と同級生で貴子の高校の先輩で、そこの高校のサッカー部のOBの一樹との再会だった。
「おー。久しぶりじゃないか。オレのこと覚えていないか。春樹。宮田一樹だよ。」
「あー。あの宮田君。」
「イベント。にぎやかだな。試合観戦に来たの。」
「今日は電気工事の仕事で、ここに来てるんだよ。」
「そうなんだ。こんな時間まで忙しいな。仕事がんばれよ。」
春樹は高校卒業以来の一樹との再会だった。一樹は高校卒業後、電気工事の会社に就職。バッタリと再会した時には、一樹は、まだ仕事中であった。
「春樹。どこへ行っていたんだ。」
と、睦が春樹に問いかけると、
「あ、トイレに行ってた。」
と春樹は返答した。
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