第3話

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俺達はまるで段ボールに捨てられた子猫のように身体を絡めて小さくなって眠った。

何もない部屋で、雨音だけが響いていた。

目が覚めてからもお互いに離れる事が怖くて、俺はいつまでも涼の身体を抱いて髪を撫でていた。

窓の外はもう真っ暗だ。 

「俺ね…自分の事、ずっと要らない人間だと思ってた。」

涼が胸元で喋り始めた内容は幼い頃からの記憶で…俺には親の顔さえ思い出せないはずなのに、親の顔を分かっている涼の方が何倍も傷つけられているように感じた。


親は涼を見なかった。

ただそこにある感情の無い人形のように扱い、暴力と言葉でストレスの吐け口にし、最後には身勝手に捨てた。

その親は生きていて、俺のように思い出に変わらない。

今もまだ…涼は苦しめられていた。

必要じゃないという事を突きつけられ、絶望を数えている。

施設で暮らす俺を、人は可哀想な子と蔑んだ目で見たけど、俺をそれ以上苦しめるような事はなかった。完結していた。憎む親の顔さえ覚えていないんだから。


俺は涼を助けられるなんて思っちゃいなかった。ただ、側を離れたくなかった。安心だけを教えてやりたかった。涼の儚さは…苦しみ続けているせいなのを知ったからだ。


その日…初めて涼が泣くのを見た。

施設に外泊届けを提出していないから、帰らなければ色々とややこしい事になる。

そんな事で涼に迷惑を掛けたくなかった。

「今日は帰るよ…」

「晴弥…俺が好き?」

「好きだよ…涼が…好きだよ」

玄関で俺の胸元のシャツを頼りなく掴んでいた手が解けた。

俯いていた涼がパッと顔を上げていつもみたいにふんわり笑う。

あぁ…これだ…。俺は気付いていた。涼が自分の思いを口にせず、お利口にしようと全てを封じ込めた笑顔。これが俺がずっと苦しかった原因。

本当は帰らないでと、泣きたいんだ。

寂しいんだ。こんな暗い何も無い部屋に一人きりで…。

叩きつけるような雨音。

「涼…また来るからね。明日も学校で会えるし…俺、ちゃんと側に…涼…」

俺の言葉の途中で…涼が笑顔を向けてるくせに、ブラウンの瞳からは静かに涙が流れて頰を伝った。

俺は苦しくて、涼の事を抱き寄せた。

髪に何度もキスをして、出来るだけしっかり目を見て言った。

「外泊届け週末に出すから…待てる?」

涼は初めて…泣いてる顔をして、泣いた。

抱きしめて、背中を撫でて、キスをしてから部屋を出た。


その日から、涼の口癖は"晴弥、俺が好き?"になった。

不安を拭うために涼が選んだ精一杯の確認作業なんだと感じていた。

俺は涼が大切で、好きで仕方なかった。だから、いつも、大切に応えた。

涼が不安にならないように。安心してくれるように…。好きだよ、好きだよと。



週末になれば俺は施設に外泊届けを提出して、土日の休日を涼の家で過ごすようになった。

俺達はこっそりと幸せで、誰からも干渉されない日々を送っていた。


季節は巡って冬が訪れていた。

「映画行こっか?」

「映画?!うん!行きたい!!」

提案したのは俺からだった。

日々が過ぎて行く中で俺は、涼をもっと楽しませたかったし、幸せにしたかった。

高校生の俺達が出来る事なんてたかが知れていたんだ。

世間でいう普通のデートだった。

今まではずっと涼のアパートで隠れるように過ごしていたから。

平日のバイト時間を伸ばして、見栄っ張りに俺が全部奢って、彼氏らしく振る舞った。

涼は自分の分は出すよって煩かったけど、そんな事させなかった。

朝からアパートを出て、近くの大きな公園を散歩した。

途中クレープが売っていて、二人で一つをわけて食べた。

「クリーム甘っ!!」

「ふふ!晴弥、ついてるよ!クリーム!」

「マジ?とれた?」

指先で唇を拭うと、涼が俺の襟元を軽く掴んで引き寄せた。

屈んだ姿勢になった俺の唇の端を赤い舌先がペロっと舐め取っていく。

「涼…」

「デートなんだろ?ちょっとくらいいいじゃん。誰も見てないよ」

クスクス笑いながら先を歩いて行く涼。

俺は慌ててその華奢な後ろ姿を追いかけた。

「ちょっ!待てよ!取れたの?クリーム!」

「とーれーたよっ!」

二人でクスクス笑い合いながら、映画館へ向かった。

街の小さな映画館で、俺達は1番後ろの端に席を取った。

「ねぇ…空いてるのになんでこんな後ろなの?」

「分かれよ…鈍いな」

質問してくる涼にムスっと答える俺。

肘置きに置かれた涼の手を握った。

「…晴弥…」

一瞬驚いた顔をした涼。

それから、どうして俺が1番後ろの端に席を取ったのか理解して、ニヤニヤしていた。

「晴弥…俺が好き?」

そう聞かれる度にキスをして好きだよと囁いた。

涼は可愛かった。

素直で優しくて、思いやりが合って、面白くて…いつからか、本当に俺の全てだった。


映画館を出てお洒落なカフェに入った。

白を基調に作られた優しい雰囲気の店内で、涼の雰囲気を形にしたらこんな感じだと下調べをして見つけた店だった。

あんなボロい安アパートの何もない畳みの部屋は、涼にはあまりにに不釣り合いだった。


二人でコーヒーを飲みながらさっきの映画の話で盛り上がる。

席がソファーになっていて、そこで随分寛いでしまった。

街に出ると、季節は冬の始まりを告げるように、あちこちで冬服のセールをしていた。

ウィンドウショッピングがてら二人でブラブラ歩いていたら、綺麗なブルーのマフラーが目に入って、涼を連れて店に入って首にかけてみた。

「似合ってる!ちょっと待ってて」

俺は店の入り口のところで涼を待たせて、店員さんにそのマフラーをプレゼント包装してもらった。

手に下げた小さな紙袋を涼に手渡す。

「何?」

「やるよ。すげぇ…似合ってたからさ」

「マジで?…嬉しい。大切にするよ」

紙袋を胸元に抱えて微笑む姿に見惚れてしまった。

涼は…凄く綺麗だった。


涼の家に着いたのはもうかなり遅い時間で、俺はその日施設に帰らないとならなかったから、玄関まで送り届けて別れるつもりだった。

俺が帰ると言うと、玄関先で珍しく駄々をこねて今にも泣き出してしまいそうだった。

「明日学校で会えるから…な?」

そう言った俺にしがみついて、顔を胸元に埋めて首を左右に振った。

「涼…」

困った声を出しながらも髪を撫でて引き寄せてしまう。こんなワガママさえ愛しくて堪らなかった。

「今日ね…俺、凄い楽しかった。幸せだった」

「何だよ。これが最後みたいな言い方やめろって。また行こうな。今度はどこ行きたいか考えとけよ。絶対行こう…分かった?」

「…うん。ありがとう。晴弥…俺が…好き?」

俺は涼の唇を深く塞いだ。顔の角度を変えながら何度も深く…。

「好きだよ。涼が好き。」

離れた唇は正直に思いを告げ、柔らかな白い頰を指先で撫でた。

涼は真っ赤になって俯くと小さく頷いた。

冷たい風が吹いたから、部屋へ入るように言って別れると、鉄の無骨な階段を音を立てながら下りた。


俺達は、そうやっていつしか無防備に自分達を晒していたのかも知れない。

高校一年が終わる頃には、お互いに自分達しか見えて居ないような日常を送っていた。


人目を憚らず、想いは加速して、離れていると呼吸さえ苦しい程に感じていた。


2年に上がって、俺達はクラスが分かれた。

そこからだった。

涼の様子が目に見えておかしくなっていったのは。


俺は一年の頃よりもバイトの量を増やしていた。

卒業したら、涼と一緒に暮らすという目標が出来たから、使える時間は惜しみ無く働いたんだ。

週末には涼の家に泊まり、平日は学校が終われば遅くまで働いた。

そんなある週末、涼の家で、初めの異変を感じた。

夜になって、敷かれた布団の上に涼を組み敷いた時だった。

手首と脇腹に妙な痣…唇の端が少し切れていた。

唇は疲れてて噛んだんだって。手首と脇腹の痣は階段から落ちたと言った。

「痛いよな?やめとく?」

俺が紫に染まった脇腹を撫でると、涼は首に腕を絡めて俺の唇を塞いできた。

「してよ…抱いて…晴弥…」

薄いガラス細工みたいに綺麗なブラウンの瞳が揺れて、俺は我慢出来なかった。

「キツかったら言えよ…」

それを最後に、俺はその日、涼をいつものように抱いた。

制服から見えない部分に沢山キスマークを付けて、クラスが離れて会えない時間を惜しむようにした。

中を突いて腰を進めると、弓なりに反った妖艶な腰とは裏腹に苦痛に歪める顔。

俺はそれさえ、薄情にも綺麗に見えて興奮していたんだ。

涼の全てに心酔し切った俺には、何もかもが綺麗に見えて…。

俺は涼の事を…少しも分かって無かった。

2年になってからの涼は相変わらず一人きりで行動しているようで、お昼を俺と食べる以外は笑っている顔を学校で見る事はなかった。

夏空が綺麗に広がったある日。

俺と涼は秘密の屋上で時間を過ごしていた。

「ねぇ…」

「ん?どうした?」

「ここで…しない?」

「え?」

涼の提案は大胆で、俺はビックリして寝転んでいた身体を跳び上がらせて起きた。

「したい…ダメ?」

上目遣いは反則で、俺が口籠っている間に制服のスラックスのベルトを外され、チャックが下がる音がした。

やけに鮮明に…。

俺の脚の間に身体を埋めてまだ勃ち上がってないモノを涼が咥え込んだ。

グチュクチュっと鳴る唾液が絡む音。

屋外という開放感が頭を変にさせた。

「くっ…!涼っ!待って!そんなにしたらすぐ…」

「欲しいんだ、晴弥の。出して」

近頃…出会った頃に良く見せていた、笑っているのに泣いている顔を…また良くするようになっていた。

俺はそれに気付いていたのに…手を打たなかった。調べもせず、ただ真っ直ぐに涼との未来に向けてガムシャラに金を掻き集める事に忙しくて…。

「うっ!!くっそ…出るっ!」

俺は涼の口内に白濁を注いでいた。

息が上がって、肩が上下する中、涼は自分のスラックスを下げた。口から俺の出した白濁を手の平に吐き出し、自分の後ろに塗り込んで脚を開いた。

「挿れて…」

俺は…悪魔にでも取り憑かれたように引き寄せられ、膝裏に手を掛け乱暴に持ち上げたけど、コンクリートに涼の背中を擦るのが怖くて、壁に手をつかせた。

後ろから抱きつくように…涼を貫いた。

「はぁっんっ!…ぁっ!…あっ!んっ!んぅっ!晴っ弥っ!中にっ!!中に出しってっ!」

振り返って懇願する涼に俺は…パニックだった。

こんなに俺を求めて…一体どうしたっていうんだろう。

学校の屋上で、あんまりの非現実的なセックスに溺れて、俺は考えるより先に涼の中に吐き出してしまっていた。

「ぁあっ!…はぁ…はぁ…はぁ…晴弥ぁ…好きだよ…好き…」

俺はまだ自分の熱を引き抜けないまま後ろから涼を抱き竦め振り返る唇にキスをした。


ガクっと膝が崩れる涼の身体を支える。

俺自身を引き抜いたら…涼の脚の間を白濁が垂れ流れた。

「どうしよ…拭かなきゃ…ティッシュ…」

「いいからっ!…大丈夫…」

涼は下着ごとスラックスを引き上げた。

また…笑っているのに泣いてるような顔をして、俺に抱きついて、好きだよと繰り返した。

その日の午後からはまるで授業に集中出来なかった。 

あんな状態で涼が授業をうけているかと思うと、気がきじゃなかった。


いつもなら、チャイムと同時くらいに教室を飛び出してバイト先へ向かう。

だけど、今日はどうしても涼に会ってから帰りたかった。

自分の荷物を鞄に纏めて…教室を出たんだ。

廊下は蒸し暑くて…俺は額に少し汗をかいていた。

涼の教室を覗いたら、もう誰も残ってなかった。

涼…帰っちゃったのかな…

俺は辺りをキョロキョロしながら、少し続く廊下を歩いた。その時だ。ガタンと何かが倒れるような音が聞こえて、俺はゆっくり足を奥の普段使われていない資料室に向けた。上靴のおかげで自分の足音さえしないまま、物音のした教室へ近づく。

資料が保管されているせいか、普段から遮光カーテンがかかっていて、中は暗かった。

「やめっ!!ゴホっ…」

「何だよぉ〜、もっと嫌がれよ!このホーモッ!へぇんたいっ!!」

ドカッと鈍い音がする。

「良いんだぜ?先生にチクっても。あ!それよか鈴野に言ってやろうか?」

廊下に立つ俺は自分の名前が聞こえて固まった。

「それだけはっ!やめてっ!」

ドカッ!

「ゴホッ!ゔぅっ!」

「お〜!ゴキブリカマ野郎がうずくまっちゃって!痛いんでしゅかぁ〜?おいっ!返事しろやっ!!」

ガンッ!ガンッ!

中で呻く様な声がする。

俺は血の気が引いていた。

中に…涼がいる。

俺は教室の扉を勢いよく開いた。

そこには、三人の生徒と、うずくまる涼が居た。

「涼っ!!」

俺は駆け寄って涼の身体を抱き上げる。

「オイオイ、鈴野ぉ…なぁんでおまえが来ちゃうわけぇ?」

学年でも素行の悪い事で有名だった涼と同じクラスの奴らが騒ぎ立てる。

「晴弥っ!良いからっ!構うなよっ!」

「何言って」

「良いからっ!!」

リーダー格の…確か名前は黒崎…たくまだったかが口笛を吹いた。

「お姫様は助けていらないんだと!はぁ〜い!王子様さよおならぁ〜」

そう言いながら、俺の背中を上靴で踏み付けた。俺は涼を抱えながら無言で立ち上がる。

肩を貸しながら、教室を出て、廊下に座らせた。

「晴弥?待てよ!晴弥っっ!!晴弥っ!!」

もう、涼が俺を呼ぶ声は聞こえなかった。

俺は資料室の扉を開けて、後ろ手にソレを閉めた。

暗がりでケラケラと笑う黒崎達を睨みつける。

「いつからだ…」

「はぁ?」

「いつから涼に手、出してんの?」

「手出してんのはお前だろ〜!なぁ?」

「アハハハハ!!」

「いや、いいや、そういうの。ねぇ…答えて」

「気持ち悪りぃんだよ!男同士でヤッてんだろ?ケツってそんな良いんすか?」

「殺してやる」

俺の中で…張り詰めた糸がブチブチと音を立てながらキレていく。

ガラッと教室の扉が開いて、涼が足を引き摺りながら入って来た。

「晴弥っ!!良いから!!そんな奴等っ!おまえが相手しなくていいからっ!」

「じゃあ、おまえが相手する必要もねぇだろっ!!!」

俺は振り返って涼を怒鳴りつけた。

それからの事は覚えていない。

黒崎達をボコボコにやり込めて、俺は馬乗りになって、顔面を殴り続けていた。

必死に止める涼の声は…聞こえなかったんだよ。


気付いたら、保健室のベッドで…窓から入る風に白いカーテンがユラユラ靡いていた。

布団が重くて、視線を下げたら、丸椅子に座ってベッドに突っ伏している涼がいた。

俺は痛む腕を伸ばして涼の柔らかな黒髪に触れた。

ピクっと動いた涼が俺を見つめる。

「起こしちゃったな…ごめん」

呟くと、涼は俯いた。罰が悪そうに視線を逸らす。

「涼…いつから?いつからあんな目に」

「怖かったんだっ!!アイツら…俺達の関係知ってた。…学校中に言いふらすって。俺…俺は構わなかった。何言われたって平気だった。晴弥が…俺から離れて行くんじゃないかって…こんなややこしい事になったら…男の俺なんか…捨てられちゃうんじゃないかって…怖くて…怖くて…俺…」

俺は上半身を起こすと涼の腕を引いて抱き寄せた。

胸元に抱いた涼に呟く。

「腹立つなぁ…何で俺がおまえの事捨てるんだよ!…おまえは…ずっと俺と居るんだろ?!」

髪に唇を寄せる。

涼は身体を小刻みに震わせて…泣いていた。

泣きながら…言ったんだ。

「もう…一人は嫌だ…捨てられるのは…ぅ…ぅゔっ…怖い…」

俺は涼の頭を抱きしめながら溜息をついた。

どうしてこんなになるまで放っておいたんだろう。どうして俺は、気付いてやれなかったんだろう…。

バカな自分にほとほと呆れてしまって、涙も出なかった。

唇を噛みしめたら、殴り合ってキレた口の端から血の味が滲んだ。

涼はずっと一人で耐えていたんだ。

俺にバレないように…俺と居る為に…。

「もう…大丈夫だから。俺は誰にバレてもおまえと別れるつもりなんてないよ。それより、そんな事でおまえを捨てると思われてたのが…辛いよ」

「晴弥…」

涼はごめんと小さく呟いて…俺の胸に顔を埋めた。


翌日、俺には処分が出された。

夏休みまでの停学処分だ。

黒崎達の怪我が酷く、加害者は俺だという事になっていた。

理由を何度も先生に聞かれたが、俺は口を割らなかった。

涼を守りたかった。ただ、それだけだった。

俺が施設の人間だから、先生達も悪いのは俺だと疑わなかった。

黒崎達は怪我が回復次第の復帰を言い渡され、俺だけが重い処分となった。


黒崎達が俺が停学中に何か事を起こさないか…俺はそれだけが心配だった。

涼は俺が停学になったのを知って泣いていた。

自分が悪いって何度も俺に謝った。

だから俺は涼に口止めをした。

先生に理由は言わない事。絶対に。

じゃないと、おまえを守れないと言ったら、また泣き出してしまって、随分俺を困らせた。


停学処分を食らった俺はもちろん施設での外泊許可どころか、外出許可さえおりず、2週間もの間、涼に会えなかった。

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