第一章



「で、待ち人は来なかったと…」



溜め息を吐いたのは、この喫茶店で店長をしている蒼汰そうたさん。



「すみません…あたしの所為で濡れてしまって…」



会社帰りに喫茶店の向かいにある本屋で待ち合わせをしていたら、雨が降って来て傘を差し出してくれた。



待ち合わせの相手は、紹介で知り合った同い年の田中くん。



大卒で入社して5年になるが、これと言った出会いも無く、周りの友達の結婚が相次いで、凪沙なぎさは誰か良い人は居ないのかと、浮いた話が一つも無い私に、周りからは心配の声が寄せられていた。



出会いが無いと同期会でぼやいた事をきっかけに、紹介したい人が居ると言われ、最近連絡を取り合う様になった人。



それが田中くん。


田中くんも私も本が好きで、趣味が合った。



明日は二人共仕事が休みだから、いつもの本屋で待ち合わせをし、おすすめの本を買ってお茶でもしようと約束をしていた。



「タオル、使って」


「すみません…」



差し出されたタオルはフェイスタオルで、滴る髪の水分を吸い取ったらお役御免となった。



「ご迷惑をおかけして…」


「迷惑じゃないけど、雨は凄いな」



窓の外へ視線を向けると、アスファルトに跳ね返る雨が、雨量の激しさを物語っていた。



梅雨の時期は、いつも折り畳み傘を鞄に入れているのに、今日は本を買う予定だったから、いつもと違う大きめの鞄に持ち替えており、中身を入れ替える時に傘を忘れてしまった。



「その彼とは、まだ連絡取れないん?」


「はい…」



田中くんも社会人だから、急な仕事が入ったのかもしれない。それか、プライベートで何かあって、連絡が取れない状況にあるのかもしれない。



「とは言え、いつも待たされてるよな」


「え?」


「君は、いつも誰かに待たされてる」



蒼汰さんが、座っていたテーブル席まで、温かいコーヒーを淹れて持って来てくれた。



「サービスだから、飲んで」


「あ、すみません…」



いつまでも連絡のとれない田中くんを本屋で待ち続ける訳には行かず、外へ出たのが運の尽きだった。


近くにあるお店に入って待とうかとも考えたが、田中くんと入れ違いになったらいけないと思い、その場から離れず30分は本屋の前に立っていたと思う。



だけど突然降り出した雨に、傘が無い事に気づいて近くのコンビニまで走る事に決めた。



近くと言っても、歩くには少し距離があり、容赦なく打ち付ける雨が全身を濡らすのは一瞬だった。



歩くのも走るのも同じだけど、反射的に走り出してしまい、ストッキングもパンプスもずぶ濡れで…急な雨で自分と同じ様に走っている人が何人か見えた。



そんな状況だったから、背後から追って来ている人に気づかず、腕を掴まれた衝撃で転げそうになった。



「ナギちゃん!」


「…蒼汰さん!? えっ!吃驚した!何かと思った!」


「ごめん!ずっと名前呼んでたんだけど!」



雨の音が煩くて、会話をする声量が大きくなる。



「え!?」


「兎に角!こっち来て!」



自分の傘を目一杯差し出して来るから、申し訳ない程全身が濡れている。



「ダメだ!一回店に入ろう!」



言われるがまま手を引かれ、来た道を戻らされた。




「雨が落ち着くまでここに居たらいいよ」


「助かります…ほんとに…」



ただ、濡れたストッキングが肌に纏わりついて気持ち悪い。



「すみません…」


「何?」


「ちょっと着替えたいんで、お手洗い借りて良いですか?」



立ち上がると、蒼汰さんも立ち上がり「構わないけど、大丈夫?」と心配された。



「裏に控室があるから、そこ使っていいよ」


「すみません…何から何まで」


「案内するよ、おいで」



言われるまま付いて行き、広くはない場所へ通される。



「着替え持ってるんだ?」


「あ、いや…はい」



流石にストッキングを脱ぎたいとは言えない。



「服、貸そうか?」


何を思ったのか、良からぬ提案をしてくる。



その意図がわからず、視線を送り返すと「何?」と、問いかけられた。



「服って…」


「店の制服で良ければ、新しいのがあるから。シャツとズボンぐらいなら貸せるよ」



そうゆうことか…



「蒼汰さんが着替えなくて良いんですか?」


「俺は着てきた服があるから」



そう言って、徐に棚を漁り出し、まだ包装された状態のシャツを手渡された。



「ズボンどうする?」


「履いてみます。良いですか?」


「良いよ。そのままじゃ風邪引くよな…」



着ていたブラウスとスカートは全滅で、鞄に入れていたカーディンは無事だった。



「じゃあ、お借りします…」


「濡れた服、ここに掛けるところあるから。ハンガー使って」


「すみません、助かります…」


「この部屋鍵かかるから、ここ」


ドアノブの下を指差し、鍵の位置を教えてくれた。



「ありがとうございます…」



一人になった空間で、教えられた通りドアの鍵をかけ、何気なく部屋の中を見渡して見た。



事務所とまではいかないけど、デスクとは別にテーブルや椅子が置ける広さはある。



ロッカーや棚が壁に置かれていて、物置兼、事務所って感じにも見えた。



店内へ戻ると、ブラインドが下ろされている。



「あれ…もうそんな時間ですか?」


「いや、この雨だしな。俺も着替えたいし。今日は閉めようかなって」



時刻は20時を回っていた。このお店の閉店時間は23時だったと記憶している。



「すみません…ほんとに…」



申し訳ないのに同じような事しか言えない。



「いや、どっちにしてもこの雨だと今日はお客さん来そうにないから」



つくづく優しい人だと身に染みて感じる。



「着替え大丈夫だった?」



シャツと黒いスラックスはどちらも少し大きいサイズに違いはないが、一時的に着替えるには十分だった。



「はい。助かりました」


「じゃあ俺も着替えてくるから、座っててよ」



決して広くはないお店。



蒼汰さん以外にフリーターのじゅん君がバイトをしていて、他に従業員は居ない。


テーブル席は奥に三席しか無く、あとはカウンターが並んでいる。


純君は他でもバイトを掛け持ちしていて、ここへは週3日程度しか出勤していない。今居ないところを見ると、今日は休みなのだろう。



オフィス街に位置付いているこのお店は、元々おじいちゃんの物だった。


高度成長期に建てられたビルを購入し、一階で喫茶店を営んでいた。喫茶店の上は賃貸住宅となっており、家賃収入もあったと聞いている。


情緒溢れる街並みはビジネス街へと変化し、集う人は地域住民からビジネスマンやOLに変わった。


おじいちゃんの時代から好まれるものが変わってしまい、古くなった住宅を借りる人も減ってしまった。



おじいちゃんの跡を継ごうとする親族はおらず、おじいちゃん自身も、そろそろ潮時だと決意し、やり切ったようにビル事お店を手放した。



買い手が決まったと知らされたのは、私が高校生の時。


このお店を買ったのが、今の店長の蒼汰さんである。



もう少し古いイメージだった喫茶店は、天井や壁のクロスは綺麗に張り替えられ、床やトイレもリフォームされていた。



さっき着替えた部屋も、昔はただの物置で、倉庫のような感じだったと記憶しており、足を踏み入れたのは一度や二度だったように思う。



上の賃貸住宅もリノベーションを行い、多種多様な人達で満室となっているらしい。



バイトの純君も、実は上の階の住人だったりする。



内装は当時のままで、レトロな雰囲気を残しつつ、清潔感ある空間は居心地が良かった。



「まだ止みそうにないな」



蒼汰さんは戻って来るなり、雨の様子を気にしていた。


久しぶりに見た私服姿に、思わず視線を逸らしてしまう。何が恥ずかしいのか…勝手に気まずい。



私が高校生の時にはこのお店を経営していたのだから、今は30代後半か40代とかになるのかもしれない。これまで年齢を気にした事がなく、聞いた事もなかった。



実際いくつになるのか知らない。


私服だけ見ると、年齢不詳も良いところだ。



カウンターに座っていた私の隣、二つ分の席を開けて座るとスマホを取り出した。



「ナギちゃん、電車止まってるよ」


蒼汰さんが画面を見つめたまま呟いた。



「え?止まってます?」


「ナギちゃん南線だった?」


「はい」



思わず立ち上がり、席二つ分の距離を埋め、座っている蒼汰さんの肩越しにスマホを覗き込んだ。



「え?ほんとだ…」


自宅へ帰る交通手段を遮られてしまった。



タクシーとなると金額がかかるし、そもそも電車が止まったならタクシー乗り場も混雑しているに違いない。



何故ならここはオフィス街。


働く人達で溢れている。



絶望が言葉を失わせた。



「ナギちゃん」



蒼汰さんが私を避けながら振り返った。


近づき過ぎた距離の所為だと分かり、隣の椅子まで少し後退して見せる。



「送って行くよ」 


「え…?」


「俺も帰るから」



願ってもない有り難い提案だけど、



「実は今日、自宅に鍵を忘れてしまって…」



実家暮らしの私は、傘と一緒に鍵も忘れていた。



「家の人は?」


「そうなんですよね…」



両親は、おじいちゃんの荷物の整理をする為、おばあちゃんの所へ泊まりに行っており、あれだけ鍵を持って出なさいと言われたのに。鞄を変えてしまったから…



鍵を忘れたと気づいた時に、すぐに弟へ連絡をしたけど、22時ぐらいまでは帰らないと返事が来たから、田中くんと会う約束をしていたし、それまでは時間を潰せるなと昼までは呑気に構えていた。



「もう一度連絡してみたら?この雨だし」



そう言われて、早く帰宅してるかもしれない弟へすぐ電話をかけた。



急いでいるから電話をしてるのに、出ない…



焦りが不安に変わりそうになった時、弟からメッセージが届いた。



「なに言ってんのこの人…」



弟から届いた内容は「電車止まった。帰れない。友達の家に泊まる」と言うものだった。



直ぐ様「私鍵ないんだけど!」と打ち返したら、「近くに友達いねぇの?無理ならホテルとか泊まれねぇの?」と返事がある。



泊めてくれるような友達は近くに居ないし、会社の人もそんな事を頼めるような人が近くには住んでいない。



「ホテルかぁ…」



選択肢は残っておらず、弟に「最悪だ…」と送り返したら「鍵忘れたナギが最悪」と返って来た。


私が姉なのに、悲しいくらいなめられている。



だけど再びメッセージが届き、職場周辺で直ぐに泊まれそうなビジネスホテルの情報を送って来てくれた。



「ナオくん…」


思わず弟の名前を口ずさむ。



何だかんだ面倒を見られているのは姉の私…



「何とかなりそう?」


席に着いてスマホにかじり付く私に、向かいから蒼汰さんが声を掛けてくる。



「どこも満室になってます…」


弟が送ってくれたビジネスホテルの情報を頼りに、スマホからネット予約を試みたが、次々と空室が埋まっていく。



この雨で、皆考えることは同じなのだと悟った。



「コーヒー淹れ直したから飲んで」


カウンターから手渡されたコーヒカップを受け取る為、スマホを置いて立ち上がった。



「ほんとにすみません…」


私の所為で、蒼汰さんも帰られない。



「ナギちゃんの所為じゃないだろ。この雨の所為だろ」



だけど私が鍵を忘れなければ…傘を持ち歩いてさえいれば…そもそも田中くんが待ち合わせ時間に来ない時点で潔く帰宅していれば良かった…



待ちぼうけを食らった挙句、人に迷惑をかけていたら様はない。



蒼汰さんもコーヒーカップを持ち、また二つ分の席を開けて並びに座った。



「俺は大丈夫だから。ナギちゃんの帰る場所を決めないと」


「蒼汰さんの優しさが身に染み渡ります…」


「え?」



何が引っかかったのか、聞き返して来た口調が笑いを含んでいる。



「優しいのは君の方だろ?」


私の発言が可笑しいと言わんばかり。



馬鹿にしている様な口調ではなく、穏やかな話し方だったから気分は悪くない。



そもそも蒼汰さんに気分を害された記憶はない。



「君が優しいから、皆が君に優しくしてくれるんじゃないの?」


「雨は私をこの場に留めましたけどね…」



日頃の行いが悪かったのかと思わせるには、十分な予定の狂い方をしている。



「こんな日もあるよ」


カップを片手にコーヒーを嗜む仕草は見惚れてしまいそうな程、様になっていた。



「蒼汰さんって…」



聞いてみたい事が雪崩れ込んでくる様に、突然脳裏を過ぎる。



「何?」



交じり合う視線に、聞きたかった筈の欲望が急速に冷めていった。



「いえ…」



興味本位にも程がある。ここまでお世話になっておいて、プライベートな事を聞き出そうなんて図々し過ぎて自分をど突きたくなった。



「ナギちゃんは、どうして広告代理店に就職しようと思ったの?」



気を遣って話しかけてくれる蒼汰さんに、只々申し訳なく。興味本位でプライベートを聞き出そうとした自分が恥ずかしい。



「好きなものが見つからない人に、好きなものを見つけて貰いたくて、この仕事を選びました」



少し分かりにくかったかなと思い、



「もっと飛躍したいとか、方向性を変えたいとか、様々な悩みや課題を伺って、自分達が提案するプロモーションを、こうゆうのが好きだったんだよとか、こうゆう感じにしたかったんだよって、見つけて貰えたら嬉しいなって」



噛み砕いて話したつもりが、何だか面接時の志望動機みたいな説明になってしまった。



「分かりにくいですよね…」


「いや、分かりやすかったよ。ありがとう」


「…あたしも聞いて良いですか?」


「何?」


「元々喫茶店をやりたかったんですか?」



高校生の時には、ここを売買した経緯なんかはもちろん理解していない。



「そうだな…でもここでやろうとは思ってなかった」


「そうなんですか?」



知らない頃の話を聞けれそうで、少しワクワクしてしまった。



「独立したくて雇われてた店を辞めたんだけど、世の中そんなに上手くできてなくて。思った所で思う様な店舗が見つからなくて…」



そんな時、不動産屋から全く検討していなかった物件を紹介されたらしい。



「それがここだった」



賃貸の店舗を探していて、買い取るなんて検討もしていなかったのに。ビルの活用方法を不動産屋から提案され、一度見に行く事にしたらしい。



「その時に、誠一郎さんに初めて会った」



誠一郎さんとは、私のおじいちゃん。



「最初、君には売りたくないって言われた」


「えぇ?」



これにはかなり驚いた。



「おじいちゃん頑固ですよね…」



だけど直ぐに納得はできた。



「でも、蒼汰さんと仲良さそうに見えましたよ?」



高校生の自分には見えない背景があったのだろうか。



「それは、ナギちゃんが居たからだよ」


「私?」


「君があまりにも嬉しそうに言うんだ」



話している内容の状況を思い出したのか、蒼汰さんが柔らかく微笑んだ。



「おじいちゃんのお店続くの?無くならないの?って。あんな嬉しそうに言われたら、誠一郎さんも売るしかないよな」



当時の事は断片的にしか覚えていない。私の記憶では、初めて会った時は買主としての蒼汰さんだった。



「ナギちゃんが、誠一郎さんと何度も通ってくれたから。仲良くなれたんだと思う」



私はただ、おじいちゃんの好きな場所で、おじいちゃんと一緒に、限られた時間を過ごしたかっただけ。



「君はいつも、誠一郎さんを待ってた」


「はい…」


「待ち合わせの時間まで余裕があるのに、いつも君は走ってた。充分間に合ってるのに。必ず「間に合った」って言ってた」


「…そうでしたね」



重要なのは時間じゃなかった。おじいちゃんよりも先に着いて、待っている事が重要で…



「誠一郎さんは、君にとんでもない呪いをかけて逝った」



言葉とは裏腹に、その優しい言い方が頭の中に浮かんでは消える。



「誠一郎さんは寿命だった。君の所為じゃない」


「はい…」


「君は待ち合わせの時間には充分間に合っていた」



でも私はあの日、先に到着する事が出来なかった。



「時間は命だって、言われてたのに…」



先に到着していたおじいちゃんは、珍しく自分が先に来た事で、



「走ってくる孫の姿を拝むとしようか」


そう言って、蒼汰さんに笑って話たらしい。



外で待とうとしたのか、何かを取ろうとしたのか、誰も見ていなかったから状況はわかりにくい。



だけど、おじいちゃんは立ち上がった。その拍子に、倒れた。



私はその時、走っていた。



まさか待たせていたとも知らずに…


救急車とすれ違ったのは覚えている。



お店の前は少し騒然としていて、鳴り響く着信音がやけに嫌な予感を助長させた。



「心臓発作だったんだ。誰にも防げない。君にも、俺にも」


「はい…」


「君の所為じゃない」


「わかってます…」


「じゃあどうして来なくなったの?」


「……」


「あれから君は、ここへ来なくなった」



行けなくなってしまったと言った方が正しい。


思うところは色々あったけど、考えずにはいられない。



自分があの時、誘わなければ…


待たせなければ…


変えようのない過去を、考えずにはいられない。



「今日君を見かけて、また誰かを待っているんだなと思った」


「すみません…」


「どうして謝る?」


「わかりません…」


「君はいつも待たされてる。人に、過去に。今ですら、置き去りにされている」


「私は…」



待たせるぐらいなら待つ方が良い。


あんな事になるぐらいなら…



「誠一郎さんの呪縛から解放されないといけない」


「…おじいちゃんは何も悪くない…」


「そうだな。君も何も悪くない」



そんな事を言われても、どうしたら良いか分からない。



「明日は誠一郎さんの一周忌だろ?」


「はい…」


「しっかり向き合って来た方が良い」


「はい…」


「またコーヒーを飲みに来てよ」


「はい…」




降り止まない雨の音に混ざり、お店の外から声が聞こえた。



「…お客さんですか?」


「いや、閉店してるから違うと思う」



立ち上がった蒼汰さんは、お店の出入口へ向かい、隣の窓のブラインドから外を覗き見る。



「あ、純だ…」


「え?」



思わぬ名前に、思わず声が大きくなる。



蒼汰さんは出入口を開けて、来訪者を招き入れた。



「蒼汰さん!やばいっすよ外!」



雨音と一緒に現れた純君は、私が知っている一年前と、何も変わっていない。



「急にどうした?」


「いや、店の電気点いてるのに閉店になってるから心配になって来たんすよ!この雨だし、何かトラブルでもあったのかと思って!」


「いや、もうお客さんも来ないかなと思って閉めた」


「え?でも、居ますよね、あそこ…」



店内に入るなり、私の存在に気づいたであろう純君は、まだ私だとは気づいていない。



「あぁ、ナギちゃんだよ」


「え?」


「この雨でビショ濡れだったからここへ避難したんだけど、」


「凪沙さーん!!」


「って、聞いてねぇし…」



私の名前を叫ぶなり、走り寄って来た純君は勢い良くハグを求めて来た。ほぼ強制的に。



「純君…ひさ、久しぶりだね…」



飛びつくように抱き締められ、あまりの勢いに身体がぎゅうぎゅう詰めにされている。



「凪沙さん!何すか!居たんすか!連絡下さいよ!」


「連絡先知らないからね…」


「あ!そうでした!じゃあ交換しときましょう!今しかない!」


「あ、うん、うん、待って、離れて…」



フットサルをやってる純君は、足が早いとは聞いていたが、腕の筋肉も中々だ。



「何すかその格好?あれ、ここのユニフォーム?」


「あぁ、うん、そう、服も濡れちゃって、貸して貰ったの」


「めちゃくちゃ店員ぽいっすよ!可愛い!」


「うんありがとう。じゃあ純君これ、登録できる?」



スマホに写し出された番号を見せる。



「これで凪沙さんといつでも連絡とれますね!」


「とる?とるかな?いつもとるかな?」


「凪沙さん、久しぶりに現れたと思ったらこんな雨の日じゃなくても良いのに」


「確かに。確かにそうだね…ただ、あたしはここに来ようとした訳じゃ…」


「あぁ!雨宿りしてるみたいな事言ってましたね!」


「そう、そうなの…帰れなくて」


「電車止まってますからね。どうするんですか?」


「だから今、ネットで泊まれる場所を探してて…」


「え?泊まる場所?」


「そう、寝れるところ」


「寝るだけならうちに来ますか?」



なんて言った?



「寝るだけならうちに来てもらって良いですよ!布団あるし、寝る服も貸しますよ!」


「え…」



ちょっと迷う。どうしよ…



純君なら素性が知れてるし、いつまでも見つからない宿泊先を探さなくて良いし。



ただ…



「純、ナギちゃんは大丈夫だから」


「でも、凪沙さん帰れないんすよね?」


「今泊まるとこ探してる。決まったら俺が送って行くし」


「そうなんすか?じゃあ安心っすね!」


「純もコーヒー飲むか?」


「いや、良いっすよ!俺のは良いっす!凪沙さんにも会えたし、店も無事なら問題ないっす!」


「ありがとな。顔出してくれて」


「そりゃそうっすよ!俺ここ大好きなんで!何かあったら行って下さいよ?」



純君の騒がしい優しさに、少し沈んでいた気持ちが落ち着いた。



絶対また来て下さいよ!って何度も言われて、雨に濡れちゃうから早く行きなよ!って言っても、何度も振り返って手を振ってくれた。



「ナギちゃん、純も男だよ」


「はい…」



私の思考を理解しているかの様に、直ぐ様言葉をかけられた。



「この状況が申し訳なさ過ぎて…純君の家なら良いかなと思ってしまいました…」


「ダメだろ」


「はい…」



蒼汰さんは間髪入れず、私の考えを一刀両断した。



「ナギちゃんさ…」


「あ…」



蒼汰さんの言葉を遮ったのは、スマホのメッセージが届いたから。



「田中くんだ」



カウンターに置きっぱなしのスマホの液晶画面に、田中くんと名前が表示されている。



「良かったな、連絡来て」



蒼汰さんが座り直して背を向けたから、スマホを手に取り、メッセージを確認した。



「蒼汰さん…」


「ん?」


「田中くんは無事でした」


「うん」


「今日来れなかったのは、好きな子に誘われてそっちを優先してしまい、私に断りを入れるのも忘れて…」


「待て待て待て」



蒼汰さんが椅子を反転させ、こちらに体を向けた。



「何?好きな子?」


「はい。田中くんには好きな子が居て、」


「待って…いや、おかしいだろ」


「え?」


「ナギちゃんの彼氏じゃないん?」


「誰がですか?」


「田中くん」


「違います」


「え?紹介して貰ったって言ってなかった?」


「最初はそうなんですけど。実は田中くん、その紹介してくれた同期の子が好きで、なのに私を紹介されたからヤケクソになってたんです」


「はっ?」


「お互いの恋愛相談してる内に仲良くなって、趣味が同じだったり、時々本屋で待ち合わせしてたんですけど。好きな子と良い感じみたいなので、もう二人で会うのは無しですね」



田中くんが、好きな子と気持ちが通わせれたのか今は分からない。でも、こんな雨の日に田中くんが好きな子と一緒に居れたなら、待ちぼうけもチャラで良いかなと思える。



「蒼汰さん?」



口を閉ざしてしまったから、近くまで行き、向かい合った。


立っている私と、座っている蒼汰さんの目線が近づく。



「ナギちゃんさ、」


「はい」


「俺、今日だけじゃなくて…時々見かけたんだ」


「え?」


「向かいの本屋で待ち合わせしている君を」


「え?」



確かに、田中くんとは何度も向かいの本屋で待ち合わせをした。好きな作家さんの本の発売日には、田中くんと一緒にキャーキャー言いながら購入したものだ。



「君はいつも待たされてて、後から男の子がやって来る。あれが、田中くん?」


「だと思われます」



頷くと、蒼汰さんは代わりに溜め息を吐いた。



「君がこの店に来なくなって、誠一郎さんの事があったから…それでも君が笑ってるのを見れた時、新しい世界で生きようとしてるんだなって思った」


「新しい世界?」


「だから声をかけなかった…俺やこの店が、前へ進もうとしている君の、足枷になりそうで…」


「そんなこと…」


「田中くんが隣に居てくれるんだなって…」


「田中くん…?」


「田中くんじゃない彼氏が居る?」


「い、いないです…!田中君と会いながら彼氏と付き合えるような器用な事出来ないです」



急にどうしてこんな話を…



「もっと早く声をかければ良かった…」


「え?」


「君を待ち続けて一年だ」

 

「え?え?」


「ナギちゃん、」



蒼汰さんは私の手を握り、自分の足の間へ体を引き寄せる。


更に近づいた距離に、思考回路が限界突破しそうになった。




「ずっと好きだった」



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