わたしの夏休みは、殆どの時間を図書館で過ごす日々で、亜美から遊びに行こうと誘われたのは、夏休み最終日のことだった。



クラブ活動で使用した部室の鍵を亜美が返さずにずっと持っていた所為で、学校から連絡があったと、わたしに連絡をして来た。



返しに行きなよと返事をしたわたしに、亜美が付いて来て欲しいと頼んで来た事により、わざわざ制服に着替えて付き合う事になった。



そして、折角ここまで来たんだから、遊んで帰ろうと言う話だ。



まんまと亜美の思惑に乗せられてしまい、バスに乗ってそう遠くはない繁華街まで移動した。



わたし達が通うたちばな高等学校こうとうがっこうは、10年程前まで「たちばな女学院」とゆう女子校だった。戦前からある由諸正しい学校である。



共学に変わって以降も、その歴史ある風習は変わらず、学校以外においても、私生活や遊び方について指導が入る程で。



繁華街にあるゲームセンターやカラオケには学生だけで遊びに行ってはいけない。これは校則の一つにある。



ただ、今時そこまできっちり守っている生徒はおらず、私服でこっそり遊んでいる生徒が居るのも事実で。わたし達に関しては、制服を着ている為、当然校則違反はできない。



学校帰りに遊んで帰るのも校則違反になる為、制服で街を彷徨うろつくのは、こんな日でもなければ実現しなかった。



橘高等学校の制服は共学になったと同時に一変し、昔はワンピースタイプの制服だったと聞いている。現在は女子がセーラー服で、男子は学ランを着用している。



夏服のセーラー服には、橘の紋章が刺繍されており、見る人が見れば、すぐに橘だと分かるかもしれない。



「お茶して帰らない?」



亜美がそう言ったのは、散々店を周らされ、散々写真を撮らされ、そろそろ帰りたいと思っていた矢先の事。



「どこで?」



繁華街に詳しくないわたしは、亜美に疑問を投げかけた。



「隣のクラスのユミちゃんが、良い雰囲気の喫茶店があるって言ってて、そこのトーストサンドが美味しいって言ってた」



もはやお茶ではなく、食事じゃないかと、思っただけで口にはしなかった。



「お茶したら帰る?」


「うん。そうしよ!」



程々歩き疲れていたとゆう事もあり、少し休むくらい良いかなと、喫茶店へ行くのを了承した。



隣のクラスのユミちゃんによるお墨付きの喫茶店は、カフェのような洒落た雰囲気もあり、喫茶店のようなレトロな雰囲気もあり、大人が好む様な落ち着いた空間だった。



「2名様ですか?」


店員に声をかけられ、制服で入るのは場違いじゃないかと不安が過ぎる。



「はい」


弾む声で返事をした亜美は、全く気にしていないようだった。



広く仕切られた空間を、奥の席へと案内される。夏休み最終日とは言え、制服姿が珍しいのか、喫茶店の客層に女子高生は少ないのか、通り過ぎ様の視線が気になってしょうがない。



「彩、こっちこっち」


歩くのが早い亜美は、案内された席の前に立ち、手招きをして名前を呼ぶ。



鞄を握り締め、歩くスピードを早めようとした時———



「っ…」



捕まった。



いや、正確には手を掴まれて後方に引っ張られた。



驚いて声も出ず、引っ張られた反動で後ろへ振り返る。



「彩ちゃん…?」



わたしの手を引いたのは、



「四季くん…!」



嬉しさよりも驚きがまさって、大きな声が出てしまった。



「彩ちゃんどうしてここに?」



立ち上がっただろう四季くんは、座っていたテーブル席から身を乗り出したようで…



上村うえむらさんのお知り合いですか?」



四人掛けのテーブル席に座ったままの女性が、声をかけている。



「あ、はい」


四季くんはわたしの手を離さず、その女性へ言葉を返した。



「四季くん…?」



手を引かれたままだったわたしは、彼へ視線を向けた。



「何だ?おまえ女子高生の知り合いが居んのか?」



更に女性の隣から、おじさんが言葉をかける。



「…彩ちゃん、後で話そう」



引き止めておいて、彼はわたしを遠ざける。



手を離されたと同時に、四季くんは席へ戻り、わたしの方は見なかった。



「彩…?」


亜美が再び声をかけながら近づいて来るのが分かり、わたしもその場を離れた。



「ねぇ、今の四季くん?」


「うん」


「ねぇ、仕事じゃないの?」


「知らない」


「ねぇ、女の人居なかった?」


「うん」


「ねぇ、何怒ってんの?」



亜美の言う通り、わたしは怒っていた。



こんな状況じゃなくて、偶然四季くんに出会えていたら、わたしも当たり前に嬉しさを表現していた。



お盆にお墓参りに行った日以来、四季くんとは会っていない。わたしは夏休みだけど、四季くんは当然仕事があって…別にそれをどうこう言うつもりもない。



ただ、久しぶりに会ったにも関わらず、彼の態度が素っ気ないのと、



「何に腹を立ててるの?」


「同席してたおじさんと女の人が、嫌な目でこっちを見てた」



彼がわたしを避けた気がした。



「え?どんな目?」



少し離れていた所為で、亜美には見えなかったらしい。



「何か、目線が…」


「どんな感じ?」


「言い方もだし」


「え?どんな言い方?」


「女子高生と知り合いなのか?って」


「言われたの?」


「四季くんがね」


「四季くんが、女子高生と知り合いなのかって言われてたの?」


「うん」


「それが嫌な言い方だったの?」


「目線もね」


「…ねぇ、」


「何?」


「不機嫌になると語彙力が下がる癖、何とかしてよ…」



亜美が呆れた様に溜め息を吐いた。



「四季くんが嫌な言い方をされてたから、腹が立ってるって事?」


「四季くんに言ってるようで、目線はわたしに向けられてた」


「またややこしい事を言い出した…」



呆れる亜美を尻目に、後方に離れて座っている彼を盗み見る。



仕事相手なのか、会社の人なのか。どちらにせよ、わたしに向けられた視線は、明らかに嘲笑うような雰囲気だった。



わたしを…と言うよりは、わたしの顔や髪型を舐める様に見る女性と、わたしの制服を一瞥いちべつするおじさん。



どちらも、わたしと四季くんの関係を見定めているみたい。



「四季くんも四季くんで、気まずそうにするなら最初からわたしなんて無視すれば良いのに」



引き止められなかったら、わたしは気づいていなかったと思う。



「なるほど。折角会えたのに、四季くんが感じ悪かったから不機嫌なんだ?」


「一対一の調和が取れてない」


「はい?」


「明らかにわたしが部外者だった」


「なに?」


「三対一だった」


「あのさ、そろそろ機嫌直してくんない?何言ってんのかさっぱり分かんないから」


「わたしの知らない世界。四季くんの大人の領域。学生のわたしが踏み込めない世界に居る」


「は?」



雰囲気が違った。わたしの名前を呼ぶ声も、視線を合わせようとしないのも。いつもなら、私の名前を呼ぶ声が、もう少し距離が近い。他人行儀な「彩ちゃん」と言う呼び方に、壁を造られた気がした。



逸らされた視線に、四季くんの世界から追い出された気になる。



「それはさ、社会人だからしょうがないと思うよ?」


「わかってる」



やっと理解が追いついた亜美と、話を続けた。



「仕事中に、偶然彼女見つけたからって、仕事仲間の前でデレデレ出来ないでしょ」


「四季くんはそんな人じゃない」


「いやだから、」


「どこで会ってもデレデレなんてしない」


「あ、そっち?」


「四季くんは場所がどこでも、どんな状況でも、態度や話し方が変わる人じゃない」


「いや、デレデレはしないかも知れないけど。彩が不機嫌になるような態度とられてるじゃん」


「だから違和感」


「え?」


「四季くんは会社の人と居ても、友人と居ても、多分わたしを見かけたら、いつも通り話しかけてくれるような人」


「でも、」


「うん。だから、違和感」



やばいって表情をしたのを、わたしは見逃さなかった。四季くんはわたしを引き止めたと同時に、やばいって雰囲気を出した。



それは、女性が言葉を発した直後だった。



「まるで、わたしとゆう存在を知られた事に、躊躇ちゅうちょしてるみたいだった」


「彩の存在を知られたくなかったって事?」


「…むかつく」


「いや、そうだって言ってんじゃなくて、質問したの。クエスチョン。わかる?」



亜美の言葉に「わかる」と頷いたら、「わかってないじゃん…」と呆れられた。



「あ…! 彩…、四季くんお店出るみたいだよ…」



亜美がわたしの後方へ視線を向けたまま、小声で話しかけて来る。



「あ…こっちに来てる…」


「え?」


「四季くんがこっちに来てる…!」



実況中継を行う亜美の言葉通り、



「彩ちゃん」



ダイレクトに届いた名前。


振り返ると、四季くんが立っていた。



「彩ちゃん、後で連絡する」


せわしない話し方をする四季くんに、違和感しか感じない。



「先に出るから」


そう言った彼は、亜美にも「また」と声をかけていた。



「彩ちゃん?」


「四季!」



返事をしないわたしの代わりに、四季くんと一緒に居たおじさんが四季くんを呼ぶ。



「彩ちゃん?」


それなのに、四季くんが再びわたしの名前を呼ぶ。



「彩…!」


亜美までわたしの名前を呼ぶから、大きな溜め息がこぼれた。



「上村さん?」


おじさんに変わって四季くんを呼びに来た女性が、すぐ近くでわたしを見る。



「彩ちゃん」


「上村さん、社長が呼んでるんで行きましょう」



その女性の言葉に、四季くんの表情がまた変わった。



「じゃあ…」


四季くんが背を向けて歩き出してしまう。




「まるでお飯事ままごとね」


その背中を追うように、女性が要らぬお土産を残してくれた。

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