車に乗り込んで、腕時計を確認する。彼女の自宅までの最短距離を考え、車を発車させた。



「彩ちゃん」


「ん?」


「疲れたよね…」


「そんな事ないよ?凄く楽しかった。四季くんありがとう」



暗がりの中で、彼女が微笑む。



「楽しいと…離れるのが寂しいから。今はね、少し切ない」



何て言葉をかけてあげれば良いかわからず、彼女に手を差し伸べると、彼女が両手でその手を握り締めた。



「四季くんありがとう」


「…うん」



支えになりたいし、少しでも気持ちを楽にしてあげたい。だけど何も出来ていないし、何もしてあげれていない。気持ちに寄り添えているのかすら、定かではない。



「四季くんの手、好きなの…」



彼女は左手を握り締めたまま、指を開いたり閉じたり、自分の手と握り合わせたり、忙しなく触る。



「持って帰りたい」


「え?」


「それは怖いよね」


「いや…」



彼女はクスクスと笑いを漏らす。



「四季くんの一部が、いつもわたしの傍にあればいいのにって思う時があって…有りもしない事を考えては、また四季くんが恋しくなる」


「彩ちゃん…」 


「困らせる事ばかり言って、ごめんね」



君を困らせているのは、他でもない自分…そう思うと、情け無くて寂しくて、恋しくて…切なくなった。



彼女の前では大人で居たいのに、彼女とゆう存在が離れ難い。



格闘する気持ちの中で、俺はまた彼女にずるいと言われてしまうのか…



「彩ちゃんはどうしたい?」



彼女が握り締めたままの手に力を込めた。こちらに向けるその表情がうれいを帯びている。



「まだ四季くんと一緒に居たい…」 



彼女は気づいているのだろうか…


俺が君にそう言わせている事を。



自宅に招いたのは、あの日依頼…



何もなかったし、何も起こらない様に慎んで過ごした。自分のタガが外れれば、一線なんて優に超えてしまう。




「四季くん、四季くん!」


「何?」


「どうしたのこれ?」



彼女はリビングに入るなり、テーブルに置かれた置物を見つめる。



「あぁ、それゴルフの景品」


「えぇ…?可愛いね…」


「あげようか?」


「えっ?」



彼女は驚いて振り返る。



「良いの?」


「いいよ」


「四季くんが貰ったのに?」


「俺が持ってても使わないし」


「嬉しい…四季くんありがとう…」



誰が選んだかも知れないその置物に見えるモバイルバッテリーの充電機を、心底嬉しそうに手にする彼女の姿を見て、もっと良い物を贈ろうと誓った。



「彩ちゃん」


「ん?」


「暑くない?」


「うん」



急いで点けたクーラーの冷気が、無駄に広いリビングを快適な温度へ導くにはまだ少し時間がかかりそうだ。



「何か飲む?」


「大丈夫…四季くんは大丈夫?」



自分の元へ駆け寄り、彼女は顔色を見つめてくる。その目にかかっている前髪を指で左右に流すと、彼女の瞳がしっかりと見開いた。



「四季くん…」


「何?」


「…四季くん大丈夫?」


「え?」


「…四季くんの手が冷たかったから」



言われて自分の手を握り合わせる。



「君を帰らすつもりだったから、お母さんに心配かけたよね。彩ちゃんは大丈夫だった?」



最もらしい事を口にして、自分の疾しさを隠す。



「ママは何も言わないよ…わたしが誰と居て、何をしてて、状況を把握さえしていれば…あの人は安心してる」



そうだろうなと…変に納得してしまった。



「四季くん…我儘を聞いてくれてありがとう」



今はこの彼女の距離感を、いやらしく見てしまいそうで、混沌とした状態が落ち着かなかった。



男ってのは、つくづく馬鹿な生き物だと身を持って実感したのは二度目だ。



彼女は今、シャワーを浴びている。



ここへ連れて来たのは、彼女がまだ一緒に居たいと言ったから。感傷に浸る彼女をこのまま帰らすのは気が引けたから…色んな理由を持ち出し、自分の行いを何とか正当化しようとした。



証拠にもなく本当に懲りない…



「四季くん…?」



リビングに彼女の声が届く。


声の主は姿が見えない。



風呂場から呼んでいるのかと思い、リビングを出て、廊下を見渡した。


風呂場のドアがこちらを背に廊下側に開いている。扉が盾となり中の様子は見えない。



「彩ちゃん?」



彼女は声に気づいて、「四季くん…?」と名前を呼び返した。



「彩ちゃん、何かあった?」



お互いの姿は見えない。



「…四季くん、ごめんね…気持ち悪い…」


「えっ?」


「動けなくて…」



夏でも湯船に浸かるとゆう彼女に、浴槽へお湯を張ったのは良いが、のぼせてしまったのかもしれない…と、すぐに理解した。



考えていてもしょうがない。


廊下を進み、風呂場のドアをしっかりと開き直したらドアの近くに寄りかかり、へたり込む彼女を見つけた。



「え…大丈夫?」


「…気持ち悪い…」



全身濡れたままで、何とかバスタオルを体に巻いた様な状態だった。



「おいで」


腕を肩に回し、体を抱える。



彼女の体に力が入らず、しがみついてくれないから抱き抱える時に少し雑に抱えてしまった。



寝室のドアが開いていない!



閉められたドアの前に立ち、力無い彼女を抱えて両手が塞がっている。


迷っている暇はなく、リビングへ向かってソファへ寝かせるように降ろした。



再び寝室に向かい、ブランケットを持ってリビングに戻り、彼女の体にかける。



「彩ちゃん、水飲める?」



彼女は言葉なく頷いた。



グラスに水を入れて、彼女の元へ戻る。


上体をゆっくり起き上がらせたら、一口水を含んですぐに要らないと顔を背けた。



もう一度ソファへ寝かせ、首までブランケットをかける。



「…暑い…」


「あつい?」



言われて慌てて肩まで降ろすと、細い腕がソファから投げ出された。



「大丈夫?」


腕を握り、また体の上に戻した。



青白かった彼女の顔色が、徐々に血色を取り戻して行く。



「四季くん…」


彼女が小さく呟いた。



「なに?」


「ソファ…ごめんね…」


「え?」


「濡れちゃったよね…」


「あぁ、そんなの大丈夫だよ…それより彩ちゃん大丈夫?」


「…大丈夫じゃない…」



彼女は手で顔を隠すように伏せた。



「え?しんどい?」



その言葉に首を横に振る。


表情が見えない彼女の手を掴むと、



「…え、彩ちゃん寒い?冷えた?」


体が冷たくなっていた。



クーラーが効いているこの部屋はダメだと思い、寝室へ移動させようと立ち上がった。



「四季くん…」


彼女の言葉に立ち止まる。



「どうした?」


彼女の顔に耳を傾けた。



「行かないで…」


「え?」


「寒い…」


腕を引かれ、引き寄せられる。



「彩ちゃんベッドに行こ?ここは冷えるから」


「四季くん…」


「なに?」


「今日は一緒に寝てくれる…?」


「え?」


思わず床に尻をついた。



「一人で寝るの寂しい…」


彼女が腕を離さない。



「四季くん…」


「いや、今日はってゆうか…でも彩ちゃん」


「四季くんの所為だから…」


「え?」


「四季くんになんて言ったら一緒に寝てくれるかな…って、たくさん考えてたらお風呂に浸かり過ぎた…」


「え?」


「四季くんお願い…」


「……」


「四季くん…」



頼むから腕を離して欲しい…


今君に触れていると、いいよと言ってしまいそうになる。



「彩ちゃん、今は…体を休めよう」



そう言って彼女から腕を引き離そうとした。



「ベッドまで連れて行くから…起きれる?」



すんなりと腕を離してくれたから安堵した。



ソファの背もたれに右手を着き、彼女の体を起き上がらせようとソファに右膝をかけた。


彼女の手が肩へ伸び、その背中に左手を回す。



ゆっくりと起き上がらせ、一度ソファに座り直した。



「大丈夫?立てれる?」


彼女の背中に回していた手を離し、声をかける。



「四季くん…ありがとう」


「うん。立てれそうなら言って…」


と言いながら、彼女の体にかかるブランケットがずり落ちてしまい、目のやり場に困ってすぐに視線を逸らしてしまった。



不自然に逸らしてしまったと自覚している。でもずっと見るのも如何なものかと思い、ブランケットを手に取った。


何とか彼女の膝が隠れないか、どうしたら自然に掛け直せるか思案するが、どうやっても不自然さが拭えない気がした。



「四季くん…」



彼女の言葉に視線を上げた。


彼女が立ち上がれる様になったと思ったから。



男ってのは、つくづく馬鹿な生き物だと実感したのは、これで三度目だ。



「四季くん…」


「え?」



太腿に手を置かれ、反射的に少し左へ体が後退した。



「四季くん…」


「え、彩ちゃん待って」



彼女がソファに手を着いて、体を寄せて来る。



「四季くん…わたしのこと好き…?」


ソファの上に膝をつき、這うような体勢で近づいてくる。



「ちょっと待って、彩ちゃん座って?」


彼女の肩を掴み、これ以上こっちに進ませないよう力を込める。



「わたしのこと、好き…?」


ブランケットが完全にソファから滑り落ちた。



「彩ちゃん…」


「四季くん…答えて」


「…君の話し方も好きだし、笑い方も好きだし…」



理性が崩壊しそうで、何を喋っているのか自分で整理が出来ていない。



「頭が良くて綺麗な君は俺の憧れで…俺には無いものを君はたくさん持ってる。芯が強くて、分別があって、間違いに気づいたら正そうとする…そうゆう君を、ずっと見て来た」



制止しようとしている腕を、彼女の左手が滑らすように掴んでくる。彼女の膝が、足の上を超えて来た。


ソファの背もたれからズルズルと身体が滑り落ちそうになり、



「ねぇ彩ちゃん、ちょっと待って…」



腹筋が…これ以上、体勢を維持できそうにない。



「四季くん、手を離して…」



ソファを買った時、まさか彼女に押し倒されそうになるとは想像もしていない。



「四季くん…」


「ちょっ…本当に…」



ソファの下に投げ出された左足と、ソファに取り残された右足の間に、彼女は両膝を着いている。



体勢もキツイが、この状況もキツイ…


何をここまで拒んでいるのか分からなくなってしまう。



「四季くん…」


彼女は両手をソファに着き、甘い声で囁く。



濡れた髪が色っぽくて、これ以上目を合わせてはいけないと本能が訴えてくる。



「四季くんはわたしのことが好きなのに、どうして拒むの…?」


「…好きだからってゆうのと、こうゆう事をするのはまた別の事で…」


「わたしは、好きだから四季くんに触って欲しい。四季くんは違うの?」



違わない…違わないけど違う…



「彩ちゃん、」


もうこの体勢を維持出来ない。



彼女の肩を押さえていた手を離し、順番に後ろへ手をついて自分の体を支えた。


全身の筋肉がゆっくりと体重移動して行く。



自由になった彼女は、堂々と上を跨いでくる。



「わたし、たくさん想像したの…四季くんにさわられたらどんな感じかなって…四季くんはどんな風に感じてくれるのかなって…」



この子が勉強熱心な事を忘れていた。



「全然嫌じゃなかったよ…四季くんに触ってほしい…」



彼女が俺の腕を掴む。



「待って、彩ちゃんほんとに、」



彼女は下着を身に付けていない。


タオル一枚で跨っている。



…まずい。




「四季くんは…わたしとする事を考えたことある?」



…彼女が乱れるところを想像してしまった。



「このタオルの下が気にならない…?」


「彩ちゃん待って、待って…タオル外れそう」



彼女の足元が肌けている。


見てはいけないものが見えそうで死にそうだ…



「四季くんがしてくれないなら…わたしがする」


「なにを…」


「分からない」



彼女がズボンのベルトに手をかけた。 



「彩ちゃん…」



いよいよまずい…



「待って、」


彼女の手首を押さえる。



「四季くん痛い…」


「あ、ごめん」



咄嗟に力を緩めたら、胸元のタオルが下がって来ている。ベルトを掴んでいる彼女の手首を離してタオルを受け止めるか、手首を掴んだままタオルが落ちてしまうのを黙って見過ごすのか…



究極の選択に迫られる。


どうする俺…



「彩ちゃんタオルが…」



咄嗟に彼女の手首を離し、ずり落ちて来たタオルを両手で押さえた。



もうすべがない…



胸元のタオルがずれないように受け止めると、彼女の胸に触れてしまった。



自分のこれまでの努力は何だったんだと思ってしまう。



手を離したらタオルが離れるし、手を離さないと、彼女の胸の形を記憶してしまいそうになる。



「四季くん…」



今、名前を呼ばないでくれ…



彼女の両手が自分の手の上に置かれた。



「四季くん…」



顔を寄せてくる。



「四季くん…」



今度は彼女の手によって、手首を掴まれた。


胸元から手を離そうとしている。


だけどこの手が離れるとゆう事は、タオルも落ちてしまうとゆうことになり…



「彩ちゃん、一緒に寝る」


「え…?」


「一緒に寝よ?だからもう…勘弁してほしい」


「四季くん…」


「こんなとこで君を抱かせないでほしい…」


「…ごめんなさい」



彼女は掴んでいた手を離し、倒れ込む様に抱き付いて来た。


その体を咄嗟に受け止めようとして、背中に手を回したら、弾みでソファの肘掛けに頭を打った。



それでも、上に伸し掛かる重さが温かくて、愛しくて…


背中に回した両手に力を込めたら彼女の小さな肩が少しだけ揺れた。



「四季くん…」


首元にかかる吐息が、生温かい。



「なに?」


「…怒らないでね…」


「え?」


「…四季くんを試すような事して…ごめんなさい…」



言われて自分は試されていたのかと知る。



「いや、怒ってないよ…」


「ほんと…?」


「うん」



背中に回していた手で彼女の頭を撫でると、細い腕が更にしがみ付いてくる。



「四季くん…」


「なに?」


「わたしも四季くんが好き…」


「うん」


「四季くんの話し方が好き…四季くんの声も好き…四季くんの手が好き…四季くんの匂いも好き…全部好き…」



彼女の体温と吐息が直に伝わって来て、自分の体まで体温が上昇してくる。


部屋のクーラーが効いているのか効いていないのか体感温度では分からない。



「彩ちゃん、もうしんどくない?」


「うん、もう大丈夫」


「起き上がれる?」



…背中と首が痛いから退いて欲しいとは言えない。



「四季くん…」


「なに?」


「このままだと…多分、全部見えるよね…」


「え?」



言われてみれば、背中に回している手が彼女の肌に直接触れている。



「え、待って…これどうやって起きる?」



今、彼女が起き上がってしまうと、肌け落ちたタオルの所為で、彼女の裸体が視界に入ってしまう。


意識した途端に、柔らかいものがダイレクトに伸し掛かっている事が気になって仕方ない。



何なんだこの拷問は…



「わたしは…四季くんに全部見られてもいいよ」


「はっ?」


「恥ずかしくないもん…」



彼女の恥じらう要素がどこなのか分かり難い。



「四季くんの服が肌に当たって気持ちいい…」



なんて事を言うんだこの子は…



「彩ちゃん、タオル…どこにある?」



彼女は手探りで体を弄ると、腰の辺りにあると言った。



「ちょっと上げるわ…」



彼女の背中に回していた手を腰に向かってゆっくり降ろした。



「四季くん…擽ったい…」


「いや、ごめん。ちょっと我慢して…」



手にタオルの感触があり、掴んで上へと引っ張り上げる。



「っあ…」


「ごめん、痛かった?」


「大丈夫…もう少しゆっくりしてほしい」


「わかった。もうちょっと動かすよ?」


「うん…わたし、腰浮かした方がいい…?」


「いや、うん…いや、」


「え?どっち?」



何なんだこの会話は…



「ちょっと待って、考える…」



どうしたら彼女の裸体に触れず、見ずにタオルを巻き直す事が出来るか考えた。



「俺、一旦目を閉じるわ」


「え?」


「彩ちゃんその間に起き上がって」


「四季くんは…わたしを見たくないの?」



顔を上げた彼女に、溜め息が出そうになる。



「今見たら、今日一緒に寝れなくなるけど、いい?」


「…やだ」


「じゃあ言うこと聞いて」


「はい…」



その小さな呟きが、「起きてもいい…?」と言葉を続けた。


「うん」と言葉を返し、目を閉じて両腕を顔の上に乗せて待つ。



首元にしがみ付いていた腕が解かれ、手が体に伸し掛かる。


太腿にタオルが時々触れ、体に巻き直しているんだと想像が出来た。


視界を遮られていると、五感が冴えてくるようで…想像が目に見える様に鮮明に浮かんでくる。彼女は今裸で自分の前に居るのかと思うと…


これはこれでいやらしい気持ちを掻き立てられた。



「…彩ちゃん、できた?」


「うん。できたよ」



腕を顔から降ろし、瞼を開けたら視界がやけに明るく見える。


ゆっくり起き上がると、首の後ろから背中の筋が軋んで首を鳴らした。



「ごめんね四季くん…痛かった…?」



彼女が顔を近づけてくる。



体に巻き直されたタオルを確認して「大丈夫」と言葉を返した。



「彩ちゃん、着替えておいで」



髪もまだ濡れたままで、タオル一枚で居たら風邪を引いてしまう。



「うん。すぐ着替えてくる」



彼女はゆっくり立ち上がり、ソファに座り直した俺と向き合った。



「四季くん…」


「なに?」


「さっきちょっとだけおっぱい触ったよね」


「え?」



彼女は無邪気な笑顔を向けてくる。



「え?」



思わず掌を見つめる。


柔らかい感触が手に残っている様な気がして、居た堪れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る