「よう」



病室のカーテンが開いて、片手を上げた拓がかけ声と共に姿を見せた。



「彩ちゃん帰ったのか?」



知ったげに彼女の名前を呼ぶ拓に、



「当分前に帰った」



そう言って窓の外に目を向けると、外はいつの間にか真っ暗で、日が短くなったなと感じる。



「彩ちゃんには中々会えねぇな」


「おまえ何で勝手に入って来てんだよ」


「四季も年だな」


「人の話聞いてねぇな」


「また随分とこっぴどくやられたな」


「笑ってんじゃねぇよ」


「笑ってねぇよ。ぶちギレそうなんだよ」



拓は持っていた小さな箱をベッドの脇に置くと、



「まぁプリンでも食って元気だせ」



その箱に視線を向けた。



「プリン?」


「ここのプリンは何も考えられなくなるぐらい美味しいんだと」


「へー」


「俺が選んだんじゃねぇよ?文香が選んだ」


「だろうな」


「金は俺が出した」


「そりゃどうも」



拓が置いた小さな箱を、ベッドの反対側の脇にある棚の上に置き直した。



「しっかし、痛そうだな」


「あぁ」


「額パックリ割れてんだろ?」


「まぁ」


「後どこやられた?」


「肋骨」


「何本?」


「知らねぇ」


「おまえさ…」


「拓の説教は聞きたくねぇ。なげぇんだよ」


「説教なんかしねぇよ」


「そうか?」


「…なぁ四季、」


「んぁ?」


「どこのどいつにやられた?」



昔から拓はあれこれ考えて行動する奴で、勢いがあった。



考えた末にやると決めたら、とことんやる様な奴だった。



それはどの場面においても当てはまる。



文香の事、子供の事、仕事や友達…



何も考えずに突っ走ってきた自分と違って、あれこれ考えてから動く拓は、確実で正確だから心強かったりする。



だけど―…



「拓も年とったな」


「なんだと」


「俺の心配よりも、家族を心配しろ」



そんな拓に頼るのは、学生の時の話しだ。



今は拓も、人の親。



「馬鹿野郎。四季が俺の心配するなんざ100年はえーよ」


「拓の心配なんかしてねぇよ。自分のケツは自分で拭けるって言ってんだ」


「…そうかよ」



それ以上拓は何も言わなかった。


言っても無駄だと分かってるし、余計な事はしない。



「てゆうか、家族以外面会謝絶な」


「馬鹿野郎。俺らは家族よりも固い絆で結ばれてんだろうが」



そんな臭いセリフを吐いた拓は、病室を出てすぐ看護師に見つかり、こっぴどく叱られる事になる。



「さっさと怪我治して、彩ちゃん紹介しろよ」


「時間かかりそうだな」



その時笑って言った言葉通り、怪我の完治には時間がかかり、拓に彼女を紹介するのも、それからずっと先の事になってしまった。



人生ってやつは、本当に予想外な事ばかりしてくれる。



彼女がお見舞いに来てくれるようになってから、一週間程経った頃、彼女と付き合ってる男が同じ病院に入院してると分かって、自分の傍に居る事が彼女にとって一番安全だと思ってた考えが、間違っていたと思い知らされた。



自分の傍が、一番危険だったんだと…



だから彼女に嘘を吐いた。


彼女は病院に居てはいけない。



何も覚えていない彼女に事実は伝えられず、落ち着いた頃を見計らって連絡をしようと、安易に考えていた。



だけど落ち着く間なんてものは無く…



彼女が病院に来なくなった変わりにばぁちゃんが毎日顔を出すようになって、会社の人間からは毎日のように伝言を預かった。



この年になって、色んな人に迷惑をかけた代償は大きかった。



じいちゃんにはしこたま怒られたし、ばぁちゃんは泣いていた。



何がどうなったのかは話してない。


とにかく謝るしかなかった。



拓も何度か病院へ足を運んでくれて、来る時はいつも必ずじいちゃんかばぁちゃんに付き添っていた。



落ち着く間とゆうものをまだかまだかと待ち望み、自分も退院に向けてリハビリに精を出す日々が続いた。



そうこうしている間に、彼女と会わなくなって3ヶ月が経過していた。



女の子が会いに来てたと、看護師から知らされたのは検査が終わって病室に戻った時の事。



家族以外は面会謝絶だと言って断りましたと、看護師から聞かされた。



それが彼女だとすぐに分かった。



だから院内にある携帯電話が使える場所まで行き、登録してある彼女の番号にかけた。



「繋がらね…」



思わず溜息が出る。



彼女は番号を変えていて、音信不通となってしまった。



それでも、彼女との繋がりを信じて疑わなかった。



彼女の気持ちを優先すると言いながら、彼女の気持ちを無視していた。



もっと彼女の気持ちを考えてあげれば良かったと、そう思ったのは随分後になってからだ。



自分の安易な考えが、彼女に寂しい思いをさせてしまっていたなんて考えもせず…



再び彼女が会いに来たと知らせを受けたのは、次の日だった。



朝食を食べ終わった時、看護師が病室に入って来た。


室内の窓ガラスは曇っていて、外の寒さを感じさせた。



看護師はベッドに近づくと、「少しずつ食べれるようになりましたね」と言いながら食器が乗ったトレーを手に取る。



そして、



「彩さんと言う方が来られてます」



思わず聞き返した程、看護師は驚く発言をした。



昨日の今日で、しかもこんな早朝に…彼女が来ている。



「彩」と名前を名乗っているからには、彼女に間違いない。



何かあったのかと思った。



昨日来た理由も分からないままで、とにかく彼女の元へ急いだ。



5階のフロアで待っていると言う彼女を探しに走った。


後ろで看護師が「走らないで!」と叫んでいるのは聞こえていた。



それを敢えて無視したのは、やっぱり彼女に会いたいとゆう思いが勝ったからだと思う。



だけど少し走っただけで息切れが生じ、頭はガンガンと痛み出す。



猛烈な吐き気に襲われる中、フロアに置かれた長椅子に座っている彼女の姿を捉えた。



こんな所で…


無防備に座って…



そんな感情が湧き上がって来る。



久しぶりに見た彼女は、少しやつれている様で…



「四季くん」と、名前を呼んでくれる。


「四季くん」と、自分を求めてくれる。



その想いに共鳴するかのように、彼女に対する愛しさが込み上げて来た。



彼女の元へ走ったのがいけなかったのか、次の精密検査まで絶対安静となり、まるでベッドにくくり付けられたかのような気持ちになる。



ふと彼女を見ると、目が合った所為でやけに胸が高鳴った。



そして彼女はここへ来た理由を教えてくれた。



友達から全てを聞いたと言った。



だけど記憶が戻った訳じゃない。



何も思い出せないのか、本能で思い出す事を拒んでいるのかは分からない。



それでも彼女は、何も覚えてないと言う彼女は、



「四季くんの事、好きだったと思う」



そんな風に言ってくれた。



その言葉が、自分の背中を押すキッカケになったのは間違いない。



彼女には待つと言った。


その思いに嘘は無い。



だけど待ってるだけじゃ事は進まないようにも思えた。



現に何も解決はしていない。



だから終わらせようと思った。



何もかもここで終わらせて、退院したら彼女に告白をしようと決めた。



彼女が帰ってから、拓に連絡をした。



あの男を、病室まで連れて来てほしいと。

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