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「あぁー!!」
「やめてよ亜美…」
「何よー!彩は勉強できるから良いけどね、あたしは全然ダメなのよ!」
「だから、今更そんな風に嘆いても遅いの」
「どうしよー…!今年あたし達受験生になっちゃう!」
「…ちょっと亜美、ここ図書館…」
四季くんと会わなくなって3ヵ月が過ぎ、季節は3月を迎えた。
4月になれば、わたし達は高校3年。
受験生となる。
「彩は何でそんなに勉強ばっか出来るの…」
「何でだろうね…」
周りを気にして、少しだけ声を抑えた亜美は、コソコソと向き合って顔を寄せてくる。
「4月になったら、あたし達3年生だよ…」
「そうだね」
「どうしよー…」
「勉強しなさい」
目の前で机に顔を伏せる亜美の頭の上に、教材をポスンと置いた。
「勉強ばっかしたくない」
頭の上の教材を退けながら頭を上げた亜美は「うー…」と唸り声を上げる。
「わたしは勉強しか出来ない」
「嫌味ですか?」
「いえ、羨ましいと言っているんです」
「はい?」
「亜美が羨ましい」
「何言ってんの?」
「わたしは勉強しか出来ない…」
「四季くんに会いたいの?」
この3ヵ月、亜美は一度も四季くんの話をしなかった。
「勉強しなさい」
でもそれはきっと、わたしが四季くんの話題に触れないようにさせていた。
「もう3ヵ月だよ」
「何が?」
「彩が四季くんの所に行かなくなって」
「あぁ」
「あぁじゃないよ…気になってんでしょ?」
「何が?」
「四季くんの事が!」
「気にしてたのは、最初の2週間だけ」
「え?」
「よく考えたら、わたし達何も約束してないから」
「約束?」
「検査の結果が良かったら、すぐ退院できるって、四季くん言ってた」
「うん」
「だからわたしはすぐ会えるんだと思った」
「…うん」
「でも、わたしは四季くんの連絡先を知らないし、四季くんもわたしの新しい番号は知らないから」
「…うん」
「退院したって、誰が教えてくれるの?四季くんが、わたしに会いに来てくれるの?って、」
「…うん」
「最初は凄く不安で、いっぱい考えた。でも2週間も経てば、気持ちが和らぐってゆうか、段々考えないようになって来た」
「え…?」
「四季くんの事忘れた訳じゃなくて、四季くんの事を考える時間が減ってきた」
四季くんが存在してた証が、わたしには何もない。
「あるよ、毎日お見舞いに行ってたじゃん」
そんなもの、一番頼りにならない。
あたしの記憶なんて、一番信用できない。
「だから彩は、勉強ばっかりしてるんだ」
そう言った亜美に、わたしは口元を緩めた。
「ねぇ、亜美から見た四季くんって、どんな人?」
「なに急に」
フッと笑った亜美に、わたしも笑ってしまった。
「何だろう、久しぶりに四季くんの話したからかな」
「ふーん」
「わたしより、亜美の方が知ってるでしょ」
「どうだろうね…」
「ん?」
「四季くんは、あたしが彩の友達だから、優しくしてくれてた感じだし」
「四季くんが?」
「そうだよ、四季くんは彩中心に動いてる感じがした」
「それは言い過ぎでしょ」
「言い過ぎだと思うでしょ」
「うん」
「でも本当。だから四季くんに、約束なんか必要ないんだと思う」
「え?」
亜美が言った「約束なんて必要ない」って言葉に、わたしは疑問を感じた。
「四季くんは、彩の連絡先が分からなくても、彩と連絡がとれなくても、退院したら必ず彩に会うんじゃない?」
「凄い自信だね」
「だって、約束って不安だからするんでしょ?」
「不安?」
「本当に実現するか不安だから、約束とゆう保険をかけてるように思わない?」
わたしはその言葉に、肯定も否定もしなかった。
でも少なからず、亜美のお陰で胸のつっかえが取れた。
「だから四季くんに約束なんて必要ないんじゃないかなって思ったの。四季くんさ、彩に会う事しか考えてないと思うよ」
亜美の言ってる事が全て四季くんに当てはまってるとは思わない。
だけどまぁ、わたしは亜美の言葉を胸に止めて、時々四季くんの事を考えながら、勉強しようと思う。
「今日はもうやめようかな」
「あ、帰る?」
「亜美とお喋りしてたら、勉強する気が無くなった」
「…嫌味ですか?」
「いえ、感謝してるんです」
「え?」
不思議そうな顔をする亜美に何も言わず、立ち上がって、机に広げた教材を片付けた。
「春休みなんだから、勉強ばっかしないでよ」
図書館を出ると、ビューっと吹く風に肩を震わせたわたしは、
「え?」
亜美の話を上手く聞き取れなかった。
「いやだからね、春休みなんだから、勉強ばっかりしないでねって言ったの!」
図書館の入り口にある石段を降りながら、亜美が語尾を強調してくる。
「明日も暇でしょ?また図書館行こうよ」
「いや、あたしの話を聞いてましたか?」
呆れた口調の亜美と、バス停へ向かって歩く。
「じゃあ、とりあえず明日また連絡する」
そう言った亜美に「分かった」と頷いて、私達は立ち止まらずに、そのまま別々の方向へ足を向けた。
亜美は自宅への道のりを行き、わたしはもう少し先に見えるバス停へと向かった。
バスが来るまで10分。
この寒さの中、10分は厳しいなと溜め息が出る。
白い息が寒さを余計に強調させた。
そう言えば、何気なく利用していたこのバス停は、わたしが記憶を無くす要因となった場所だ。
四季くんと最後に病室で会った日、四季くんはわたしに言った。
あいつの事は気にしなくて良い、彩ちゃんには近づいて来ないようにするって…
病院に行ってないとは言え、本当にあれ以来、松葉杖の男子がわたしの前に現れる事はなかった。
学校で待ち伏せでもされるかと心配してくれていた亜美も「もしかしたら四季くんが何かしたのかな?」と、わたしも感じていた疑問を口にしていた事を思い出した。
だけど3ヵ月も経てば疑問すら気にならなくなっていた。
バスが来るまであと5分。
ふーっと息吐くと、白い息が目の前に広がる。
吸い込んだ空気に咽せて、コホンっ…と咳が出た。
「風邪引いたの?」
…―――え?
「こんな寒い日にこんな所に立ってたら、風邪引くよ…彩ちゃん」
停留所に立つわたしの隣に、
「し、四季くん…?」
額に傷痕を付けた彼が、立っていた。
「久しぶり」
柔らかく笑った四季くんは、最後に見た日と何も変わってない。
「四季くん、髪少し伸びた…?」
「うん」
「四季くん今日はジャージじゃないんだ」
「あれは入院中だけ」
フッと笑った四季くんは、
「彩ちゃんも髪伸びたね」
久しぶりとは思わせない程、普通で。
「彩ちゃん」
わたしの名前を呼ぶと、両手を広げた。
「おいで」
だからわたしは、彼の胸へゆっくりと近づいた。
「四季くん…いつ退院したの…?」
胸に頬を寄せたわたしの言葉は、意志に反して震えていた。
「今日」
「今日?」
「てゆうかさっき」
「さっき…」
亜美が言った通りかも…と、少しだけ頬が緩んだ。
「四季くん」
「何?」
「わたし、これから四季くんの事たくさん知っていきたい」
四季くんの胸から少し離れて、彼を見上げる。
「俺の事、知りたいの?」
四季くんは、本当に嬉しそうに笑う人だ。
「知りたい」
「何でも教える」
———これからたくさん、聞けたら良いなと思う。
「じゃあ、」
「何?」
———私達の時間は、ここから再び始まるのだから。
(完)
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