第90話
そして品がないのは声だけじゃない。
言葉も、声のトーンも話し方も、
「おかえり」
「……」
隣の部屋に住む見るからに見窄らしいこの男は、
いつ見てもどこを取っても品がない。
男はこのアパートの通路の自分の部屋の前で煙草片手にこちらを見てヘラヘラ笑っていた。
着ている黒のTシャツはヨレヨレで絶対ろくに洗濯なんてしていないし、下に履いているジャージのズボンは裾が長すぎてもはや踵で踏みつけているから潰れてなんなら少し破れている。
それからいつも履いているそのスリッパだって一体何年履いてるんだってくらいに劣化していて、まだかろうじてスリッパの役目は果たしているものの、ただ足の裏が地面に直接触れないようにしているだけというくらいな感じで…
男の足元に常に置かれている灰皿代わりの空き缶は、この男が食べたとは想像し難い桃のパッケージだった。
今はこの暑さのせいでこんな男と話す気になんてなれない私だったけれど、お互いの部屋が隣に並んでいる以上私はその男の方へ足を進めないわけにはいかない。
思わずまたため息を溢してしまいそうになったのをぐっと堪えて、私はそちらに向かって足を踏み出した。
「お前今夏休みじゃねぇのか?」
私の制服姿を見て不思議そうに男が言った。
さっきの“おかえり”に対して私が無視したことは何も気にならなかったらしい。
…と言うより、この男はきっと私が何をしても何を言っても特に気にすることはないんだろう。
ここで会えばいつも何かしら声をかけてくるけれど、私がそれにどんな反応をしたってこの男はいつも何も変わらないから。
いつ見てもヘラヘラ笑ってバカみたいだ。
「…今日は登校日だったから」
それならわざわざ無視する意味だってよく分からないと思った私が素直にそう答えれば、男は自分から聞いておきながらどうでもよさそうに「へぇ」と言うだけだった。
「てかいつも思うんだけどよぉ、その制服何なんだよ」
「は?」
「エロくね?」
「……」
「そのスカートの丈で学校の先生何も言わねぇのか?」
そう言いながら煙草を一口吸い込んで吐き出したその男は、通路の手すりに体を預けるようにもたれかかりながら煙草を持つその手をこちらに伸ばして私の制服のスカートを指差した。
「お前んとこってたしか女子校だったよな?絶対生徒で抜いてる先生何人かいるぞ」
男はなぜか楽しそうに、これまた品のかけらもないようなことを口にした。
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