第69話
華菜恋の元に戻って来た榎木は医師を呼ぶと告げた。
「お医者様なんて呼ばなくていいわ」
「ですが」
「休めば治るもの」
「では治りましたらダンスをお願いします」
「踊ったら悪化するわ」
会場で招待客に挨拶して回っていた證は榎木の耳打ちに首を傾げる。
「駄々を捏ねている?」
「はい」
「今日の華菜恋はどうしたのだ……」
「いつもの弱気で低姿勢な華菜恋様は、この緊張を前に、緊張が極限に達して、強気でわがままなお姫様になったようですね〜」
冗談のようにいう榎木の言葉だが、確かにその通りだった。
「帰るなら、せめてダンスが終わってからだな」
「踊りたくないと申されておりますが……」
「体調がよくないのか?」
「そうですね、顔色は幾分良くなったようですが、呼吸は浅いかもしれません。医師を呼びましょうか?」
「そうだな」
そこへ恰幅の良い老人が寄って来た。
「やあ證くん」
「これは石井紡績の石井様」
「やあ美しい嫁さんをもらったようで羨ましいよ。万里小路のお姫様だったかな?」
「よくご存知で」
「さすが元公家。所作が優雅で気品もあり、洗練されている。いやいや、実に羨ましい」
「ありがとうございます」
「おや、そのお姫様は?」
「大きな会場に緊張したようで奥で休んでおります」
「ほっほっ、繊細なお姫様ということか? まあこればかりは慣れるしかなかろう」
ほっほっ、と笑う石井翁は会話は終わりだとばかりに證の前から去っていく。
その石井翁の背中を見ながら石井翁の言葉を反芻する。
『所作が優雅で気品もあり、洗練されている』
――誰のことだ?
こう言っては悪いが、證の知っている華菜恋には、優雅さも、気品もなければ、洗練されてもない。
隣に立っていた華菜恋は、本当に華菜恋だろうかと疑問が募るばかりだった。
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