君に思い出を伝えるために
桜詩
1
第1話
春はとても気持ちが良かった。
一面がピンク色に染まり、散るとそれはピンクの絨毯に変わる。その道を歩くと、足元でふわっと花びらが舞って、まるで物語の主人公になった気分になれる。
このまま季節が止まればいいのにと、毎年願っていた。そうしたら、心の中を占める不安も感じなくて済むのにと。眠れないほど不安で、寝不足で頭痛がすることもきっとなくなるのに。
「どうした?」
準備を終えてみんなが部活へ向かう中、私は一人、教室に残っていた。
「もう入学して一年経つんだなーって」
不意に現れた、中学からの同級生の謙介くんが聞くから、今思ったことをそのまま口にした。
「早いよな。もう僕らも高校二年生か」
明後日は入学式。その準備で旧一年一組と二組が駆り出された。
「最近はどう?無理してない?」
昨年は隣のクラスだった謙介くんは、忙しない生活を送っていた。現在妹さんと二人暮し。ご両親は海外赴任中で、今年の秋に帰ってくる。
「うん。大変だけど、あの頃よりは全然」
窓の外を見ながら笑顔で話す謙介くんは、あのときよりもずっといい顔をしていた。
「そっか。それなら、よかった」
謙介くんと話している時間は心地よくて、不安なことを忘れさせてくれる。その笑顔が、今の私の一番の幸せ。
「ねぇ、」
「おーい、山戸も夏岡も早く帰れよ。もう校舎締めるぞ」
体育館にずらりと椅子を並べて、グラウンドを使う部活しか活動をしていないからか、昨年の一組の担任が私たちに伝えて、渋々出ていくまでドアの前に立っていた。
「さよなら」
「おう。気をつけろよ」
謙介くんの横を歩くのは、中学卒業ぶりだ。
黒の学ランから赤と青のチェックのネクタイと紺色のブレザーに変わり、私は赤スカーフのセーラー服から男子のネクタイと同じカラーのリボンと紺色のブレザーに変わった。
背丈も変わった。私も身長が少しだけど伸びたけど、それよりも明らかに謙介くんのほうが私よりも身長が伸びていた。彼を見るときの私の顔の角度は大きくなっている。確実に。
「さっき、何言おうとしたの?」
校舎を出ると、待ちわびたように聞かれて、一瞬で冷静になった。
「えっ」
……私、何を言おうとした?
あのとき先生が来ていなかったら、そういう雰囲気でもない中で、自分の中で幸せをかみ締めた勢いに任せて告白をしていたかもしれない。
きっと春休み中に話せなかったから、無意識のうちに舞い上がっていた。危なかった。
「えっと、その、妹さん、元気かなーって」
「心実?元気だよ。相変わらずだけどね」
「そっか。元気なら、よかった」
正直特に知りたいわけでもないことを聞いてしまったから、反応が自分でもわかるほど淡白になってしまった。
「今年は同じクラスになれるといいな」
謙介くんが私の想いと同じことを口にした。
嬉しかった。まるで、好かれているみたいだ。
「うん。同じクラスがいいね」
「緋鞠と同じなら、きっと一年楽しいよな」
「私も同じこと思ってた」
謙介くんと同じクラスになれたら、毎日幸せで楽しくて、行くのが楽しくなるに違いない。
同じことを思ってくれていたなんて、嬉しくないはずがなかった。
「名簿順は遠いよな。僕はや行で、緋鞠はな行だし」
そう、あいうえお順に席を指折りで数え始めたから、つい笑ってしまった。
「私山田とかに改名しようかな」
「そしたら前後だな」
やまだ、やまと。ほんとだ。同じ行。
思いつく一番メジャーな山〇を言っただけで、心做しか本気で喜んでいるように見えて、そんな反応に口元の緩みが抑えられない。
「それか僕が夏がつく苗字になるのもありだよね」
「それもありだね」
できもしないくだらないことを話しているのは楽しいけど、同時に寂しくなった。
私は謙介くんに恋をしているから、同じクラスになりたいし読みが近い苗字になりたいと思うけど、謙介くんにとってはただ知っている人が一人でも多くいてほしくて、その友人が近くにいてほしいだけ。
話していることは割と同じように聞こえるけど、この差はとても大きい。月とすっぽんくらいの差がある。
「寄ってかない?」
通りかかったチェーンのハンバーグ店の前で、立ち止まった謙介くんが指さして言った。
「いいね」
初めての学校帰りの寄り道。友達は部活があったし、夕方だと夜ご飯を食べないといけないから我慢していた。
制服で飲食店に入るという、学生時代しかできないことをしていることにワクワクしていた。
二人です、と日が照らす外に比べて少し暗い店内に入ると、化石ハンターみたいな制服に身を包んだ店員さんが四人がけの席に案内してくれる。
「ご注文はそちらのタブレットからお願いします」
注文を決めて、ピンポーン、と店内中に響くベルで合図するスタイルから現代風に変わっていて、こうやって人員は削減されていくのかと、あと少し先の未来を生きることが不安になった。
「何食べる?」
私の方にタブレットを向けて先に選ばせてくれるのは、少し心苦しかった。タブレットの悪いところだ。自分の選択に相手も合わせてしまうところが。
「チーズハンバーグにしようかな」
口に出して、一番最初に目に入った人気ナンバーワンと書かれたそれを選んだ。
「僕は限定のこれにする」
スイスイ画面を動かして、テレビCMでやっていた春野菜の餡掛けハンバーグをキラキラした顔で選んでいた。
「緋鞠デザート食べる?僕、このパフェ食べたいんだけど」
そう、壁に貼ってあるラミネートされた期間限定のパフェメニューを見て、タブレットのそのページを出した。
「私も食べたい」
いちごと桜のレアチーズパフェ。
もちろんそれは好きだし、デザートを食べるということは、一緒にいられる時間が少し伸びる。食べない選択肢なんてなかった。
「じゃあこれも、一緒に注文するね」
慣れたように言うけど、手間取っている姿はきっとあまり慣れていないことが見て取れた。
きっとあまり外食をしないのだろう。
謙介くんも帰宅部で、帰りはよくスーパーに寄ると言っていたし、誰かと遊ぶことなく家に帰って中学生の妹さんに夜ご飯を作っていることを知っていた。
「わかる?」
そう声をかけておきながらも、私もタブレット注文はしたことがなかったから教えてあげられる自信はないのだけど。
「んー……。お、できた」
ふぅ、と一息ついて元の位置に戻ったタブレットには、『店員が参ります』と表示されていて、画面が動かなくなっていた。
「お客様、どうなさいましたか?」
私たちを席に案内してくれた店員さんが、不思議そうな顔をしてやってきて、謙介くんは「え?」とその人の顔を見て戸惑った顔をしていた。
「あれ、注文の確認……ですよね?」
恐る恐る店員さんに聞く謙介くんは、一見大真面目に言っているように見えたけど、じわじわと顔が赤くなっていた。
「いえ、お客様はまだ、何もご注文されていないと思いますが……」
そこまで言って、元の画面に戻してくれた画面を手馴れたように操作して、「こちらの内容で注文を承ってよろしいですか?」と聞かれたので、私たちは息を揃えて頷いた。
「他にご要件はございますか?」
私を見て、謙介くんを見て、また私を見た。
謙介くんはもう肩を震わせて、たまに「クッ、ククッ」と抑えきれない笑い声がこぼれていた。
「いえ。大丈夫です。すいません、ありがとうございます」
私が答えると、店員さんも半笑いで、「ごゆっくりどうぞ」とこの場を離れて行った。
「ふははっ!ごめん、ありがとう」
笑いが所々に混ざりながら向けられた声に、私も我慢できずに笑ってしまった。
「謙介くん面白すぎっ」
「はー、まさか注文できてなかったなんてなぁ」
「最後の方店員さんも笑ってたよ」
二人でヒーヒー言いながら笑い、やっと笑いがおさまったころ、それを見計らったようにロボットが愉快な音楽を奏でながら食事を運んできた。
「はい、チーズ」
「ふふっ、ありがとう」
「今のどこに笑う要素あった?」
「いや、写真撮るみたいだなーって」
そう言うと、笑いがぶり返したのか、謙介くんは笑った。お腹を抱えて、目に涙を浮かべるほど、楽しそうに。
こんな時間がずっと続けばいい。
本気で思っている私は、この想いを謙介くんに伝えようなんて、そんな今のこの関係を崩すようなことなんてできるわけなかった。
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