第70話




「できた…」




ひとつひとつの筆入れが妙に緊張した。


大事に大事に完成させたあと、しばらく出来上がったものを眺めてしまった。



妙に胸が高鳴る。騒つく。


ただの似顔絵だというのに、私が描きあげたものはそれ以上の役割を持っているようだった。





私はきっと生きる上で大切な核となるものを、日々の生活の中で置きざりにしていた。


ふとした時の車窓から見えるなんでもない風景に心が惹かれるように、ひょんな出会いから大事な気持ちに気付かされる。




「わああああ!じょうず!そっくり!」




ペンとスケッチブックをミユちゃんに返すと、彼女は瞳を丸くして喜んでくれた。




「おにーちゃんだ!」


「…え?」





私が描いたものでこんなにも笑顔になってくれるのは、あらためて思うけど嬉しいことだな。


胸が温かくなっていると、ミユちゃんの発言にハルナさんが反応する。




まさか自分が描かれていただなんて思わなかったのだろう。


気の抜けきった声が耳に入ってきた。





「ほらほら!見て!」


「わ…!ミユちゃん…!」




勝手に描いてしまった身なのだけれど、本人に見られるのは流石に恥ずかしかった。


手で覆うのもタイミングは遅く、ハルナさんはスケッチブックを受け取ると、白黒で描かれている自分の横顔を無言で見下ろす。





「…その、すいません、勝手に描いちゃって」





だって、車窓を眺めているハルナさんは儚くも美しいと思った。


とても絵になった。ペンが一度も止まらなかった。線に迷うこともなかった。



一筆、一筆に感情が乗る。

それすら表現しつくしたくて、気が付いたら夢中になって描いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る