第45話
「父ちゃんはね……凄腕の大工だったんだ。うわあ…す、すごいな、皇女殿下に僕の父ちゃんの話をすることになるなんて、信じられないよ」
「ふふ、どうか私にあなたのお父様のお話を聞かせて?」
ナットは緊張しつつも、照れたように笑った。
「宮殿と比べちゃうと……きっと見窄らしく見えると思うんだけどね、このニールの町の建物のほとんどは、実は僕の父ちゃんが建てたのさ」
「そうなの……? すごい! それに、見窄らしいと思ってなどいないわ。あなたのお父様はとても偉大な人だったのね」
「うん…本当にかっこよかった。ニールの町では父ちゃんを知らない人がいないくらいだった。…でもね、屋根から足を滑らせて、死んじゃったんだ」
自慢げに口を開くナットは、ふと哀惜の表情を浮かべる。
エレノアにも母がいた。物心がつく前に亡くなってしまい、エレノアは母の顔さえも知らない。だが、ただ一つ分かっているのは、エレノアの名づけ親は母であるということだ。
かつてサンベルク皇帝から聞かされたことがあった。エレノアはそれにより、唯一の母親とのつながりを得ることができた。ナットの場合は父親ともに生きてきた時間が長い分、悲しみはより一層深いはずであった。
「この国の偉い人たちは、みんな死んだら
「そんな…」
「骨まで焼かれて、何も戻ってはこなくって。悲しかったけど、僕たちは辺境の地の民だからね……」
サンベルク帝国では古くから、女神オーディアからの加護を利用した職業や産業が発展している。豊穣の地では農業が発展し、輝かしいまでの資源はさらなる富を生んだ。その一方で、葬儀屋を生業としている者たちもいる。
女神オーディアの加護を弔いの儀式に用い、民の魂を花に変え、空に放つことで帝国のさらなる安寧に繋がるのだ。
死後、民は朽ちることなく艶やかな姿に生まれ変わり、サンベルク帝国を彩ってゆく。エレノアは感銘を受けていたはずだった。
「でも、ひとりぼっちになって本当は寂しかった。がんばって毎日働いてるけど、大人には怒られてばかりだし…」
「ナット、あなたは偉いわ」
「そう…かな。僕は、食べていくのに必死なだけさ。真面目に生きていないと、いつかオーディア様に見放されちゃう。大工になりたいって思うけど、僕は父ちゃんみたいに器用じゃないから皆あきらめろっていうんだ」
エレノアは墨まみれのナットの顔をよくのぞき込む。
「そんなこと、ないわ」
「でも…」
「オーディア様は、見放さない。悲しい時はね、唄を歌うの。泣きたい時は、月を見るの。時には夢や野望を描いたっていいの」
「うた? うたって、どんなの?」
「ふふ、それはね、あとで教えてあげるわ」
ナットは目を丸々とした。エレノアの碧眼を食い入るように見つめ、やがてほう、と息を吐く。
「本物の、女神様みたい……――」
エレノアたちを乗せた馬車は、のどかな道を進んでいく。この日、エレノアにはじめて人間の友達ができたのだった。
*
最近、エレノアはターニャの監視をくぐることが上手くなった。そして何をする時にもオズの顔を思い浮かべてしまうのだ。
分け与えてもらったヒカゲ草はもう光らなくなってしまったが、それでも大切に育てている。ニールの町でできた友達の話をしようものか、それともフィーネと力を合わせて迷子の子どもの母親探しをした話にしようか。愛馬を走らせながら、エレノアはそわそわした。
それもそのはず、伴侶探しに進捗がないのだ。せっかくハインリヒに誘いを受けたというのに台無しにしてしまったほどには。
だが、確実にエレノアの隣にいてほしいと願う者は存在する。
(私の伴侶が、オズだったら…)
そこまで考えてエレノアは赤面をした。慌てて邪念を消し去るように頭を振る。
(オズだってきっと迷惑よ…)
一人で勝手に舞い上がり、人間の娘など相手にしないだろうと落胆する。
イェリの森に入ると、たちまち人間を拒む濃霧に包まれた。エレノアはただまっすぐに森の中へと進み続ける。そうするとやはり、クスノキが生えている小川の畔にたどり着くのだ。
川辺に佇む黒い王の姿があった。ヒカゲ草の中で深い森の先を見据えているオズは、愛馬から降りたエレノアへと横目を向ける。
「あの……御機嫌よう。オズ」
氷のように冷たい瞳は物を語らない。
「懲りぬ女だ」
「…もう、好きにしろといったのはあなたよ?」
「そうだった」
微動だにしない表情であったが、エレノアを拒絶していない。
(もしかして、出迎えてくれたのかしら…)
前回訪れた時に、なれ果てた魔族に襲われかけたことを思い出した。オズはとくに何も言わない。だからこそエレノアは勝手にうぬぼれてしまった。
「今日はね、一つ我儘を聞いてはくれないかしら」
「なんだ」
「あのね、私……あなたのお気に入りの場所が知りたいの」
満月のように輝く瞳を前に、エレノアは胸をどきどきさせる。
心が肩時も離れられない。離れがたい。その痛みを癒してあげたい。エレノアの意識の中でかすかに感じる女神オーディアも、それを嫌がってはいないのだ。
それがたとえ、魔神デーモスの生まれ変わりの魔族の王だとしても。
オズはしばらくエレノアを見据える。光る鱗粉をまき散らす蝶が視界を横切った。
「知って、どうなる」
エレノアは顔を赤らめ、じっとオズを見上げた。
「…だって、そうしたら、オズにもっと…近づけるでしょう?」
もしかすると己はかなり欲の深い人間なのかもしれないとエレノアは思った。厳格主義を唱えるサンベルク帝国の皇女が、だ。己の使命も放棄して、たぎるような私情に突き動かされていると知れば、民は呆れ返ってしまうだろう。
オズはエレノアの言葉の真意を探るように、ずい、と顔を突き出してくる。美麗な顔があまりにそばにあるため、エレノアは硬直した。
「近づいて、そののちにどうなる」
「え…」
「エレノアよ。おまえは人間の──帝国の、娘。俺は、魔族の王だ。近づいたところで、どうなるか」
「それ…は」
「人間は憎い。それは変わらぬ。そして人間も、我らが疎ましい」
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