第40話

エレノアに気さくに話しかけてくれたニーナも、人間を嫌忌している。魔術が溶け、己が憎き人間であることを知られてしまったのなら、一転して態度を変えるのだろうと思うと心苦しかった。


 それになにより、オズの身を案じた。単身で戦ったのだろうか。何も知らない己が恥ずかしい。


 神話で伝え聞かされているとおり、魔族は人を食う。時には理性をも失う恐ろしい存在だが、決して邪悪なものではないのだ。

 どこかに落としどころがあるはずで、きっと、慈悲深いサンベルク皇帝からも理解が得られるはずだ。


 このような争いを、どうにかしてなくさせたい――とエレノアは唇を結ぶ。


「はいよ、火吹きトカゲの串刺し、一本サービスしといたからね」


 辛気臭い雰囲気は、ニーナの楽天的な声かけにより紛らわされた。しかし、手渡されたものを見て、エレノアはぎょっとする。


(トカゲ…!?)


 串にささっていたのは、手足が六本生えている爬虫類であった。硬い鱗がそのままついた、生々しい一品である。


「それは気が利く! ありがたい! エレノアも食え、精がつくぞ!」


 キキミックがはじめてエレノアの名を呼んだことに喜ぶ余裕はなかった。旨そうに食すキキミックとガストマを見やる。どこからどうみてもトカゲであり、エレノアはもちろん、これまでに一度もトカゲを食したことはなかったのだ。


「どうした、食わぬのか?」

「…いえ、い、いただくわ」


(ええい、こうなったら勢いが大事よ)


 エレノアは決意を固めてトカゲに嚙みついた。がりがりと硬い皮膚。その中にやわらかい肉が詰まっていた。

 食してみるとどうだろう。見た目こそは気が引けるものの、なかなかに美味でありエレノアは驚いた。


「お、おいしい…」

「そうだろうそうだろう!」

「エレノア殿は普段、トカゲは食わぬのか?」

「…ええ、食べない…わね」

「なんと、それはずいぶんと勿体のないことだ。このキキミックは幼子の頃から食していたが、おまえはどのようなものを食していたのだ?」

「そ、そうね…聖なる豆と、聖なるパン…とか、かしら」

「豆とパンでは精がつかぬではないか!」


 自分ごとのように喜ぶキキミックと、不思議そうにするガストマ。

 エレノアには、キキミックのように好きな食べ物などなかった。幼子の頃から同じものを与えられていたため、それほど関心がなかったのだ。


「私はその…、つい最近まで、口にするものは定められていたから」

「なんだそれは、変な決まりだな」

「そんなことはないのよ? これには理由があって…とても大事なことなの」

「キキミックは理解ができぬ…。それでは食事が楽しくないではないか」


 訝しそうにしながら、キキミックは二本目の火吹きトカゲを平らげた。


 そう思うとたしかに、サンベルク帝国では町中で食べ歩く習慣はない。そもそも、広場で踊っている者もいなければ、出店がひしめき合っていることもないのだ。


 一般的な教えとしては、必ず食卓につき、女神オーディアに感謝を捧げたのちに年長者から順にスプーンを持つもの。外でサンドイッチ食したことも、今思うとなかなかの暴挙であった。


「そうね…そうかもしれない。トカゲはびっくりしたけれど、とてもおいしかったわ。素敵なものを教えてくれてありがとう」


 エレノアは最後の一口を頬張り、キキミックに笑いかけた。ガストマはそんなエレノアの表情をうかがうように、じいと見つめてくる。


 かなり勇気がいる行為ではあったが、何事も試してみるものだとエレノアは学んだ。彼らと同じものを食すことによって、距離が縮まったように思ったのだった。




 そのあとに訪れた広場は、特にこれといった行事があるわけではないというのにもかかわらず、魔族の民たちで活気づいていた。そこら中で会話が飛び交い笛や打楽器の音が響き渡る。中央では踊り子が美麗な飾りをつけて舞っていた。


 その場で転がりはじめるキキミックの隣で、エレノアはただため息を漏らした。広場の中央の物見やぐらには、太陽の象徴のごとき大きな光の玉がある。

 ガストマこそは落ち着いていたが、ここにいる者は、まるで人間の恨みとは無縁のように感じるほどであった。


「あんたもおいでっ!」

「わっ!」


 すると、近くにいた魔族の民に誘われるまま、エレノアは広場の中央へと腕を引っ張られた。ガストマは気にする素振りを見せるが、害はないと悟ったのだろう。止めることはしなかった。


(そ、そんな、私、踊りなんて…!)


 鈴の音と笛の音に合わせて、踊り子はエレノアの両手をとる。エレノアは見様見真似で手足を動かした。


(こ、こうかしら!)


 生まれて初めての体験。サンベルク帝国では禁止されている娯楽。エレノアははじめこそは戸惑っていたが、徐々に気持ちがよくなってゆく。

 同じものをいつくしみ、唄にのせて希望をつむぐ。己は人間であるのにもかかわらず、この瞬間は魔族の民たちと心が一つになったような感覚があった。






「……あたしはフィーネっていうんだ、あんた、名前は?」


 被っているマントが落ちないようにするのに骨が折れた。だが、楽しかった…と傍らで休んでいると、一緒に踊っていた踊り子が声をかけてくる。額に生えている小さな角。赤い躰。美麗な衣装は目を引くものがあった。


「エレノアよ。よろしくねフィーネ」

「エレノア…ふんふん、じゃあ、エリィだな!」

「エリィ…?」


 ぱちぱちと瞬きをして、それが愛称であることに気づいた。エレノアは感動した。サンベルク帝国では皇女という立場があったため、誰もが“皇女殿下”と呼んでくるからだ。


「う、嬉しい! せひそう呼んでくれないかしら!」

「…お、おう。なんだよ、そんなに喜んで大げさだな」


 実のところ、エレノアは愛称呼びに憧れていた。だが、当然のごとく皇女に不敬を働く者はいない。ここでは正体を偽っているため、長年の夢が叶ったというところだが、ふと、エレノアは冷静になった。


(この子も…私が人間だと知ったら、態度を変えてしまうのよね)

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