第25話




「首尾はどうだね。ローレンス」


 ハインリヒ・ローレンスが執務室に入ってくるのを確認するなり、国境防衛軍総司令官のジークフリート・バーナードは咥えていた葉巻を吸い、吐き出した。

 ハインリヒは深く敬礼をし、畏まった態度でジークフリートに報告をする。


「はっ、国境付近につきましては現在のところ、こちらが優勢かと」

「ふむ…。先の戦いにて、例の“黒翼の王”が出向いてきたと聞いたが?」


 ハインリヒは先日の激戦を思い浮かべる。誠に死闘であった。こちらが優位といえど、王に出張ってこられては状況が一変する。瞬く間に前線を食い破られ、兵士たちの死体の山が積みあがってしまった。だが。


「…問題なく。兵の消耗はございましたが、対魔族たいイェリ兵器にて対処し、撃退いたしました」


 それでも帝国側が勝っている事実に変わりはない。なんせ、サンベルク帝国はかの女神オーディアに愛された、崇高な人類なのであるのだから。

 ハインリヒの瞳には熱い情熱がたぎっていた。女神に選ばれし我らが、忌むべき魔族に敗するわけがない――と、胸の中で唱えながら。


「ほほう、そうかそうか。魔術が使える化け物であるとて、加護を受けた我々には敵うまい。それで? “黒翼の王”をほふることはできたのだな?」

「ほぼ、間違いなく。死体の回収ができておらぬのですが、致命傷を与えることができました故」

「…死体が上がっていないのか。魔族の生命力は馬鹿にならないからな。徹底的に殲滅せねば。報復のため襲撃を企てられるのが関の山だ」

「ご心配には及びませぬ。万一生きていたとて、せいぜい、立ち上がるのが限界かと」


 ハインリヒが胸の前に手を当てると、身に着けている甲冑が音を立てる。ジークフリートは吸っている葉巻を持ったまま、片手間で書類に目を通した。


「なるほど。承知した。…ローレンス、おまえには期待をしているぞ」

「はっ、ありがたきお言葉でございます」


 堂々とした体躯をしたジークフリートは、この国を統べるサンベルク皇帝からも一目置かれている。ハインリヒは敬愛の眼差しを向けた。


「――それにしても、ローレンス。皇女殿下が伴侶を探し始めたそうだが…すでに申し入れは済んでいるのかな」


 ジークフリートの問いかけに、ハインリヒは背筋をピンと伸ばす。


「はい。勿論でございます」

「おまえのような洗練された軍人であれば、皇帝陛下も安堵なさるだろう。離宮から出られてまもないというし、おまえから逢瀬の誘いでも持ち掛けてはどうだね」


 ハインリヒは心の中でエレノアの面影を思い浮かべた。痛み一つない白銀の髪に、宝石のように輝く碧眼。穢れなど微塵もない美しさ。この国の男であるのならば、誰でも心惹かれてしまうような可憐な容姿。


(民のために祈り続ける女神のようなあの方を、どうか私がお支えしたい)


 憧れ――いや、これは恋心であるだろう。


サンベルク帝国の男女は、基本的に定められた相手と結ばれる。ひとたび熱に浮かされると盲目になり、愚かな行いをするとされているためだ。夢や希望に絆された民は、純粋な信徒ではいられない。そうなると、女神オーディアが見限るのだ。


 ハインリヒは、侯爵家の出であることもあることと、ジークフリートのお膳立てもあり、婚期が到来してもなお、伴侶をあてがわれることはなかった。

 果たして、女神オーディアに愛されし皇女殿下へ向けるこの心は、愚かなものだといえるのだろうか。

――いや、この世でもっとも尊ばれるべき感情であるように思える。


敬虔けいけんな御方には、この私こそがふさわしい)


「…ああでも、今は辺境のニールで休暇を取られているのだったな。どうしてあのような、加護も授からない辺鄙な田舎町に…」


 ハインリヒは何度かエレノアへ手紙を出していた。使用人に上等なドレスを仕立てさせ、贈り物も三度ほど。

 おそらく、連日謁見に立ち並ぶ男たちの対応に疲れてしまわれたのだろう、とハインリヒは考えた。エレノアは心優しい女性だ。一人一人と真摯に向き合い、決して無碍にはしないのだろう。


「近日、辺境の地にて遠征がございますため、その時にご挨拶ができたらと考えております」

「そうか。皇帝陛下のお墨付きであるのだから、皇女殿下の伴侶はおまえで決まりだろう。そうなれば、ますます軍部の士気が高まるというものだ。私としても鼻が高いよ」

「もったいなきお言葉でございます」


 エレノアが祈る時、この世の神秘を見た。あたたかな風が吹き抜け、川の水はみるみるうちに澄み、雲が消え去り、青空が広がる。植物は息を吹き返し、この大地のあらゆるものが祝福を受ける。

 ――何にも染まっていない真っ白なエレノア。


燃え上がる情熱を胸に、ハインリヒは執務室をあとにした。

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