第二章 ─愛─

第23話




(オズワーズ。魔族の、王…)


 オズの放つ威厳と貫禄から、エレノアはすんなりと事実を受け入れた。

 人間を拒むこの森はまるで、傷ついた王を守るべく存在しているようであった。何年も、何十年も、何百年も、何千年も、人間と争い続けていると伝え聞かされてきた魔族の王がここにいる。


 王は、理性などない化け物ではなかった。とても崇高で、恐れおののくほどに神秘的で、悲しいほどに美しい。


「どうして、そのような大事なことを、私に? それに、なぜ私がサンベルク帝国の皇女であると分かったの?」


 オズはエレノアを一瞥すると、群生しているヒカゲ草の中へと歩き出してしまう。エレノアは慌てて立ち上がり、追いかけた。


「おまえが俺に使った祈りの力」

「…祈り?」

「あれは代々、大地の女神の血を引く人間の女が宿すものと決まっている」


 隣を歩いてもオズがエレノアを拒絶することはなかった。日光が当たらない暗くて湿った場所でしか繁殖しないヒカゲ草は、オズと私を静かに見守るがごとく、そよそよと揺れている。


「そ…そうよね。考えてみれば、知らないわけがないわよね。だって、オズは魔族の王なんだもの」


 エレノアは小さく喘いだ。


「その…黙っていて、ごめんなさい。あなたはもしかすると…いいえ、きっと、帝国を憎んでいるのだと思う。けれど誓って、女神オーディアを信じる我が祖国はあなたが忌み嫌うような国ではないわ」


 慈悲深いサンベルク皇帝は、決して魔族を排斥したりしない。そして私の幸せを何よりも願ってくれている優しい父でもある。


 また、正義感のある軍部の方々や貴族たちがたくさんいる。それだけでなく、富める民もそうでない民も皆、女神オーディアに誓って、誇り高き行いを徹底しているのだ。


 どのような経緯があって、オズが人間に怨嗟を向けているのかをエレノアは分からなかったが、清らかな女神をあがめ奉る帝国の人間が、忌むべき存在であるとは思えなかった。


「俺に、帝国を愛せと?」


 だが、満月のごとき瞳がエレノアに突き刺さる。オズはひとつ、ふたつ、と瞬きをした。


「そ…そうしてくれるのならうれしいことだけれど」

「笑わせるな」

「きっと…そうよ、きっとオズは帝国のことをよく知らないの。そして同時に、帝国の民たちも、魔族のことをよく知らない。だから、お互いのすばらしい部分を私が伝え聞かせて、そうしたら――…」


 そこまで言いかけて、エレノアは押し黙った。

 私が離宮から出ることになった理由。それは、伴侶を探し、力を継承する女の子を産むことにある。帝国の行く末を左右する大事であると理解しているからこそ、想いを口にするのが躊躇われた。


 オズとエレノアの間に沈黙が流れる。ヒカゲ草が揺れる音だけが聞こえる静かな森で、突如、悲鳴が聞こえてきた。


「びやあああああああ! にっ、人間がいる!!」


 子どもの声にしては野太く、大人の声にしては幼すぎる。オズは感情の宿さない瞳を“それ”に向けていた。

 茶色くて、丸くて、毛玉のような生物がそこにはいた。エレノアを目の当たりにして震えている不思議な生き物は、目玉が一つしかなかったのだ。


「オオオ…オズ様! オズ様、にににに人間が!」

「…あ、あの、驚かしてしまったようで、ごめんなさい」

「ひええええええ!」


 オズとは姿かたちこそは違っているものの、目玉をぎょろつかせているそれが魔族であることは代えがたい事実であった。

 エレノアが声をかけると、毛玉のような生物はいたずらに畏懼するばかりだ。一方で、オズは同胞を気にもしないそぶりを見せている。


「…煩い。何故おまえから出向いてきた。じきに戻ると伝えたはずだが?」


 もう少しばかり優しくしてやってもいいのではないか。


(そうよ、サンドイッチ…食べてくれるかしら)


 エレノアは唐突に思いつき、ランチバックを取りに身をひるがえす。口にあうかは分からなかったが、オズはすべて平らげてくれた。

 毛玉のような魔族にゆっくりと近づき、敵意がないことを伝えようとするが、びくびくと震えあがる一方だった。

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