第3話

第二日曜日は祈り日であり、毎月この日の宮殿前広場はたくさんの見物客で溢れかえる。エレノアは祈りの衣装に着替えて、緊張した面持ちで大聖堂へと向かっていた。


 サンベルクの民は古くから純粋な信徒であり、皆が女神オーディアの加護を待ちわびている。


 ――遊惰放逸ゆうだほういつなく勤勉である者、女神オーディアの加護が与えられん。


 今のサンベルク帝国の繁栄があるのは、この教えによるものが大きかった。女神オーディアの加護を受けた豊かな大地では、あらゆる産業が発達した。怠惰なく働き、国のために貢献することにより、女神オーディアからさらなる加護が受けられるとされており、これによって国力が高まった。

 そして、近隣の中小国を圧倒するまでの大国となったのである。


 ここでいう遊惰放逸とは、他国でいう音楽や踊り、余興のことであり、サンベルク帝国には祈り日以外の年間行事が存在しない。だからこそ、サンベルクの民にとってこの祈り日は特別な行事なのであった。


(私は彼らの期待に応えなければならない)


 時間をかけて禊を行い、女神像の前で両手を合わせる。エレノアは心の中で女神オーディアに呼びかけた。


(オーディア様、オーディア様)


 白妙の衣装はエレノアの白銀の髪を清らかに飾る。やがてふわり、と髪がなびき、エレノアの躰が青白く光った。鮮烈な光ではなく、やさしくおだやかな輝き。まるで、女神が地上に降りてきた瞬間である、と人々は感嘆した。


(――愛しい我がエレノア。お呼びですか……?)


 春の花のような声が聞こえてくると、エレノアは両手を女神像へと差し出した。

 女神オーディアの純美な声はエレノア以外には聞こえない。意識を通じ合わせることができるのは、女神の血を引く皇女のみ。とくにエレノアは、これまでの“大地の姫君”と比べて、より鮮明に女神オーディアの声を聴くことができ、より正確で持続的な祈りを捧げることができたのであった。


(オーディア様、ご機嫌麗しく存じます)

(エレノアも、健やかに育ちましたね)


 エレノアの耳に届く尊き女神の声。銅像として彫られている姿でしか目にしたことはないが、女神オーディアは本来、どのような容姿をされているのだろうとエレノアは思った。きっと清らかで聡明であるに違いないのだろうと想像を膨らませながら、女神の像に向けて祈りの力を込める。


(これからもどうか、その寛大なお心で我々をお導きください)


 エレノアの碧眼が宝石のようにきらめいた。見物客がどっと沸くと、あたたかな風が一帯を吹き抜けていく。


(――サンベルクの民に、今ひとたび、オーディア様のご加護を)


 木々の緑が深まり、川の水が澄み、空の色が鮮やかになる。

 民の願いを皇女が代弁する。こうして、女神オーディアは呼びかけに応え、人間が暮らす大地へと加護を与えるのだ。



「エレノア皇女殿下! 本日も見事な祈りでございました!」

「皇女殿下はさながら太陽の光のよう! 我が国の誇りでございます!」

「伴侶を探されているというのは、誠でございますか?」

「どうか一度でよいので、ぜひ僕とお食事でも!」

「いやいや! こんな身分の低い男どもでは満足されないでしょう。このシャルル家の嫡男であるこの僕こそが――」

「エレノア皇女殿下!」

「エレノア皇女殿下―!」

「どうかその尊い御顔を…!」


 祈りが終わって宮殿前広場に戻ると、エレノアは溢れかえるばかりの男性に取り囲まれた。乳母がいたものの、離宮で長らく人とかかわらずに過ごしていたエレノアにとっては、呆気にとられる出来事であった。


「お相手はもう決められておられるのですか?」

「あ…あの、」

「決められていないのであれば、ぜひ僕と!」

「ひゃっ…!」


 顔を真っ赤にさせて近づいてきた青年は、感情の赴くままにエレノアの手を握ろうとした。あまりに突然のことにエレノアは混乱して、足をふらつかせてしまう。


「エレノア皇女殿下、お下がりください。ここは私が」


 すると、エレノアについていた近衛騎士を差し置いて、すかさず男性たちの間に割り入ってくる軍人がいた。エレノアはその人物が誰であるのかが分かるなり、急に気恥ずかしくなって俯いた。


「者共下がれ! 尊き皇女殿下の御前であることを忘れるな!」


 さわやかな亜麻色の髪。軍人らしい精悍な出で立ち。サンベルク帝国、国境防衛軍特別遊撃隊隊長のハインリヒであった。


「あれは…ローレンス侯爵家の…!」

「ちっ、ハインリヒが相手ではかなわんな…」


 たくさんの人に囲まれて狼狽していたエレノアは、ハインリヒに導かれるようにして宮殿の中に戻っていく。彼らが立ち去ったあとの宮殿前広場は、エレノアがハインリヒを未来の伴侶として選ぶらしい――という話題で持ち切りになったのだった。

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