第75話

その男性の声は、何度か聞いたことのある声だった。確か、私の目を診てくれた人で、〝カゲミヤさん〟と呼ばれていたような気がする。



「らしくないですね、失敗するなんて。まあワケは聞きませんが」



煙草の煙が漂う中、カゲミヤという医師が私の目を見ているようで。「随分、目も良くなってますね」と私から顔を離した。



ふ、と、その人が口から煙を出し…。



「…そうか」と、どうでも良さそうに呟くケイシ。

さっき、ケイシは部屋から出てピルというものを用意してきたはずなのに、何故かカゲミヤさんという男性を連れてきた。



「情が湧きました?」



その言葉に、舌打ちをしたケイシは「金払ってんだからさっさと薬飲ませて消えろ」と、不機嫌そうに返事をし。



「分かってますよ」



カゲミヤという医師は、鞄のようなところなら、とあるものを取り出し「これ飲んで」と私の手のひらに小さな丸い何かを乗せた。



「避妊薬」



避妊薬…。

昨日、中に出された…。

子供を作らない薬…。

私は無意識にケイシさんがいるであろう方を見た。本当に、飲んでもいいんですか?そんな目をしていたと思う。

そうすればすぐに「飲め」とケイシの声が聞こえ、言われたまま私はその薬を口にした。



唾液だけで、それを飲み込む。


飲んだのを確認した医師は、「そういえば、」と、思い出したように口をする。



「最近、犬を飼ったようで。噂になってますよ」



………犬?

ケイシは煙草を吸ったまま、なにも喋ろうとはせず。



「なんでも、あの人の血縁関係だとか」



あの人の血縁関係?

その言葉に、思いついたのは、ユウリだった。

じゃあ、犬って…。



「…すぐ噛み付くしそろそろ捨てようと思ってるけどな」


「ああ、そうなんですか」


「犬はそう何匹も要らない」


「何匹…、ああ、ミソラですか?」


「あいつももう捨てる、売りもんにならないからな」


「なるほど。けど、この子は捨てないようで」


「…」


「なんだか、ここで死んだあなたの女に面影があるような気がしますけど、これは気のせいですか?」


「……消えろ、あんたの仕事は終わった」



ケイシの、苛立っているような声が聞こえた。



「俺もそろそろアジアの方に潜るので、しばらく日本に来ません、最後に餞別、置いときましょうか」


「……」


「1度、大金を払って顔を変えた男がいましてね。骨格も全て」


「……」


「もしこの目が見えるようになった時、気をつけた方がいい」


「……カゲミヤさん」


「じゃあ、失礼しますよ。随分あなたの組にはお世話になりましたから」


「……」


「ああ、あと、それから」


「……」


「七渡さんによろしくお願いします」





カゲミヤさんが家から出ていき、煙草を消すような音が聞こえ。



「……、クソが……」と、苦しむような声が耳に届く。



「だから売りもんにしなかったのか……」と。


「……知ってたのか」と。




煙の匂いが少なくなり、ケイシが私に近づいてくる。そして、影が私の前にしゃがみこむ。



「な、…ほんと、そっくりだわ…。お前…。……ずっと謝って……。寂しがり屋なところも……」



そっくり…なにが…。



「あたまも……」



頭?



「……ケイシさん、…?」


「お前、」


「……あ、の……」


「お前……」




ケイシが、ケイシが私の手を握った。

だけどビクビクしたり、震えることは無く。

まるでユウリにさわられているみたいで。



好きな人に、触れ合うような……。

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