第38話

「なんで謝る?」



なんで謝る?

そんなの。



「私はずるいんです…」


「ずるい?」


「私がこう言えば、優しい壱成さんが私を助けてくれるっていうのを分かっているから…」


「……」


「もう会わないって私から言ったのに…」


「俺は、」


「本当に、自分勝手な事ばかり考えて…」


「あんたに頼られたら嬉しい」


「…」


「もっと頼ってほしい」



壱成さんのお腹辺りまで視界に入ってきた。腕も視界に入ってきて、その指先が私の方へと伸びてくる。

壱成さんの左手が、私の顔を上に向かそうとしているのが分かった。

その左手には、ホテルにいた時に知った拳ダコがあった。もう何度もそういう行為をしているのか、その部分だけ皮膚が硬くなっていて…。

きっとこの皮膚ができるまで、沢山の血が出たのだろう。



──あんたに頼られたら嬉しい…。

いつもいつも、私を助けてくれる壱成さん。



「…壱成さんの手を見て、思い出したことがあります」



アドレナリンが出ているのか、なぜか意識ははっきりしていた。さっきまでは瞳を閉じれば気を失いそうだったのに。



「手?」



壱成さんが私の頬に触れた。もう頬の痣は薄くなっていた。



「中学生のころ、雨の日…、傘を持っていない私に…傘をくださった方がいました…」



ぴくりと、ほんのわずか、壱成さんの指が反応したような気がした。



「駅員の方経由で…、白鳥の中学生の子に、と、くださったそうです。駅員の方に聞けば、その人は金髪で…手に怪我をしていたと…」



その反応した指先は、私の頬を包んだ。



「壱成さんはいつから、黒い髪なのですか?」


「…いつからと言われれば、1年ほど前だ」


「……いつから私のことをご存知だったんですか?」


「あんたを認識したのは、何年か前」


「それほど、前ということですか?」


「ああ」


「でしたら、いつから、」


私を助けてくれていたんですか?


壱成さんと初めて関わったのは、いつですか?


いつから私の事を好きなのですか?



たくさん聞きたいことがあるのに、これ以上唇が震えて声が出せそうになかった。



「…私と、2歳、違うのも、どうして知って…」



やっと喉から出たのは、随分前に気になったこと。



「電車を待っているあんたの制服が変わったから知ってる」



ああ、そうか。中学の時の私を知っているから…。本当に壱成さんはいつから…。



「佳乃」



名前を呼ばれ、顔を上に向けた。

壱成さんが私の顔を上げようとしたのと一緒だった。それでもほぼ壱成さんの手には力が入ってない。



「俺の作った飯は食えないか?」



壱成さんの…。



「あんたの為なら、なんでもする。なんでも」



壱成さんを巻き込みたくないと決意した日、同じようなこと言われた。


頷きたい、けど、私の理性が邪魔をする。



「私は、壱成さんに、何もお返し出来ません…」


「そばにいるだけでいい」



そばにいるだけ…。



「ご迷惑を、たくさん、」


「そんなことは絶対に思わない」



とても優しい壱成さん…。



「好きだから、何でも許せるのですか?」


「全部、あんただから」



どれだけ拒絶しても、受け入れてくれる壱成に胸が締め付けられるのが分かった。涙が出そうなのに、もう水分不足なのか涙も出ない。



「壱成さんは、わたしに、何を求めますか…」



壱成さんは、一瞬言葉を止めた。



「分からない」


「……」


「ただ、あんたが何かを求めた時、そいつが俺ならって思ってる」



私が何かを求めた時…。


壱成さんは、私のどこを好きでそう言ってくれるのだろうか?

随分前から私のことを好きらしい壱成さんは、私のどこをそこまで好きになってくれて…。



「…どうしてそこまで私のことを?」


「佳乃」


「どうして…」


「何か食おう」


「…わたし、…」


「歩くのも辛いだろう?背中乗るか?」


「わたし、」


「教えてくれ、何でもするから」



ねぇ、お兄ちゃん。自由に行動すればいいって、どうすればいい?

壱成さんに「お腹がすいた」と言ってもいいの?だけど壱成さんが用意してくれる料理も食べられるか分からないのに…。

食べられず、壱成さんが悲しい顔をするかもしれないのに。

私が壱成さんに望むことなんて…。

しちゃ、いけないのに、壱成さんに会えて嬉しい私はこの手をふりほどくことが出来ない。


私が、壱成さんのそばにいることを望んでいるから。食事よりも、私はこのまま壱成さんのそばいたい。



「……門限が、6時に、なりました」


「ああ」


「その時間まで、一緒にいたい…」


「うん」


「お腹もすいて…でも、それよりも、」


「うん」


「壱成さんといたい…」


「うん」


「ずっと一緒にいたい…」



頬にあった手が、髪を通り後頭部へと回る。壱成さんに抱きしめられれば、心地が良く、瞼を閉じれば頭が真っ白になって気絶しそうだった。



「あんたが望むなら」



壱成さんがそう言ったあと、私を支えながらすぐ側のロータリーに向かい、タクシーに私をほぼ抱えながらそこに乗り込んだ。


壱成さんに体を預け、私はどこか遠くで壱成さんが行き先を告げるのを聞いていた。

タクシーの中で、まるで離さないとでもいうように私の肩に腕を回す壱成さん。

10分ほどでタクシーは止まり、壱成さんは私を抱えながらその中へ鍵を開けて入っていく。

とある一軒家の中。表札は〝立花〟と書かれていた。

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