第22話

次の日の朝、まだ頭はふらふらするけど、これ以上休めばお母さん達に何かを言われるかもしれないから、必死に体を起こした。

──お腹は痛くない。

あるのはふらつき。貧血気味。

まだ、マシ……。


洗面台で身なりを整えていると、珍しくお兄ちゃんが学校の制服を着ていた。

それを見て、どうして壱成さんと同じ高校なのか分からなかった事に気づく。

お兄ちゃんはズボンの制服を着ているものの、上は白色のパーカーと学校の制服を着ていなかった。

思い返せば、お兄ちゃんは指定の制服を着ていない。パーカーやTシャツと普通の私服を着ている。

だけどお兄ちゃんとは違い壱成さんはカッターシャツや、学ランと指定の制服を着ていた。──だから同じ高校だと気づかなかったのかもしれない。



「大丈夫か?」


「うん、学校行くの?」


「壱成ってやつ、見つけてくる」



私のために、学校へ行くらしい。



「…ごめんなさい」


「伝言、もう会えないでいいのか?」


「うん」


「…分かった」


「…ごめんなさい……」



家を出て、学校へ行くまでの間、壱成さんと合うことは無かった。学校の中ではまだマシなものの、やっぱりふらふらと目眩がした。

それでもまだ歩けるから、授業を受けて──帰りも自分ひとりで帰ることが出来て。


4時半頃に帰ってくるお母さんはいない家は、とても気分的に楽だった。そんなリビングにいると、家に帰ってきていたらしいまだ制服姿のお兄ちゃんが2階から降りてきて。



「探してみた。壱成って名前のやつ、1人しか居なかったわ」



1人?

と、いうことは、お兄ちゃんが知っている壱成さんだったらしい。

お兄ちゃん曰く、〝怖い人〟。

〝優しい〟ではなく、〝怖い人〟。



「その人に、お前のこと、聞いてみた」



聞いてみた──……



「私を知ってるかって?」


「ああ、普通に。兄貴ですけどって」


「うん」


「つか、お前スマホは? 電源入ってないって言われたんだけど」


「お母さんが持ってる。もう番号も変えるらしいからこれから繋がらないと思う」


「は?」


「……壱成さん、なんて?」


「…やっぱ、佳乃のこと知ってた。だから会えないって、言っといた」



──会えない。



「そっか、」


「壱成さん、お前のこと体調が悪いのかって、」


「なんて答えたの?」


「答えてない」


「壱成さん、怒ってた…?」


「いや、怒ってはなかった、怖かったけど」



怖かった……。



「私、壱成さんとの約束破ったの。親しくなりたいって言われて、うん、って、言ったのに…。私がもっと壱成さんと会話をしたいって言ったんだよ」


「……」


「お兄ちゃん、壱成さんは優しいよ」


「……」


「だって約束をやぶれば、普通は怒るはずだもの」


「……いつから、」


「え?」


「いつから知りあいなんだ?」



いつから────



「この前の、雨が降った日から知り合いだよ」


「雨?」


「壱成さんがね、忘れ物をした私を走って追いかけてくれたんだ」


「……」


「優しいの……何度も助けてくれたの」


「好きなのか?」



お兄ちゃんの言葉に、心が動き。

唇を噛みしめそうになったのを堪えた。

それでも頑張って、笑った顔を作る。

作り笑い。

本当に泣きそうで。

唇を噛みしめると、泣き出してしまいそうで。


好き、

好き、


この会いたいという気持ちが、恋愛感情から来るのならば、お兄ちゃんの質問の返事は1つしかない。

いつから?と聞かれても分からない。

気がつけば好きになっていた。

本で読んだことがある。

恋というのは、いつのまにか起こっているものだと。



「……言わないよ、だってもう、言っても無駄でしょう」


「……」


「もう会わないんだから。──着替えてくるね」



お兄ちゃんに笑った顔を向けて、私はリビングから出た。何かを言いたげなお兄ちゃんを無視して、自室に篭もる。

自室の机の引き出しを開ければ、そこには壱成さんがプレゼントしてくれた花柄の紙の袋があって。

泣きそうになりながら、その袋をあけ、壱成さんからの手紙を見つめる。

壱成さんの字は、角張っているというか、達筆というか、汚くはない男性特有の字だった。



〝佳乃へ

お菓子美味しかった、ありがとう〟



その文字を指でなぞる。

なんでなの。

なんで私だけ、こうなの。

どうして私は壱成さんと会ってはいけないの。

どうして。

なんで。

どうして。

どうして私は────

必死に涙を堪えた。

これ以上手紙を見ると泣きそうだったから、引き出しの中に手紙とプレゼントを閉じ込めた。



必死に我慢した。

我慢、したのに。



──その日から2日後の夜、お父さんから見せられたその紙の束に、涙を堪えるのができなかった。

〝報告書〟と表紙には書かれている。

きっと、お父さんが探偵か興信所に調べさせたのだろう。──壱成さんのことを。



「見なさい、佳乃。佳乃に関わってきたやつはとんでもない男だ。人様に迷惑をかける……佳乃とは住む世界が違う男だ」



どうやって調べたの……。

スマホの番号から?



「アイツと同じ学校で……、まさかアイツが仲を取り持ったんじゃないだろうな?」


「違うよお兄ちゃんじゃない……、お兄ちゃんは何も知らない」


「本当のことを言うんだ」


「お兄ちゃんは知らない……同じ高校なのは偶然だよ」


「佳乃、いいか? この男は暴走族に入ってる。しかもその中の総長という位置にいる。この事がどれだけの問題か分かるか?」



暴走族……総長……。

私は知らない。

何も知らない。

私が知っているのは、優しい壱成さんだけだもの。

どうしてこんなものを調べるの……。壱成さんに対して失礼だとは思わないの……?

私はもう会わないって決めたのに。



「この報告書は全部じゃない。この3日間の報告書だけでこれだけの悪事が書かれている。佳乃がしたことは分かるか?毎晩電話なんか、……──分かるかと聞いているんだ!!!」



お父さんの怒鳴り声と共に、お父さんが机の殴ったせいで、とても大きな音がして。



「もう関わらないよ…、」



そう言った私の声も震えてる。



「佳乃は同意だったのか?付きまとわれていたのか?」


「……同意、だよ。もう関わらない、……ごめんなさい……」


「同意?誑かされたか?やっぱり圭加か?」


「お兄ちゃんは知らない……、誑かされたりもしてない……」


「──佳乃ッ!!!」



お父さんが、また怒鳴り声を出して、報告書を私に向け、1ページ捲った。

そこには壱成さんの個人情報がたくさん書かれてあった。年齢も、高校名も、──私の知らない壱成さんが、書かれている。



「自分の口で読みなさい、1字1句間違えず。1行目の〝立花たちばな壱成についての報告書〟から」



読めるわけない──

読めるはずない。

何も言わない私に向かって、お父さんの手が振り上げられるのが分かった。

──頬に鋭い衝撃が走り、痛みが広がっていく。



「……ほんとに、関わらないから……」


「読みなさい」


「読め、ません」


「読みなさい」


「ごめんなさい……もうしない、もうしないから……ごめんなさい……」


「佳乃、これは佳乃の将来のためなんだ」


「読めません……ごめんなさい……」


「佳乃」


「もうしません……しませんから……」



ぽたぽたと、悲しみと悔しみで涙を流している最中、「これは佳乃のためなんだ」という声が聞こたような気がした。

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