第3話 秋に戻るカフェ

 秋の冷たい風が吹き始めたある夕方、悠斗(ゆうと)はカフェのカウンターに立ちながら、店内に漂うコーヒーの香りを楽しんでいた。ここで働くのも長くなり、常連客の顔を覚えるのはお手のものだった。しかし、今日だけはどこか違和感を覚えていた。


 ドアが開き、カフェに一人の少女が入ってきた。長い黒髪を揺らしながら、まっすぐ カウンターへと向かってくる。淡々とした表情に加え、その目には不思議な力が宿っているように見えた。悠斗はその瞬間、彼女が「普通の客」ではないことを直感した。


「何にいたしますか?」悠斗はいつも通りに声をかけた。


「アメリカーノをお願いします。それと…少し話がしたいんです。」彼女は静かに答えた。


「話?」悠斗は不思議に思ったが、注文を受けながら彼女の言葉を聞いた。


「あなた、覚えていないかもしれませんが、私たちは前にも会っています。そして、これからもまた会います。」

 その言葉に、悠斗は戸惑った。記憶を必死に辿るが、彼女のことを思い出せない。


「え?どういうこと?」と困惑する悠斗に、彼女は小さく微笑んだ。「私は楓(かえで)。そして、時間遡行者。」


 悠斗は一瞬言葉を失ったが、楓の真剣な表情から冗談ではないことを悟った。


「君は…時間を越えられるってこと?」


「そう。私は、過去や未来に行き来できるの。でも、何度もここに戻ってきた理由は一つ。悠斗、あなたが鍵だから。」


 悠斗は混乱しながらも、彼女の言葉に引き込まれていった。楓が語るのは、自分が何度もこのカフェに訪れ、秋のこの季節に戻ってきては、彼に会い続けているという話だった。


「でも、どうして俺なんだ?俺には特別なことなんて何もないよ。」


 楓は少しコーヒーを飲み、静かに答えた。「特別なことは、何もないように見えるかもしれない。でも、このカフェのこの瞬間が、ある未来を救う鍵になるの。」


 悠斗はますます疑問を抱いたが、何かが彼女の言葉に確かに響いていた。まるで、ずっと忘れていた記憶を呼び覚まされるかのようだった。


「未来を救うって…?」


 楓は悠斗の顔をじっと見つめた。「私が何度もこの時間に戻ってきた理由。それは、 ここであなたがコーヒーを淹れる瞬間に、未来が変わるから。」


 悠斗はコーヒーを淹れながら、自分が何か重大な役割を担っているという感覚を覚えた。だが、それが何なのかはまだ理解できない。ただ、いつものように豆を挽き、丁寧にドリップしていく。その動作は自然と身についているものだが、今日はどこか重みを感じた。


「その瞬間って、今なのか?」


 楓は頷き、「そう、まさに今がその瞬間」と言った。


 コーヒーがカップに落ち、香りがふわりと立ち上る。楓はその香りを深く吸い込み、ふと静かに目を閉じた。


「これで大丈夫。あなたは、いつも通りの行動をするだけでいいの。私が何度もこの時間に戻ってきたのは、この瞬間が未来に大きな影響を与えるから。だから、あなたがコーヒーを淹れるこの一瞬が、未来の運命を左右するの。」


 悠斗はその言葉を信じていいのかどうかはわからなかった。しかし、楓の真剣な眼差しに、彼は何かを感じざるを得なかった。彼が何気なく過ごしてきたこのカフェの時間が、実は未来に大きな意味を持つということ。そして、彼がそれを変える鍵だということ。


「ありがとう、悠斗。これで未来は少し変わるかもしれない。」楓はそう言って、静かに席を立った。


「また会えるのか?」悠斗は問いかけた。


 楓は振り返り、「いつでも。時間を超えて、また君に会いに来る」と微笑んだ。そして、彼女はカフェを去っていった。


 それから悠斗は、カフェでコーヒーを淹れるたびに、あの瞬間がどれほど特別だったのかを考えるようになった。何も変わらない日常が続いているように見えたが、その裏で何かが確実に動いていると感じていた。


 そして、秋の夕暮れ時にコーヒーを淹れるたびに、楓がふらりと現れるかもしれないという期待が、心のどこかに残り続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る