JOKER
久しぶりに見返したら、私にとって希望すぎたので書きます。
映画が上映された2019年に観に行きました。今から5年前です。
その時は人生に希望を持っていたので、JOKERに感情移入ができず、「ヤバいヤツ」だと思いながら見ていました。とにかく暴力的な映画だと思っていたのです。
あれから5年。
私の人生もめちゃくちゃになってきて、絶望したときに、ふとこの映画を思い出しました。当時は感情移入できなかったけど、人生に絶望した今なら思うことがあるだろう――そう思って見てみました。
JOKERって、希望じゃん!
そう思ってしまいました。
映画の内容は割愛しますし、考察をする気もありません。
私が響いたのは、アーサー自身が感じていた絶望感が同じだということ。
アーサーは精神障害で、要は「普通の人ではない」ということ。それを自身もいやというほど味わってきたわけです。彼は必死に普通の人になろうと努力していました。精神障害のカウンセリングを受け、薬も飲み、仕事も続け、母の介護もした。
それでも、普通にはなれなかった。この「普通になれない」というのに、私はものすごく共感しました。彼も終盤のコメディ番組で言っていました。
「自分を偽ることに疲れた」と。
この言葉は、世の中の「普通に生きようとしているのに、普通になれない人」にものすごく響く言葉だったと思います。現に今、私に響いています。
人間には2種類います。「普通の人」と「普通になれない人」。この人間社会は普通の人を中心に回っています。普通じゃない人は普通になろうと人のフリをします。アーサーが薬を飲んで、無理やり普通になろうとしたように。
でも、普通にはなれない。それどころか、普通の人は普通じゃない人を攻撃するのです。「あいつは普通じゃない」と笑うのです。
それに対するアーサーの答えが「普通じゃない人でも生きて良い」ということ。
そして「普通の人にならなくてもいい」ということです。彼は中盤に薬を飲むのをやめました。それは「普通になろうとすることをやめた」ということです。そして普通じゃない彼は殺人を犯した。しかし結果は、世の中に受け入れられたわけです。JOKERの誕生に、市民は共感したのです。
この映画は、普通じゃない人にとっての希望です。
もちろん、殺人が希望ではありません。ただのフィクションですから。
アーサーはこう語りかけてくるのです。「普通じゃなくていいんだよ。ありのままの自分でいいんだよ」と。
「笑うのは障害ではない。自分だ」という言葉のように、自分のままで生きていい――そんなメッセージが私に届きました。ダークなアナ雪ですね。
久しぶりに見返したら、実に強く響きました。
私もこんなふうになるかもしれません。もちろん人に迷惑をかけるとかそういうことではなく、普通じゃない人として自分を肯定して生きていくという意味で。
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