遭難
しくじってしまった。
本来の登山ルートから外れて、エスケープをして沼ノ木小屋へと向かう腹積もりだったが、どうやら迷ってしまったらしい。
しかも、もの凄い強風と吹雪となっていて五メートル先も見えない。あっという間に雪が積もってしまって進めなくなった。体力の消耗が甚だしい。。
日が暮れてきたから、今日はこの場所でビバークするしかない。テントを設営しようとするが、体が浮いてきそうなほどの強風が巻いていて、ポールをつかむのにも難儀している。ゴーグルをしていても目を開けられないんだ。こんなことってあるか。
「うわあーーー」
いきなりの突風で、テントが飛ばされてしまった。ハイマツの根の硬い部分にペグをぶっ刺したのだけど、なんと枝ごと舞ったんだ。おそらく百メートル以上は離れてしまっただろう。この猛吹雪の中で探しに行くのは自殺行為だ。これはヤバい。茫然としているヒマはないぞ。
「雪洞を掘るしかない」
小さなスコップで、がむしゃらに雪をどかした。動いていないと凍死してしまう。チョコバーもカップ麺もあるし食料の心配はない。とにかく体を休める穴を掘って、そこに潜って吹雪をやり過ごすんだ。あったかいものを食べて、少し眠れば体力も回復するだろう。低体温症だけは避けなければならない。冬のソロ登山で人事不省になってしまったら、俺のライフは終わりとなる。
斜面の積雪は凍っていて掘るのに苦労した。やっとのおもいで完成させて、奥行き二メートルの雪洞ができた。だが一息ついてから入ろうとしたとたんに、いっきに崩れてしまった。
「あぶなかった。穴に入っていたら生き埋めだったな」
とりあえず命は助かった。だけど、これから新たな雪洞を掘る体力は、もうない。辺りは真っ暗になった。ヘッドライトの灯りだけでは心細い。吹雪はいっこうにおさまらないし、ケイタイは圏外で救助も呼べない。このまま死んでしまうのかと絶望していると、突如として天からの贈り物が降ってきた。
「ブハーッ」
俺の体に覆いかぶさってきたのは、なんとテントだった。猛風でどこかへぶっ飛んでしまったと諦めていたのに、戻ってくるとはなんたる幸運。うまい具合に風が巻いて、ここに落ちてきたようだ。今度こそはと、歯を食いしばって固定した。
「ふー。なんとか」助かったと安心したら、手が尋常じゃないくらいに腫れているじゃないか。
この猛吹雪の中、テントを固定するために手袋を脱いでしまったのが原因だ。すでに青紫に変色し、鼓動のリズムとともに激痛が走る。凍傷だろう。とにかく温めないと。
ザックの中からポータブル電灯とガスストーブを取り出した。指が死んだようになっているので、俺の意思通りに動いてくれない。もちゃもちゃやっていたら、風がテントの中へ吹き込んできた。入り口のファスナーが壊れてしまったんだ。
「やっべ」
とっさにザックを置こうとした。バリケードのつもりだったが、手の感覚がおかしくて、あてがうだけのつもりが押し込んでしまった。
「ああーっ、ああああーー」
外に出てしまったザックが突風に飛ばされて、斜面を転がり落ちた。真っ暗闇で、しかも猛吹雪なのでとても取りに行けない。食べ物が入っていたのにと絶望した。
なんとか気を取り直してガスストーブを点けようとしたが、壊れているのか着火しない。指が凍傷にかかっているので修理することもできないんだ。
「詰んだ。俺の人生詰んだな」
享年25歳、女も知らずに死んでしまうのか。
ブサイクでチビな俺はモテたことがない。手を握ったこともキスを経験することなく、義理チョコ一つ貰ったことがないんだ。結局、女どころか年寄りもいない冬山で死ぬんだ。トホホな人生だったな。
(・・めし~、や~)
「ん、なんだ」
女の声がしたような気がする。いや、まさかな。低体温症による幻聴だろうか。あれだけゴーゴーと唸っていた風が突然止んだので、耳がバグったのかもしれない。
(うらめしや~)
「いや、聞こえる」聞こえたぞ。
(うらめしや~、うらみ~まーす)
恨めしい、って言っているのか。気味が悪いな。遭難状態で人の声はありがたいのだけど、なんだか怪談っぽくて怖いぞ。鳥肌を通りこして鮫肌になってきた。こんな状況でやめてくれよな。
(呪うぞ~、祟るぞ~、うらめしや~)
おいおい、女の怨霊が出たのか。
うう~、かんべんしてくれよ。いくら女を知らずに死ぬからって、人生の最期に幽霊とか化け物のたぐいはいらないからな。
「おっわーっ」
い、いきなり、テントがざわつき始めた。誰かが外からバタバタと叩いているんだ。手の跡が薄い布地を通してハッキリと見える。
すごく怖い。寒さなんかどうだっていいほどの恐怖だ。頭がおかしくなりそう。
って、唐突に止んだ。静かになった。なんだったんだろう。外になにかがいたようだけど、もう行ったかな。怖いけど確認してみるか。そう思って、テントの入り口から顔だけ出そうとした時だった。
「チェーーーーースト」
「うわあーーー」
なにかが、いや誰かが押し入ってきた。ビックリして心臓が止まりそうになった。
「こんばんはでございますよ」
女だ。
しかもセーラー服とスカートでスニーカーを履いている。どこからどうみてもJKだ。土足はイヤだが、気にするとこはそこじゃない。
「お、おまえは誰だ」
「ネコヤーですよ」
「ね、ねこ?」
「猫屋敷華恋です。みんなからはネコヤーと呼ばれていますね」
一人用テントなので、押し入ってきた女子高生と密着してしまう。バストのボリュームがハンパねえから、接触したら痴漢呼ばわりされそうだ。
「ええーっと、ちょっと寒いのですけど」
「冬山だし、テントの中だし、ちょっとどころではなくて、すげえ寒いはずだ」
こいつ、こんな格好でここまで登ってきたのか。上は半袖の夏用セーラー服で、スカートは短いし生足だし、どうして生きていられるのか謎だぞ。マイナス20℃くらいあるのに。
「外で、うらめしや~、とか言っていたのはおまえか」
「ネコヤーは、おまえではありませんね」
「ええっと、だからさっきから怖いこと言っていたのは、そのう、ネコヤーさんなのか」
「はい、そうですよ。ファーストコンタクトは、やっぱりホラーがいいと思いましたね。テントを叩いたのは、前にめっちゃ怖い映画でそういう演出があったのです」
なんか笑顔が可愛すぎるんだけど。ホラー演出で、なしてそんなに喜んでいるんだ。
「メタクソ怖かったぞ」
「楽しんでもらえて、ネコヤーは嬉しいですね」
「楽しくはねえ」
「じゃあ、もっと痛いほうがよかったですか」
「痛いのはイヤだ」
「わがままな人なのですね。反省してください。お仕置きしますよ」
「おふくろかっ。お仕置きはするなよ」
「あなたのお名前、なんですか」
これは幻覚なのか。低体温症でイカレちまったのかもしれない。だとすると先は長くないな。まあ、寒さで苦しみながら死ぬよりも、可愛い女子高生と話していたほうが天国気分でいいや。とりあえず自己紹介でもしてみるか。
「俺は」
「いや、待ってください。ネコヤーが当ててみます」
俺に両手を突き出して、ハアー、とか言っちゃって気合を入れている。インチキ霊媒師みたいなやつだな。
「はい、出ました。あなたの名前は、ゲジゲジイモ太郎さんですね」
「ちがうわ。全然ちゃうぞ。ていうか、ヒドすぎねえか、それ」
「だって、そういうブサイクなお顔をしていますね。ぴったりだと思うのですが」
「ブサイクで悪かったな」
「悪いと思うなら反省してください。殴りますよ」
こいつ、本気で殴る気なのか、グーの手を突き出して眼力がハンパないな。そんなにブサイクが許せないのかよ。
「ゲジゲジイモ太郎な顔なのは、俺が悪いんじゃねえ。遺伝だよ、遺伝」
「32対の染色体をもっているのに、どうしてブサイクになれるのですか」
「32対はミミズな。人間は46対だから」
「はあ~。ここは男臭くてなんだか気分が良くありませんね。来るんじゃなかったですよ。どうしてくれますか」
「いや、ネコヤーさんが勝手に来たんだよ。俺が呼んだわけじゃねえからな」
この女子高生、可愛い顔して性格悪いな。なんか疲れてきたぞ。
「そろそろ幻覚から覚めたいんだけど」
「ネコヤーは幻のたぐいではありませんね。しっかりちゃっかり実体なのです。ウソだと思うのなら、この指先に触れてくださいな」
女子高生が人差し指を俺に向けているんだ。どうやって触ればいいんだ。とりあえず、俺の人差し指の先っちょで接触してみるか。
「んギャギャギャギャギャギャ――――」
め、めったくそ痺れたぞ。電気ショックの電圧高めなやつだ。
指から電撃なんて人間技じゃねえ。やっぱり、こいつは怨霊か妖怪だ。
「リアルを感じてもらえましたか。でもブサイクは治りませんね」
「いや、ブサイクなのは諦めているからどうでもいいけど、ネコヤーさんはいったい何者なんだ。人間じゃねえだろう」
「はい、そうですよ。ネコヤーは人ではありませんね。では、なんなのでしょうーか」
クイズの時間かよ。
「制限時間は三十秒です。不正解や答えられなかった場合は、いまの電撃が24時間続きますね」
うわー、冗談じゃねえ。三分でもかるく死んでしまうのに丸一日の刑はかなりしんどい。でも、いきなりのことで解答が浮かばねえ。なんだ、こいつはなんなんだ。
「一分経過~」
三十秒過ぎたけどいいのかよ。意外とやさしいな。
ハッ、閃いたぞ。
「雪女」
和服じゃないしデカ乳なのが難点だが、きっとそうだろう。猛吹雪の中で遭難した男の前に現れる妖怪といえば、雪女しかいない。
女子高生、表情を変えずにこっちを見ている。リアクションがないな。違うのか。正解だと思うんだけど。
「ああ、でも雪女は、しょせんは民間伝承をもとに明治の作家が創作しただけの虚構だからな」
「小泉〇一郎ですね」
「小泉八雲な。小泉〇一郎はだいぶ前の総理大臣で、郵政なんちゃらかんちゃらやってた政治家だよ」
「小泉なんちゃらかんちゃらさんは、じつは外国の人で、本名はミスター・ビーンですね。これ、マメです」
「ラフカディオ・ハーンな。ミスター・ビーンはイギリスのコメディー俳優だぞ。雪女の物語がコントになっちまうじゃねえか」
「似ていた名前なので言い間違えました」
「ぜんぜん似てないけど、どうやったら間違えるんだよ。ちっともマメじゃねえし」
「チッ」
「舌打ちするんじぇねえ」
結局、こいつが誰なのかわからずじまいだ。雪女の可能性が濃厚だが確定ではない。もしそうなら、ヘタに怒らせるとアイスキャンディ―にされそうだから、穏便に相手をしてもう少し様子をみよう。
女子高生、スカートのポケットに手を突っこんでゴソゴソやっているな。なんか取り出したぞ。
「あ、ビックチョコバーじゃんか」
カロリー多めの激甘ビックサイズチョコバーで、俺が持ってきたのと同じだ。おもわず手が出そうになった。
「これはネコヤーの所有物です。あげませんよ」
「あ、まあ、そうかよ」
女子高生がチョコバーをバリボリといい音を響かせながら食っているよ。一人で独占して食ってるんだ。こいつには困った隣人に分け与えるという慈悲の心がないのかよ。あーあ、とうとう全部食っちまった。
「それって非常食じゃないのか。食っちゃって大丈夫なのかよ」 」
「この下で赤いリュックサックが落ちていて、中に入っていましたね。タダでした」
「うわー、やっぱ俺のじゃんか。俺のチョコバーだって。ああ~」
くそー、貴重な糖分とカロリーを食われてしまった。あれは俺にも権利があったんだよ。チクショー。
「こんなのもありましたね」
そう言って、どこに隠していたのか、これ見よがしにカップ麺を置いたんだ。その激ニンニクしょうゆ味大盛りラーメンにはデジャブを感じずにはいられない。
「それも間違いなく俺のだ。俺が激安スーパー・ハマタで買ってきたものなんだよー」
なんか、涙ができた。だって、ここで食べないとホントに死んでしまうだろう。
「もちろん、知っていますよ。だから、ネコヤーが特別に作ってあげますね。さっき皮膚病のタヌキを撫でた手を洗っていませんが、生手で触ろうかと思います」
微妙に不潔そうだけど、まあ、ありがたい。手が凍傷になってうまく動かないから、カップ麺をつくってくれるだけで感謝だ。
「ああー、でも、ガスストーブが壊れちまったんだ。お湯を沸かせない」
「壊れていませんよ。ほら」
女子高生がカチカチやると、ボッと炎が点いた。雪を溶かしてお湯を沸かし、カップ麺にたっぷりと注いでくれた。これはいたせりつくせりで、女房にしたい気分だ。
「はい、三分経ちましたから、フタをとってかき混ぜてあげますね」
そうそう。タレが固まっていたりするから、よ~くかき混ぜて、味を均一にして、そして麺に空気をなじませる。
「ついでに、フーフーしてあげます」
生女子高生、しかもアイドル以上に可愛い女の子にフーフーしてもらえるなんて、生きててよかったぜ。早まって凍死しなくてよかった。
「じゃあ、いただきますね」
え、おまえが食うのかよ。
「おおおーーー」
食ってる、食ってる、めっちゃ食ってるぞ。
猛烈な勢いで、親の仇をとるごとく啜りだした。
もう、滝のように麺が啜り上げられていくんだ。汁があっちこっちに飛んで、ニンニクしょう油の香ばしさが目に沁みる。
三十秒くらいで麺を食いきったよ。そんでアツアツの汁をゴクゴと喉を鳴らしながら飲み干しやがった。熱くねえのか。ふつう火傷するだろう。っていうか、
「お、俺の分は」
「ありませんね」
ありませんね、じゃねえぞ。
「おい、雪女。やっぱり遭難者を殺してしまうって伝説は本当だったんだな。しかも盗人でサディスティックでコスプレ趣味で、とにかくなんかこう、なんちゅうか」
言葉にならない感情がこみ上げてきた。このエモーションをこいつにぶつけたいのだが、雪女だったら瞬間冷凍にされてしまうからな。用心にこしたことはない。
「ネコヤーは雪女さんではありません。まったく違います.。見当違いも甚だしいです」
「え、そうなのか」
「雪女さんとは何度かお茶をしたことがあります。アイスティーがお好きでしたね」
「ま、まあ、雪女だからな。熱いものはダメだろうな」
「それと、少しばかり冷たいところがありますよ」
「ま、まあ、雪女だから冷たいんだろうよ。少しどころじゃなくて、すんごい冷たいんだと思うぞ」
女子高生が、キッとした鷹の目で俺を見るんだ。いや、なにもヘンなことは言ってないぞ。なんだよ、そのあり余る殺気のオーラは。
ぷ~。
「ふう。食べたらオナラが出ちゃいました。基本ですね」
「おま、密室で屁はダメだろう。信じられんやつだな」
「♪ ニンニクにくにく~、ニンニクにくにく~ ♪」
狭いテントの中で、女子高生が手をバタバタやって踊り始めた。
「♪ 2(に)9(く)ベンジャミ~~~ン ♪」
「2×9=18だろうが。ベンジャミンって誰だ。意味がわからん」
「ちょっと恥ずかしいので、歌ってみた、をやってみましたね」
「恥ずかしいなら屁をするなよ。俺の前でするなって。バカにしているのか」
ほのかにニンニク臭い屁を嗅いだせいか、ちょっとばかし頭にきたぞ。
「俺は遭難しているんだ。命のエネルギーが尽きかけている。なにか食べないと体温を維持できないのに、チョコバーもカップ麺も目の前で食いやがって。なんてひどいことするんだ」
あてつけがましく泣き言をほざいていたら、腕を組んだ女子高生が、しょうがないなというようにフンと息を吐き出したんだ。
「もう死んでいますよ」
「へ?」
「ミミズイモ太郎さんは、すでにお亡くなりになっているのです」
「ゲジゲジイモ太郎な。いつからミミズになったんだよ。てか、どっちも本名じゃないし。いや、そんなことより死んでいるってどういうことだ」
いきなり、なんてこと言いだすんだ。
「ですから、冬山で遭難して低体温症になって動けなくなり、挙句の果てに凍死してしまったのですね。もう十時間以上前です」
「そんなバカな。だって俺はここにいるだろう。たしかにいるぞ」
「ちょっと、お外を覗いてくださいな」
テントから顔を出して、外を見てみた。あれえ、夜だったはずなのに明るいぞ。相変わらず吹雪だけど。
「うっ」
すぐ前に死体があった。
「誰か死んでいるぞ」
いや、俺だ。俺が死んでいる。
「テントが飛ばされて雪洞づくりが失敗してから、間もなくして死んでしまいましたね」
カッと見開いたブサイク顔は、まさしく俺だよ。よくみるとキモいな。これじゃあモテないわけだ。
「というわけなので、食べ物があっても食べられない状態なのです。魂だけになってしまいましたからね。もったいないから、ネコヤーが食べてあげたのですよ。処理費用はあとで請求しますね」
俺のものなので金を払ういわれはないのだけど、すでに死んでいるというのは衝撃だぞ。
「幽霊は俺のほうだったか」
「特殊メイクしなくても、そのままホラー映画に出られます」
ぜんぜん嬉しくない褒め方だ。
「でもよ、指は腫れているし、寒くもある。やっぱ死んでないんじゃないのか」
「ほんとうですか。よ~く確認してみてくださいね」
あ、指が元通りになっているぞ。しかも、まったく寒くない。
「魂が、そう思い込んでいただけなのです」
「そういうことか」と納得した。
俺が死んで魂になったのはいいとして、それと話をしているこの女子高生はどういう存在なんだ。
「ところで、ネコヤーさんはなんなんだ。ひょっとして死神」なのかと言いかけた。
「おっとー。それ以上失礼なことを言うと電撃100万ボルトな」
そう言って、指の先をバチバチ放電させた。うへえ、これには触れないぞ。
「ネコヤーは、こういうものですね」
名刺でも手渡されるのかと思ったら、突然、女子高生の背中から白い翼が展開したんだ。けっこうな大きさで、テントの中に収まりきらないので、ある程度見せつけてから小さく畳まれた。
「ええっと、鳥人間的な妖怪さん? ガチョウの亡霊とか」
「天使ですよ、天使。天使を知らないとか、どれだけ情弱なのですか。ガチョウの亡霊がいるはずないでしょう。バカなんですか。バカでしょう。いいえ、バカです。地獄へ落とします」
「い、いや、ちゃんと知っているから。よ~く知っていますよ、はい」
まさか、天界の存在が目の前に降臨していたとはな。ふつうにビックリしたよ。
「天使だったのか」
「そうですよ」
「ということは、俺を天国に連れて行ってくれるのか」
「すごく不本意ながら、そういうことになりますね」
「どうしてイヤイヤなんだよ。もっとこう、なんていうか、清々しく、神々しく、あなたを迎えに来ました、とか言えないのかよ」
「だってえ」
めたくそ可愛い天使が、いかにも不服そうな顔をするんだ。
「ネコヤーは休日出勤なのですね。ゆっくりまったりネトフリで洋ドラでも楽しもうと思っていたのに、急に上司さんに命令されて、ゲジゲジミミズ太郎さんのためだけに、こんな寒いところまで降りてきたのですよ」
「それは悪かったな。ブサイクな俺ごときの魂で」
「まったくです!」
「いや、少しは否定してくれよな」
「イヤです」
こいつ、意地でも我を通しやがる。見かけは天使なのに、性格は悪魔なんじゃねえのか。
「絶対イヤです」
しつこいぞ。俺の内なる声が聞こえたのか。
「上司さんはですね、すごいイケメンだからって言うんですよ。イケメンはネコヤーの大好物なので断れないですね。じつはルンルン気分で来ちゃいましたよ」
「あははは、天国のやつでもウソをつくんだな。これは愉快愉快、ははは・・・、ギャビビビビビビビーーー」
で、電撃喰らった。100万ボルト喰らったぞ。ヘタに天使を笑うとロクなことにならん。
「はあ~、どうしましょうね」
「いや、どうしましょうじゃねえよ。俺は死んでしまったのだから、早く天国へ連れて行ってくれよ」
「えー」
「えー、じゃねえよ。天使なんだろう。仕事しろよ、仕事」
露骨にダルそうな表情を見せるんじゃねえ。少しは気をつかえよな。
「すごく面倒くさいので、いっそ地獄に落ちてもらえませんか」
「ふざけるな。25年間、女と付き合いもせず善良に生きてきたんだ。地獄に落とされてたまるか」
「30歳になるまでドウテイでしたら、魔法使いになれますよ」
「いや、だから死んだのだからムリだろう。ちなみに魔法使いになったらどうなんだ。モテモテになるのか」
「未来永劫ドウテイのままです」
「それは楽しくないな。うん、このまま死んで天国に行ったほうがいい」
天使の女子高生、所在なげに髪の毛の先をイジりながらアッチを向いていやがる。女がこの態度をとる時って、だいたい男にとってはロクでもない。
「じゃあ、こうしましょう」
ポンと手を叩いて、いかにも妖しい目で俺を見つめるんだ。イヤな予感がする。
「いったんゲジゲジマンボウミミズネズミG太郎さんの肉体に魂を戻します」
「俺の呼び名がレベルアップな件はおいといて、魂を戻すとどうなるんだ」
「生き返りますね」
「え、マジか。それはいいな」
「それで、あとでネコヤーがヒマでヒマで、こりゃあお仕事するしか時間をつぶせねえなあ(鼻ほじ)、って思ったら回収しに来ますよ」
「結局、死ぬんじゃねえかよ。それこそ面倒だろう。いまやるべきことは、いまでしょう。予備校の先生がそう言ってたぞ」
「だーかーらー」
女子高生の手がグーをつくって、俺の頬をグリグリとやるんだ。天使が脅迫的、暴力的であっていいのか。
「天国の受け入れ手続きがたいへんなんです。書類をいっぱい書かなきゃならないし、順番くるまで一緒にいなきゃなりませんし、いまは混んでいますし」
「べつにいいじゃねえか。俺はネコヤーさんと一緒にいてもなんともねえよ」
「ネコヤーがイヤなんです。イケメンじゃなきゃダメなんです。バレンタインのチョコを一度ももらったことのないブサメンはアウトなんですよー」
目が本気だ。きっと本心なんだな。それにしても、言いたい放題だよな。傷つくなあ。
「ああ、わかったよ、わかりました。生き返ればいいんだろう、生き返れば」
正直いって、生き返るのは悪くない選択だ。天国は混雑して忙しそうだし、次のお迎えは相当後になるだろう。その間になんとしても彼女をつくって、甘く切ないチョコレートをゲットするんだ。そうなったら自慢してやっからな。
「はい、話がまとまりましたね。お外に出ますよ」
テントの外に出て、俺の死体のそばに立った。
「それでは、ゲジゲジマンボウミミズうんこネズミG太郎死ネさんを生き返らせますので、ネコヤーの指に触れてくださいな」
「なんか、またネガティブ要素が増えた気がするが、まあいい。ちなみに指に触ったら電撃とかないよな」と言いつつ、生き返ることに安心して触れてしまった。
「もちろん、感電しますよ。基本ですね」
「んギャベベベベベベベベーーーーー」
凄まじい電撃を喰らって、目ん玉がとび出すところだった。すんごく痺れた。高電圧にもほどがあるって。
「いまのはアメリカの電気椅子くらいですので、たいしたことありませんよ」
「たいしたことあり過ぎるだろう」
電気椅子ハンパねえ。善人でよかった。悪いことはするもんじゃねえな。
「はい、小汚い独身男の死体に魂が戻って、誠に遺憾ながら生き返りましたね」
「悪意を感じる言い方だけど、確かに生き返ったようだ。感触があるし、寒さもリアルだ」
凍傷がすっかり治っているな。なくしたザックもあるし、さすがは天使だ。やることが人間技じゃねえ。
「じゃあ、さっそく下山しますよ」
「ちょっと待ってくれよ。少し休んでからでいいだろう。ガスストーブも直ったし、あったかい飲み物を作りたいんだ。天気もよくなってきたし、テントも畳まなきゃならないから」
ティーバックと粉ミルクと砂糖がある。さらに、なんといっても大好物のハチミツをチューブボトルで持ってきているんだ。体が温まること間違いなしで、その勢いのまま下山しようと思う。
「ぐはっ」
「なに甘ったれたことを言っちゃっているのですか」
て、天使に殴られたぞ。しかも、グーパンチだ。こいつ、どこまで容赦ないんだよ。
「いまは疑似好天中なので、もう時間がありません。すぐにでも爆弾低気圧がやってきます。三日は荒れ狂うので、早く下山しなければまた死にますね。テントは放置です」
「わかった、わかったよ。二度死ぬのはかんべんだからな」
めんどくさがりな天使のことだ。今度死んだら、ホントに地獄へ落とされるかもしれない。爆弾低気圧との遭遇は致命的となるしな。
「急ごうか」
「ネコヤーについて来てください。道案内します」
それは心強い。向こうの空に真っ黒な雲があるし、すぐに荒れそうだ。いまは、ほんとうに疑似好天みたいだ。
「こっちです」
天使は空中を歩きながら進むが、俺はザックを背負って積雪をかき分けながらの前進だ。スノーシューでも難儀するし、そもそもこのコースは怪しいぞ。
「おいネコヤーさん、下っているぞ。谷へ行くのは危険だ。稜線を歩いたほういい」
「川に沿って進むと、いつかは町に出ますね」
いや、それは違う。必ず滝や崖に行きあたって、それ以上進むことも戻ることもできなくなる。山岳遭難する典型的なパターンだ。
「ネコヤーは道案内のプロなのです。文句があるのなら、もう一回死んでみるー」
「いやいやいや」
ヘタに逆らうと、また電撃されそうだ。秘密の下山ルートを知っているのかもしれない。なにせ天使だからな。間違うことはないだろう。
だけど一時間ばかし進んだところで積雪が腰まできてしまった。風が出てきて雪も降ってきた。と思っていたら猛吹雪になった。これ以上下るとロクなことにならない。ていうかムリだ。
「おい、大丈夫なのか。ほとんど進めなくなったぞ」
「ええーっと、あれえ、ここはどこでしょう。ネコヤーの知らない場所にいますね」
迷ってんじゃん。
「冗談じゃねえぞ、しっかりしろよ」
「よくわからなくなりましたね」
天使なのにルートがわからないって、どういうことだ。全知全能の神様の部下じゃないのかよ。
「ああ~、なんかもう、どうでもいいです。面倒くさいです。イケメンがいないのでネコヤーは帰りますね。あとは自己責任でダウトしてください」
「いや、なに言ってんだよ。ダウトって意味がわからんって」
おいおい、天使が遠ざかっていくぞ。
「どこ行くんだ。あんただけ逃げるなよ。あーあー、いっちまった」
姿が見えなくなった。信じられないことに天使に見捨てられてしまったとさ。
くっそ、また遭難じゃねえかよ。俺はどうしたらいいんだ。
川へ下るのは論外だが、稜線に戻ろうにも雪が深くてムリそうだ。この場でビバークするか。いや、テントを置いてきてしまった。雪洞に三日もカンヅメしたら死んでしまう。
昨日迷ったエスケープルートに戻って、沼ノ木小屋を目指そう。それしか助かる道はないと思う。
そう決断して積雪をラッセルしていたら、真っ白な光景の中に、なんか赤いものが見えるんだ。ほかの登山者のテントが飛ばされてきたのか。使用できればラッキーだぞ。
「ツェルトだな」
吹雪で半分雪に埋もれていたが間違いないだろう。簡易テントだが、ないよりはマシだ。さっそく潜り込もうとして違和感を覚えた。
「人がいる」
雪でわからなかったが、こんもりと盛り上がっている。これは使用中ということだ。
「おーい、誰かいるのか。おーい、おーい」
風の音で俺の声がかき消されているのか応答がない。すでに死んでいるかもしれないけど、生きている可能性もある。
「助けてください、助けてください」って声が聞こえてきた。
ツェルトの中を確認してみた。なんと人がいるではないか。しかも三人だ。一人用なので、極狭い空間でくっつき合っているよ。
「君たちはなんだ。どうしたんだ」
「遭難しました。この場所で、昨日から動いてません」
「助けを呼んでください。ケイタイが圏外なんです」
「おとうさん、おかあさん」
全員が女性だ。しかも雰囲気が大人じゃないな。
「霧ヶ丘高校山岳部です。二年生二人と、一年生一人です」
驚いた。三人とも女子高生なのか。まさか冬山に生徒たちだけで登ったのか。
「昨日の吹雪で、顧問の先生と男子とは離れ離れになりました」
「恵美香が遅れていたので、麻友と私で付き添っていたら雪庇を踏み抜いてしまって、ここまで落ちたんです」
「さむくて、ねみゅくて、ぐああが・・・、わ、悪い、けもちちが悪い」
代わる代わる話した。声はか細く震えているけど、まだ意識がある状態だ。三人とも怪我はしていないようだ。でも一人はあぶねえな。あきらかに低体温症だ。このままじゃあ長くねえぞ。
「荷物はどうした。ツェルトだけか」
なにか食べれば体が温まる。
「先生と男子に持ってもらいました」
「リュックがあるのは私だけですが、食料はすべて先生に預けています」
「おにゃか、すいて」
高校生の遭難かよ。これは大ごとだぞ。
「ちょっと待ってくれよ。いま助けを呼ぶから」
「近くに救助隊がいるのですか」
「先生ですか」
「おとうさん」
もちろん、アテはある。山岳救助隊よりも、よほど頼りになるやつを知っているんだ。
「おーい、ネコヤーさん、助けてくれよ。高校生たちが遭難しているんだ。俺はがんばってなんとかするから、彼女たちだけでも助けてくれ。聞こえているんだろー。おーい、おーい」
大声を出していると口の中に雪が吹きつけてきやがる。喉の粘膜が切れた感じだが、なにかまうものか。
「ネコヤー、ネコヤー」
まったく返事がない。あいつの超常的な力があれば、彼女たちを助けられるんだ。
「華恋、猫屋敷華恋、いるんだろう。姿を見せろよ」
・・・、無反応。
この非常事態に、あいつはなにをやっているんだ。ポテチ食ってアメドラ視ているんだろうか。くっそー、なんて使えねーやつなんだ。腹立ってきたぞ。
「おい、クソ猫、屁たれ猫、とっと来やがれってんだ。ここで彼女たちを死なせたら、オメーが忙しくなるんだぞ。書類をいっぱい書かなきゃならないんだぞ。わかってんのか」
・・・。
チクショーめ。なんにもねえ。奇跡が起こらないぞ。
どうする、どうする。吹雪が止むまで三日もビバークさせるか。
いや、ムリゲーだな。あの様子じゃあ、もって二日がいいとこだ。食料もないし、 体力がないのから死んでいく。一人は今晩にも逝きそうだ。だったら、やるしかねえか。
いったんツェルトに戻って、首だけ入れて俺の提案を告げる。
「すまん。アテが外れて救助は来ない。自力でなんとかするしかない」
奥の一人はうつろだが、二人の女子高生が俺をしっかりと見ていた。
「じゃあ、私たちはここで待ちます」
「先生たちが探しに来ると思います」
その希望的観測は叶えられない。ここに女の子たちの墓碑銘を刻みたくはないんだよ。
「爆弾低気圧が三日間停滞する。ここにいたら死ぬだろう。だから沼ノ木小屋まで行こう。あそこには薪ストーブがあるし、たぶん君たちの先生や男子も避難しているんじゃないかな」
「でも、雪が深くて私たちの力では歩けません」
「大丈夫だ。俺が先頭でラッセルして、しっかりとルートを作ってやるよ。山のベテランにまかせろ」
彼女たちの表情に明るさが出てきた。なんだよ、けっこう可愛い女子高生たちじゃないか。
「あのう、食べ物はありますか」麻友という生徒が訊いてきた。
「すまん。食い物はないんだ」
カップ麺とチョコバーが悔やまれる。あの食い意地マックスの屁たれ猫のせいだ。今度会ったら盛大にセクハラしてやるからな。覚悟しておけよ。
「だけど、温かい紅茶なら作れるぞ。砂糖と粉ミルク、ハチミツがある。ちょっと待ってな」
がむしゃらに雪洞を掘って、ザックからガスストーブを取り出した。その空間で湯を沸かして三人分紅茶を作り終えると、ちょうどガスがなくなった。ミルクと砂糖をたっぷりと放り込んでやった。
「こんなおいしいミルクティーを飲んだのは初めてです」
「あったまるう」
「あまくて、おいしい」
ヤバそうだった恵美香の顔に生気が戻ってきた。よし、もう一息だ。
「これを三人で回して飲め」
ハチミツのチューブボトルを順に飲ませた。混ぜ物なし、アカシア100パーセントの高級品なんだぞ。
彼女たちに元気が出てきたので出発することにした。日暮れまでには目的の小屋へたどり着かなければならない。夜になれば、さらに気温が下がってアウトだ。
俺が先頭になった。荒ぶるブルドーザーとなって積雪をラッセルしまくった。二時間ほど進んでから大岩の陰で小休止する。三人に残りのハチミツを食べさせる。一息ついていると、俺の横にいた女子高生が話しかけてきた。
「わたしは片桐美鈴、二年生です。お兄さんのお名前はなんですか」
お兄さんときたよ。まんざら悪くもないぞ、俺。
「ゲジゲジマンボ」
そう言いかけて、あわてて訂正する。本名を忘れるところだった。
「高杉慎太だ」
「カッコイイ名前ですね」
うっほ、生れてはじめて褒められたよ。しかも女子高生に。
「猫なんだか華恋さんというのは彼女さんですか」
「え」
唐突に、あのクッソ屁こき天使の名前を言われて、なぜ知っているのかと戸惑ってしまった。
「さっき、どこかに向かって叫んでいたから。たぶん、彼女さんの名前じゃないかと」
あの風の中でよく聞こえたな。よっぽど大声で怒鳴っていたのか、俺。
「ま、まあな。ちょっと思い出してな。いまごろネットでもやっているのかなあって」
彼女ナシはカッコ悪いから、そういう設定にしておく。
「高杉さんの彼女さんなので、きっと美人さんですね」
「いや、まあ、美人は美人なんだけど、かなりクセもので・・・。おい、どうした」
恵美香の様子がおかしい。ブルブル震えて寒い寒いと連呼している。麻友と美玲が体をさするが、顔色が悪い。手が痛いと言っているし、凍傷と低体温症がぶり返してきたか。
「これを着ろ。それと手袋も」
アウターを脱いで、彼女に着せてやった。
「でも、それじゃ高杉さんが」と、美鈴が心配顔を押しつけてくる。
「俺は大丈夫だ。すんげえ暑がりだから、ソフトシェルだけで十分なんだ」
「でも、この吹雪で上着がないと」
「よし、休憩は終わりだ。出発するぞ。恵美香は俺の後ろを歩け。美鈴と麻友が交代で押してやるんだ。まだ上りが続く」
これでいい。まあ、なんとかなるだろう。
女子高生たちを率いて、雪の中をラッセルし続けた。体力の限界はとうの昔に超えていたが、気力が充実しすぎてペースが落ちない。ヤバそうな脳内麻薬が分泌されまくっているみたいだ。相変わらずの猛吹雪であるけど、なぜか沼ノ木小屋までのルートがわかるんだよ。
亀のように歩き続けて数時間、日暮れ前に小屋が見える場所までやってきた。風が少し凪いだので視界が利いている。眼下の避難所まで、あともう少しだ。煙突から白いモヤが出ているので、顧問と男子部員がいるのだろう。
「あ・・・」
だけど、俺の体力が尽きたようだ。あと数百メートルは絶対に無理な距離だと確信した。
女子高生たちはどうだ。恵美香は崩れ落ちるように座っているけど、あとの二人はいけそうだ。なあに、方法はあるさ。
「美鈴、麻友、恵美香をツェルトに包んで引っぱって行け。ここから小屋まで下りになって積雪も少ない。楽に行けると思う」
「高杉さんは」
「俺はここにいて、おまえたちがちゃんと小屋まで向かっているか見ていてやるよ。吹雪になって外れないようにな。その時は手を振って合図するから」
ウソだよ。もう一歩も動けないんだ。手も足も重度の凍傷になった。気力と動力をつないでいる糸が切れちまった。俺はここまでだ。
「後輩と、おまえたち自身を無事に届けろ。上級生としての責務だ。あと少しだ、がんばれ」
「はい」
「ハイ」
いい返事だな。気分がいい。
「高杉さん」
手袋を脱いだ美鈴が、拳を突き出したんだ。
「ん? どうしたんだ」
「これあげます。最後の最後にと思って、とっておいたんです」
彼女の小さな手が開くと、サイコロみたいなチョコが一粒あった。なるほどな、ありがたく頂くか。
「あ~ん」
ヒナ鳥みたく、口を開けて催促した。いい大人が女子高生に甘えているわけではないぞ。凍傷になった手を見られたくないんだ。
「はい、どうぞ」
「ふんがっ、うんぐ」
うん、しっかりと温かくて美味いチョコだ。
「今日は2月14日なんですよ、慎太さん」
え、そうだったのか。
うっほー、やったぜ。
25年間の人生で、始めてチョコをもらったぞ。しかも女子高生に。これは僥倖としかいいようがないだろう。くうう、俺は果報者だな。
恵美香を引きずって女子高生たちが出発した。死ぬほど心配して見ていたが、具合のいいことに天気は小雪程度だ。なだらかな下りを、恵美香がするすると滑ってゆく。美鈴と麻友の足取りも軽かった。しばしのまどろっこしい時を経て、3人が小屋の中へと入った。とたんに猛烈な吹雪となって見えなくなったが、ぎりぎりで間に合ったんだ。
「やった、やった、やったぜーー」
体がほとんど動かないけど、バカみたいに喜んだ。これほど嬉しいことはないぜ、ヒャッホー。
「おい、ネコヤー。どうだ、俺はモテただろう。バレンタインデーのチョコをもらったぜ。ブサイクでもチョコをもらえるんだよー。ちゃんと慎太って呼んでくれるんだよー。はは、ははははー」
おまえが導いたんだろう、華恋。
いい道案内だったぜ。
ありがとな。
警察の山岳救助ヘリから、数名の隊員が沼ノ木小屋へとロープ降下した。そして小屋の中で数日間過ごした市立霧ヶ丘高校山岳部・部員と顧問の教諭を含めて、全員の無事を確認した。爆弾低気圧停滞による凄まじい暴風雪で、一行は一歩も外に出ることが叶わず、カンヅメ状態となっていた。
女子部員の証言により、ほかに男性の遭難者が1名、付近にいることがわかった。尋常ではない積雪状況から捜索は困難を極めると思われたが、すぐに見つかった。
彼は雪の中に立っていた。胸まで埋まっていたが、曇り空のすき間から差し込んできた暖かな光がちょうどよく当たって、顔や肩の雪を溶かしていた。
キリリと引き締まった表情で、天に向かってガッツポーズをして亡くなっていた。
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