第14話

リリアにも、リュシオスが家族――寝言で呼んだ母と姉は別として――を嫌っているのは明らかだった。すぐに謁見の間に通され、国王や王族と面会したが……リリアが抱いた印象も最悪だった。


 リリアは、間に合わせでない礼装姿で、教えられた作法の通りに努力しながら、黙って話を聞いていた。


 リュシオスは、国王の誕生日の祭典に出席するために、自らの領地から出向いたのだ。今日は祭典の前の挨拶に来ただけで、すぐに退出しようとした。しかし、国王が引きとめた。城内のリュシオスの私室にて、後に面談ということになってしまった。


 何人もいる侍女を無視し、使われていない割には手入れの行き届いた彼の私室で、乱暴にソファに座るリュシオス。


 物憂げに、溜息をつく。

 本当に、辛そうだった。


「……リュシー……」

 リリアが彼の頬に触れようと手を伸ばすと、リュシオスはそれを掴み、

「しくじった」

 自嘲気味に、言う。


「やっぱり、ここの流儀じゃ向こうの方が上だ。俺は十の時にここから逃げ出しかたら、慣れていないし……」


「リュシー……」

「そんな顔しなくていい。お前は居るだけでいいんだ」


 リュシオスの手がリリアの頬に触れるか触れないかという頃、ノックが響く。

「リュシー、入るわよ?」

「これは姉上。どうなさいました?」


 勝手に愛称で呼ぶな。そうは口に出さず、静かに言う。


「あら、ご挨拶ね。一年ぶりに帰ってきた弟に会っちゃ、いけないのかしら?」

 リリアも良く覚えていた。この国の王太子。リュシオスの一番上の姉。


 彼女は、リリアに視線を移し、

「初めまして。リリアちゃん。部下から聞いているわ。リュシーの愛人だそうね」

「姉上。恋人のリーリアントです」

「あら、そうだった?」


 言うなり、リリアの左手を捩じ上げた。痛みに顔を歪めるが、声は出さない。彼女の薬指には、馬車の中で彼が捻じ込んだ指輪が嵌まっていた。それが王家の物であると、彼が王族だと知った後で分かったのだが。


「やっぱり物好きは母親譲りかしら? 王家の者という自覚と誇りはある?」

 言って姉は、何人かの女の名前を出した。結婚相手に推したいらしい。リュシオスは丁重に断った。


「……俺は直系の中では一番末席だからな」

 姉が帰った後、リュシオスが呟く。


「俺が王位を継ぐことなんてない。王位継承権なんてただの飾りだ。それでも、やっぱり王族以外から見ると魅力らしい。俺を婿にすれば、正統な直系王族の肩書きが手に入るからな……。


 道具だよ。他にも、外交とかに使えるらしい。人質とか」


 ――疲れている。

 彼の自嘲気味な言い方に、リリアはそう感じていた。初めて会った時に、いきなり無茶を言って彼女を困らせた人物とは思えない。


 と、リュシオスは微笑み、

「初めて会った時な」

 疲れた微笑。しかし、これがリリアが初めて見るリュシオスの笑顔だった。

「ちょっと困らせてやる……それだけのつもりだった。一目で気に入ったんだ。お前が。


 ちょっとからかって、お茶を濁して終わるつもりだった。

 でも……どうしてだろうな。気がついたら、お前の手を引っ張って連れて帰っていた。


 権力を振りかざして……。こんな力、まっぴらなのに、な。

 ……もっと他の手段でお前を口説いていたら、後悔も無かっただろうな」


 言い、彼女の頭に手を置いたとき、外の空気が変わる。


「親父が来る」

 言うなり、彼女を抱き寄せ、唇を奪う。


 今は、これで充分だった。父王との会話にまで同席させるつもりはない。


「ごめん」

 顔を離すなり言うと、奥の部屋に彼女を押し込め、


「父上が帰られるまで出すな」

 側にいた侍女に言う。その言葉通り侍女二人に阻まれ、リリアはただ、扉越しに話を聞くしかなかった。


 リュシオスが母親に似てきたと、王は言った。殺された母親。

 リュシオスの母親には、元々夫がいたらしい。彼との間の娘も。しかし、彼女の美貌を気に入った王が婚姻を無効にし、それでも従わなかったために夫を殺したのだ。彼女は、娘の存命を条件に王の側室となった。そして、リュシオスが生まれた。


 だが、リュシオスが十歳の頃、王は側室に飽きた。姦通罪を捏造し、処刑したのだという。その時に、リュシオスの、父親の違う姉も殺されたらしい。


 残ったのは、末席王族のリュシオス一人。


 何故、王がこのような話をしているのか、リリアには最初は分からなかった。だが、すぐに理解する。

 リリアが――彼女自身が次にそうなると、言っているのだ。


 リュシオスが大人しく政治の道具になるならそれで良し、そうでなければリリアが母や姉のようになると、そう言っているのだ。


 リュシオスは国王たちの道具。玩具。そして、リリアが彼を縛る枷。


 リュシオスは、脅しを突っぱねた。毅然として。

 国王が帰ってから、リリアを奥の部屋から出し、左手に捻じ込んだ指輪を外し、投げ捨てた。抱き締めると、

「ごめん。連れて来るんじゃなかった」


 そう言って、また唇を重ねる。涙を流しながら。


 憎い男の息子でも、愛してくれた母と姉。そして、リリア。

 彼女が側に居てくれれば、乗り越えられそうな気がした。だが、独りよがりに気づく。


 どうすることもできない。ただ、彼女に不安を抱かせるだけだ。

 やっと、気づいた。

 リリアは、思いがけないファーストキスの感傷に浸る余裕も無かった。



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