第43話

「……大丈夫ですね。

 では、もう歩いてくださって結構です。ただし、無理はなさらないでください」


 ようやく立って歩くことが出来るようになった。

 カスによる犯行からおよそ三十日。季節は春が終わり夏に差し掛かっていた。


 暫くは使うようにと渡された杖をついて、真っ先に向かったのは続き間だ。

 扉の傍に控えていた女性の執事が待っていましたとばかりに開けてくれる。


「……鈴華?」


 公務で女性の部屋に入ったことは何度もあったが、勿論私的な女子の部屋訪問は初めてだ。


 緊張しながら入ると、彼女は何やら木のボビンに巻かれた糸を必死に繰っている。


 キンキンと木と木がぶつかり合う小気味の良い音が響く中、傍まで行くと、

「すみません、殿下。

 ちょっとここがややこしくて……」


 ちらりと彼女はファムータルに視線を移し、また台の上に視線を戻してしまう。


「ボビンレースです。ご存じですか?」

「……?

 レース……は持ってるけど……編んでいるのを見るのは初めてだな」


 執事が微笑みながら解説してくれる。

「ボビンレースは【織る】と言います。

 ボビンに巻きつけた糸を繰って、織ります」


 杖に体重を預けてまじまじと見る。


 レースがこのようにして織られているなど考えもしなかった。

 細い糸は今にも切れてしまうかのような緊張感で、彼女が一生懸命ボビンを動かして糸を繰っている割には進みがかなり遅い。


「時間がかかるんだね……」


 こんな苦労をして織られるものを、簡単に使ってきたのかと感心する。


「キリがつきました」

「お待たせしました。殿下」


 彼女が今度こそファムータルに向かって言う。

「……御用は?」


「……え……えと……」

 用もなく顔が見たくて来た――それを言い出せず辺りに視線を移すと、白いものが視界に入る。

「あれ……僕の服?」


 あったのは、紛れもなくファムータルの服の一枚だった。

 トルソーにかけられ、あちこちにピンも刺さっている。


「あ、ええと……」


 彼女がボビンレースの台の脇を探り、すぐに白いものを出してくる。

「どうぞ。宜しければお使いください」


「え?」

 包まれていたそれは、真っ白なレースのカフスだった。

「今付け襟を織っている最中で……まだ先になりますから、先にこちらだけでもどうぞ」


 カフスは時々着けるが、レースのものは初めてだ。

 緊張しながら袖口に当て釦を留めると、成程しっくりと合う。

「……ありがとう」


 と、気が付けば彼女はファムータルの頭の天辺を見上げていた。


「どうかした?」

 何か頭に乗せてきたのだろうかと思って触ってみるが、普通だ。


「殿下……背がお伸びになりました?」


「……え……」


 と、そこへノックの音が響く。

「ファムータル殿下が起きられたとのことで、延びていた採寸を……」


「……!」

 ファムータルの顔が、拒否を刻む。


 入ってきた侍女のメリナに、

「絶対嫌だ。

 傷に当たる」

 半眼で言い、自分の服の襟元を抑えて鈴華の後ろに隠れる。


 しかしメリナはあっけらかんと

「では、鈴華様にお願い致します!」

 言い、採寸道具を彼女に渡す。


「……え……?」


 鈴華は測る場所を確認して、ファムータルの服を脱がせ始める。

「ちょ……鈴華!

 やめて! お願い!」


「成長期ですから」

 あっけなくそう言われ、もう諦める。


「すみません、殿下の背が伸びている気がしますが……」

「あ、それはわたくしも感じております!

 あとで身長も測ります!」


「うわ、前のサイズこちらですよ!

 成長期ですね!

 

 うーん……これは……ご衣裳を全て作り直したほうがいいですね!」


「では、後ろを向いてください」

「……嫌」

 鈴華の要請を断るが、ならば彼女が後ろに回った。

「……うう……」


 触られると余計に傷が痛む。

 それを覚悟して歯を食いしばったが……


「あれ……?」


 なんだろう、この温かさは……


「鈴華、そこ触ってみて」

「……え?」

 そこ、と言われても、あるのは極力避けていた背中の傷しかない。


「呪いの傷ですか?」

 見るからに禍々しいその傷は、今もファムータルに痛みを刻んでいるのだと義兄に聞いた。


「そう。そこ」

 ためらいながらもそっと触れると、


「うそ……痛くない……あったかい……」

 侍女も執事も、今まで見たことのない出来事に仰天している。


「痛くないって……こんなに安らかになるんだね」


 ファムータルも、鈴華も。

 その出来事の意味を知らなかった。

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