第14話
朝から雨がパラパラ降っていた。せっかく洗って貰った侍女服が濡れないように二重に包んでから布袋に入れる。あまり春らしくはないけれど、エンジ色の服を取り出した。これはスカート丈が短めだから雨の日でも裾が汚れない。あとは、汚れてもいい使い古した茶色のブーツを履く。
蝙蝠傘を差しながらお城へ向かい、辿り着いた時には、雨は本降りになっていた。着替える前にちらりと覗いた厨房はいつもの三倍は忙しそう。
うん、そうなるよね。
予定より早く他国の王族が来たのだもの。風向きで船の到着に誤差が出る可能性は予想していたけれど、やっぱりバタバタしている。
「リディ、ちょっとこっちへ」
給仕頭からお声がかかる。名前は覚えていてくれたみたい。でも、呼ばれて振り返った私を見た給仕頭が固まってしまった。
「あの、なんでしょうか?」
「あ、うん。あなたリディ、よね?」
「はい」
頷く私の顔をマジマジと覗き込む。でも直ぐに気を取り直し指示をしてきた。私に構っていられない程彼女は忙しいようだ。
「朝の給仕はいいから料理長の指示を聞いて厨房を手伝って。それから、王族以外のお昼の給仕はあなたが全部してちょうだい」
「分かりました」
つまりは男爵家の御令嬢達は王族と異国の王太子夫妻の給仕をするから、高官達は全部私に丸投げという事らしい。そして、遅れた配膳で怒られるのも私。
とりあえずカレンと絡む事はなさそうだとそこだけほっとする。
素早く着替えて料理長の元に行くと、給仕頭と同じ反応が返ってくる。面倒なので、その反応は全てスルーする事にした。
「何をすれば良いでしょうか?」
「裏の鶏小屋に行って卵を全部取ってきてくれ。傘は裏口にあるのを使えばいい」
そう言って、持ち手のついた大きな籠を渡たされる。
「分かりました」
籠を持ち、裏口を出ると左手の壁に大きな男物の傘が立てかけられていた。それを広げて、石畳の上を歩いていく。雨が傘を叩く音に紛れて足元から話し声が聞こえてきた。
「これと、これを昼食に持って行ってくれ」
「昼食にもワインを用意するのですか?」
「飲まれないと思うが、念のため言われたらすぐ出せるよう軽い口当たりのを準備しておきたい」
壁からパイプが数センチ飛び出している。換気口のようで、位置は私の膝下あたり。声はそこから聞こえてくる。多分、地下のワイン倉庫かな。
換気口は室内側を塞ぐことができるはずだけれど、声が聞こえるということは塞ぐのを忘れているのでしょう。コルクが乾燥しないように一定の湿度もワインの保存には必要だけど、湿気が多すぎるとラベルにカビが生えたりしてしまう。
雨が降っているから本来なら塞ぐところを朝から忙しくて忘れているみたいだ。
あとで言えばいいかと思い、そのままお城の傍の小道を進み、侍女達の寮の近くにある鶏小屋まで来る。この辺りは石畳ではないので、茶色のブーツにはべったりと泥が付いてしまっている。傘を畳み、濡れない場所に置くと、いざ、鶏小屋に入る。
御令嬢達は絶対にしない仕事だ。
……もう慣れたはずなのに、
随分前に令嬢でなくなったのに、
ちょっと、ちょっとだけ胸の奥がざわつく。
昨日の今頃は優雅に朝食を食べてたな、とか思ってしまう。
ブンブンと軽く頭を振る。だめだ、だめだ。
気を取り直して、卵を集め始める。まだほんのりと温かい。全部で二十個以上はあるだろうか。それらを全部籠に入れると、それなりの重さになった。
重たいから持ち手を左肩にかけ、さらに籠を底から持ち上げるように左腕をまわす。雨はまだ強く降っている。なんなら風も少し出てきたかもしれない。傘を先程よりしっかりと持ち、調理場へ戻ることにした。
「ひゃっ」
思わず踏みそうになる。上げた足を下ろし損ねてバランスを崩し、肩から籠の持ち手がずり落ちた。
やばい。
卵を落とすわけにはいかない。
傘を手放し、両手で籠を持ち、なんとかバランスを保った。大粒の雨が頭と顔に当たり、服に染みを作るけれど、何とか卵は守った。よくやった、私。
よいしょと体勢を戻し、傘を拾うと少し離れた場所からニャーと声がした。私が踏みかけた黒い毛玉がずぶ濡れ姿でこちらを見上げてくる。
「あんた、どこから来たの?」
「ニャー」
「雨に濡れない場所にいなさいよ」
「ニャーニャー」
出来る事なら抱き抱えて、寮の屋根の下ぐらいには連れて行ってあげたいけれど、時間もなければ手も塞がっている。仕方がないので、足で少し追いやるようにして木の下に誘導してやった。
鈴の音がチャリンと鳴る。
よくみれば、首につけられた赤い首輪に鈴がついていた。いったいどこの飼い猫が紛れ込んで来たのだろう。
気にはなりながらも、それ以上はどうしようもなく調理場に帰る事にした。
じゃがいもの皮を剥いたり、フライパンやボールを洗ったりしているうちに、高官達の昼食が出来た。そちらを運ぶように言われたので、手を拭きメニューを確認する。焼きたてパンにサラダに具沢山のスープに白魚のムニエル。
私はそれらをトレイに載せて調理場の横にある階段を二階へ上がる。扉を開けっぱなしにしておいた小部屋に入り、中にある台車に載せた。台車の二段目には先に載せておいたジャムや予備のパンと水差しが数本がある。
それをカタカタと押して各部屋に渡して行く。私を見たそれぞれの部屋の側近や侍女の反応は……うん、面倒なので省略しよう。おかわりは彼らがしてくれるし、あとは丸投げだ。
最後はレオンハルト様達だ。この二人なら、事情を話せば遅くなっても怒られる事はないと思って一番最後にした。今日は私も忙しくてサンドイッチにしてないけれど、それもきっと理解してくれるはず。
一人で階段を何往復もするのは結構膝にくる。
よいしょと最後の階段を上り終える。
あれ、なんだろう。
さっきまでと、なんだか雰囲気が違う。
私が一階に降りて、二階に上がるまでの数分にいったい何があったのだろう。廊下をうろうろしている人がいつもより多い?
よく分からないまま、とりあえず台車を押す。
すると、レオンハルト様が向こうから早足で歩いて来た。足が長い方の早足は私の小走りぐらいの速さだなぁ、そんなにお腹空いていたのかなぁ、と呑気に思っていたけど。
近づいてくる顔は何やら切羽詰まった物がある。
「どうされた……」
「リディ、子供を見なかったか?」
うん? いきなりの問いかけに意味が分からない。でも、見かけていないから首を振る。
「そうか、どこに行かれたのか……チッ」
舌打ち?
眉間の皺が深いし、イライラしているのを隠そうともしない。食事は執務室に適当に置いとけ、とだけいい残して立ち去ろうとするレオンハルト様を思わず呼び止めてしまった。
「どうかされたのですか?」
「あぁ、実は王太子夫妻と一緒に七歳のご子息も来られていてな。午前中はご夫妻と一緒だったらしいが、昼食の最中に席を立ったまま戻ってこないのだ」
「侍女はどうしたのですか? ついていなかったのですか?」
「それがどうやら撒かれたらしい」
「えっ? 撒かれたと言うのは……」
レオンハルト様は苦虫を噛み潰したような顔でため息をひとつつく。
「ご子息……ルイス様は飼われていた愛猫も一緒に連れて来られたのだが、その猫が朝から行方不明になっているらしい。ローンバッド国の従者達が探してはいるがまだ見つかっていない。ルイス様は昼食の最中も猫を気にしていたから、おそらく侍女を振り切り探しに行ったのだろう」
うん? 猫?
「それとな、」
いきなり身を屈めたレオンハルト様の顔が間近に迫る。爽やかな香水の香りがすると同時に耳に暖かい息がかかった。
「ルイス様は何度か命を狙われている可能性がある」
甘い吐息にそぐわぬ内容。
だから、夫妻は子供を連れてきたのかと納得する。
……うん? レオンハルト様の顔が離れない。
「この髪飾りつけてきたのだな。気に入っているのか?」
不機嫌そうに口を尖らせ、私の耳の辺りを指差す。
今日はいつものように髪を編み耳の下でお団子にしている。そして、その縛った紐を隠すように、赤い石のついた飾りを左右に付けてきた。
「はぁ、気に入っているというか……」
唯一持ってる髪飾りというか。
そんな事より、
伝えなくてはいけない事がある。
「あの、猫って……」
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