第45話

異星人と地球で出会う スパゲッティの行方


 手を引かれて美術室に入る。


「あ…」


 そして丸い椅子を差し出される。座るように促された。準備室に工藤先生は入っていった。私はそのまま座って待っていると、工藤先生が帰る準備をして戻ってくる。そして名刺を渡された。名刺には法律事務所の名前と弁護士の名前が書かれてある。


「あの…もう喋ってください。本当にごめんなさい」


「それ、高校の同級生です。よかったら…」


「ありがとうございます」


「じゃあ…」と美術室の電気を消そうとするから慌てて私も部屋から出た。


 二人でカギを返しに行く。その間、無言だった。職員室を出て、校門まで一緒だった。名刺を渡してくれたと言うことは、あれから伝手を探してくれたのだろう。


「…お仕事だったのに、弁護士事務所まで行かれたんですか?」


「…まぁ、仕事終わりに寄った感じです。久しぶりだったし…一緒に飲みましたよ」


「お手数をおかけして…。あの…でも…迷ってて」


「離婚を?」


「離婚も…なんだか…」


「話、聞きましょうか? 今日はお酒のまないように駅前のカフェで」と工藤先生が言ってくれる。


 誰かに話しを聞いて欲しかったけれど、知り合いには話せないことだったから、工藤先生はありがたかった。


 歩きながら私が義兄を好きで、夫はその親友で、しかも私の気持ちを知っていたと言う話をした。


「へぇ。知っていたんだ」


「それで…浮気したって…」


「あぁ、そうか。まぁ…同情の余地が出たってことか」と工藤先生は言った。


「同情の余地っていうか…そもそもの原因は私…かと思うと…」


「じゃあ、離婚を止めて、結婚継続する?」


「…それが迷ってて」


「話を聞いてみると、似たもの同士な気がするけど」

 そう言われて、私は肩に掛けていたバッグの持ち手をぎゅっと握る。


「…でももし立場が逆だったらどうする? 旦那さんの方に本当に好きな人がいて…、俺が誘ったら俺と不倫する?」


「はぁ?」と私は目を剥いて驚いた。


「そういうことを旦那さんがしたんだよ」


 胸が貫かれるくらい苦しくなる。


「じゃあ…工藤先生だったらどうしてますか?」


「俺? 俺だったら、本当に好きだったら、こっちを向いてもらうように努力する。ものすごく愛して、俺以外見えないようにする…って言いたいけどね。できるかは分からないけど」


「…私も…愛したかったな。それが出来なかったのも私で…」


 罪悪感が胸を占めていく。


「でも…変や言い方だけど、そこそこ旦那さんのこと愛してたの分かるよ。愛してなかったら、さっさと離婚してるだろうし、浮気されて辛くなんかなんないだろうし」


「二番目に愛してた」


「それ、一番、二番、次好きになる人は三番になるわけ?」と工藤先生は笑う。


 難しいことを言うなぁと私は工藤先生を見た。


「大体、なんで義兄なの? 世の中には腐るほど男がいるのに」


「私、中学からずっと女子校で大学まで…。サークルとかも入ってなくて」


「じゃあさ、本当の一番じゃないかもよ? まだ本当は他にいるけど、知らないだけかもね」


「え? 本当の一番?」


 聞き返した時、カフェが見えた。


「まだ出会ってないだけで…」


 不思議な気持ちになった。気持ちが軽くなる。今までずっと暗い重い場所にいたと思っていたのに、何だか足取りも軽くなった。カフェに入って窓際に座る。メニューを広げて互いに見えるようにした。


「あー、ちょっとお腹空いたから、なんか食べようかな」と工藤先生が言う。


「え、じゃあ、私も。一人分作るの面倒で」とメニューを眺めた。


「ナポリタンにハンバーグ…トッピングしようかな」


「え、じゃあ、私はソーセージ乗せようかな」と言うから、工藤先生は笑う。


「ソーセージは変ですか?」


「いや、そうじゃなくて。のっかるなぁって思って」


 そう言われれると恥ずかしくなる。


「悪いことじゃないけど…。一番の人もお姉さんにのっかっただけじゃないの?」


「え?」


(私が姉にのっかった?)


「ごめん。そんな言い方して。でも…人は手に入らないと思った瞬間、その価値は上がるからね。義兄さんは素敵な人だと思うけど、他にもいると思うよ」


「…私…でも…言っちゃった」


「何を?」


「好きだって」


「え? 義兄に?」


 驚いたような呆れたような顔をした工藤先生を見て、頷く。


「だって…もう…優しくして欲しくなくて…」


「…それでなんて?」


「電話切っちゃった」


 工藤先生はため息を吐く。


「…ナチュラルに…人を振り回してるよ」


「え?」


 その言葉が全身を突き刺した。


「言わなくていいこと言って…。それって自分が楽になりたいから言った言葉じゃない?」


 確かに…そうだった。


「言われた方の気持ち…考えては言ってないでしょ?」


 私は頷きつつ、時間が戻らないことを後悔した。工藤先生は店員さんにさっき言ってたメニューを注文した。


 私はぼんやり何もかもが自分のせいで、こんなことになってると知った。


「まぁ…いろいろ経験不足もありそうだけど。こうなったら、一つ一つ整理したら?」


「一つ一つ? 整理したら…決められるかな?」


「決めるんだよ。整理して、どうするか、自分で」


 その言葉に重さがあったけれど、それは私がやらなくてはいけないことだった。


「まずはさ、旦那さんの不倫だけど、もう少し掘り下げて考えてみて。君はあり得ないって顔してたけど…。本当に好きな人に振り向いてもらえなくて、すぐ側に愛してくれる人がいたら、本当にそっちになびかない?」


 私は二番目に好きな人と結婚した。なびいた側の人間だ。


「…けど。だけど…結婚してたら…いきません」


「まぁ、そうだろうね。でもそれだけ彼が弱かったってのもあるだろうし、辛かったのもあるだろうし。でもそこは君と違ってたんじゃない? 君がなびかないとしたら…じゃあ、どうしてた?」


 工藤先生の言葉はゆっくりで、混乱していた私の頭と感情の糸をほぐしてくれるようだった。


「…その人と向き合いたいです。別れるにしても、続けるにしても」


「それ、した?」


「…してません。彼は別れたくない、私は別れるの一点張りで。最後は…私が浮気するって宣言しました」


「ええ!」と工藤先生は本気で驚いた声を上げる。


 周りの視線が痛い。


「同じ目に合っても、まだ別れないって言うかな…ってちょっと思って」


「君って、結構…顔に似合わず…サディスティックなんだね」


「顔? サディ…ス…」


「子供っぽい顔。っていうか、あれか。子供のやられたらやり返す精神か!」


 それはそうかもしれない、と頷いた。


「それで気が済むわけ? 浮気したら旦那さんとやり直せるの?」


「…それは想像つかないですけど」と言うと、工藤先生はテーブルの上につっぷした。


「お待たせしました」とタイミングよく店員が熱々の鉄板を運んでくる。


 音を立てて焼けたスパゲッティの匂いが広がる。工藤先生は慌てて起き上がり、何事もなかったような顔をした。


「小悪魔…ってこんな姿してるんだ」とじろじろと見られる。


「こ、あく…ま?」


 私は自慢じゃないがそんなに色気はないし、夫としか付き合ったことがない。


「自覚なく…人を振り回して、傷つけてるよ」


「え?」


 目の前の鉄板に乗せられたスパゲッティの油の跳ねる音がだんだん小さくなる。


「自覚して、傷つけたらいい」


「傷つける?」


「旦那さんを振り切れないのは同情じゃないの? 可哀想って。男はね、女のことで、かわいそうって一番思われたくない生き物だから。好きになれないなら、きっぱり別れる態度をとることだよ。自分も浮気するとかってさ、ある意味気を持たせてるの、分かんないかな?」


「そんなの…わか…ん…」


 工藤先生の言うことは多分あってて、私が間違えてるんだろうけど、内容量の小さい私はすぐにいっぱいいっぱいになる。


「何もかも…だめ…って…」


「だから、そういうところ!」


 また言われて涙が溢れそうなのを俯いて我慢した。


「…そういうところが、男をだめにするんだよ」と力が抜けたような声がした。


 見上げたら、優しい顔で微笑んでいる。


「…庇護欲を掻き立てられる。俯いて一人で泣いてるから、男はうっかり手を差し伸べたくなる」


「そんなつもりじゃ」


「分かってる。でも自分で考えて、立って、歩かなきゃね?」


 熱い鉄板の上でスパゲッティが焦げ始めていた。


「食べよう」と工藤先生は言って、タバスコをたっぷりかけた。


 焦げたカリカリのスパゲッティは苦味があったけど、ポリポリした食感が楽しくて、焦げたところを探してしまう。


「ねぇ、一番好きな人はお姉さんから君に乗り換えなかったの?」


「そんなわけないじゃないですか。姉は綺麗で優しいんです」


「へぇ」と言ったきり、何も言わない。


 ポリポリ部分がなくなったので、仕方なくソーセージを切る。大きいのが二本乗っている。


「…工藤先生は…姉妹がいたら。両方と…とかいうタイプですか?」とふと気になって聞いた。


「流石に…ないよ。ってか、そういうふうに俺のこと見てるんだ。まぁ…そんな男、たくさんいるの知ってるってだけで」


「たくさんいるんですか?」


「姉と付き合ったら、妹の方が可愛かったとか、実際そうしたとか、そんな話、よく聞く」


 ぞっとした。義兄がそんな人じゃなくて良かった。


「結局…私…夫に悪いことしたなって。冷静になって思うんです」


「でもさお互い悪いからって、チャラにして、また同じように生活できる?」


 分からない。あの時は本当に嫌だと思った。思い出すと、やはり怖くなる。


「ゆっくり考えたら?」と言って工藤先生はスパゲッティを巻いて行く。


「私…夫を愛したいです。でも…分からないです」


 どっちの気持ちも本当で、私は何も言えなくなる。


 工藤先生のスパゲッティは丸く太くなって口に入るのか、不安なほどだった。それを大口開けて、口の中に入れる。頬を膨らませて食べる工藤先生を見ていると、なんだか子供みたいだった。それをなんとなく見ていたら、飲み込んだ工藤先生が言う。


「一つだけ言えることは、無理は続かないってことだよ」

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