第7話
変化
莉里とはそんな感じで朝と夜と一緒に通学したり、帰宅したりした。夜は人目がない分、二人で追いかけっこみたいなことをしながら帰る。
「りっちゃん、早い」
「莉里ちゃんが先に走ったのに」
そう言って、止まって振り返ると莉里が俺を抜かして先に行く。
「りっちゃん、あそこの電柱まで」と随分、自分に近いゴールを言われる。
でも抜かせる自信があったから、全速力で走った。ゴールで抜かすと、莉里は嬉しそうに「偉い偉い」と言って、頭をぽんぽんする。
「莉里ちゃ…ん。あれ? 声が…」
「どうかした?」
声がかすれて出にくくなる。
「…ううん。何でもない」
声変わりが始まった。クラスでは遅い方だったかもしれない。
「りっちゃん?」
それで漠然ともう莉里とこんな関係ではいられないような気がした。
「…勝ったんだから…コンビニでアイス」
「うん。明日、買おうね」と莉里が笑う。
莉里が日ごとに綺麗に見える。
帰宅すると、莉里の両親に出迎えられる。夜、一緒に帰宅するのを莉里の両親は快く思わないのか、
「どうして待ち合わせして帰ってくるんだ?」とあの人が言う。
横で莉里のお母さんも立っていた。
「だって夜道だから、お互い一緒に帰った方が安全でしょ?」と莉里は食ってかかる。
「…余計遅くなるだろう。コンビニに寄ったりして」
「お父さんは心配じゃないの? 私のことも、律のことも? それとも毎回、迎えに来てくれるの?」
莉里は一人で二人に立ち向かっていた。
本当はそんなことをする必要ないのに。俺がいなければ、そんなことを言わなくて良かった。
「…それは…そうだけど。でも寄り道せずに帰ってきなさい」
それ以上、お互い、何も言わずに玄関先で解散となった。
疲労感が体を襲う。ベッドの上で天井を見上げる。いつまでこの家にいるんだろうかと不思議に思う。莉里を見ると、変な気持ちになる。
コンコンとドアをノックされる。
「はい」と返事をして体を起こすと、ドアが少し開いた。
「りっちゃん? お風呂どうぞ」
「あ、ありがとう」と立ち上がると、莉里が濡れた髪をタオルで巻いてこっちを見ていた。
「莉里ちゃん? どうかした?」
「あのね。ごめんね。なんか、二人とも…意地悪で」
思わずきょとんとしてしまった。
「どうしてそれを莉里ちゃんが謝るの?」
「…なんか。私がもっともっと大人だったら…って」
「莉里ちゃんはいつもかばってくれて、優しくしてくれてるから」と言うと、莉里は泣いてしまった。
「どうして…。私、力がないんだろう。もっと早く大人になりたい。それでりっちゃんをもっと居心地のいいところに」
莉里は何てことを言うんだろう。二人で暮らすとでも言うのだろうか、と考えると甘い気持ちに捉えられる。
そして濡れた髪が一筋頬にかかっていて、涙を零している姿が可憐だった。思わずぼんやり見てしまう。
「ごめんね」と繰り返すので「ううん。今、とっても幸せだから」と言った。
「え?」
「莉里ちゃんに会えて、良かった」
そう言ったのに、目からはさらに大粒の涙が零れた。
「本当?」
大きく目を開いて、潤ませる。
「うん」
莉里以外に綺麗な人を見たことがない。
「そろそろ、お風呂行ってくる」
「あ、ごめんね」と莉里は慌てて、部屋から出て行った。
莉里を見ていると、どうにかなりそうだった。
それからきっかり一週間で声が低くなった。それには莉里のお母さんも驚いたようだった。
「…びっくりしちゃうわ。まだ…顔は可愛いけど…髭とか生えてくるのかしら? それで何か必要?」と聞いてきた。
何がいるのかって言われると分からなくて、困ってしまう。
そこに莉里が来たから、何だか恥ずかしくなった。
「りっちゃん、声…」
それからなんだか莉里とも喋り難くなった。
「今日、早く学校に行くから」とだけ言って、ご飯も食べずに出て行く。
「りっちゃん」と莉里の声がしたけど、振り返らずに表に出た。
クラスのみんなも声変わりしているから「あー、お前もかぁ」くらいに受け止められたが、なんとなく奇妙な感じだった。
「大人になった感じするよなぁ」とクラスメイトが言う。
成長の話からちょっと卑猥な話になって、それを聞き流しながら、自分が莉里と一緒にいてはいけない気がした。
学校から家に戻ると、今日は誰もいなかった。ピアノの練習をする。コンクールが夏にあるから、練習をしておかなければいけない。賞金も出る。少しずつ貯めて、自活するときに使えるようにしたいから、本気で狙っていた。
一時間ほど、練習していると、莉里が帰ってきた。
玄関に出迎えに行く。
「りっちゃん…」と莉里が泣きそうな顔で玄関に立っていた。
「おかえり」
「…ただいま。挨拶してくれて…ありがとう」
「え?」
「だって…避けられてるから…」
「あ、いや。なんか」
声が変わるだけで、何だか変な気分だ。でも莉里に冷たくしたのは悪かったと思ったから、少し反省して「ピアノ、弾くから。好きな曲ある?」と聞いた。
目を輝かせて「悲愴の第二楽章」と言う。
ピアノの前に座る。莉里が好きだというこの曲はひたすら穏やかに流れていく。きっと莉里は癒しが欲しいんだろう、と思う。だから優しい音で包み込むように弾いた。
「りっちゃん…。素敵」
本当に感動したように言ってくれる。こんなことで良かったら、何回でも弾くと思ったけど
「りっちゃんのコンクールのために邪魔しちゃだめだよね。でもありがとう。頑張って」と莉里は去って行った。
何度でも弾いたっていい。莉里のためなら何回でも。
そしてコンクールは上手く行った。先生も大喜びしてくれた。
「いつか、律は留学したらいいね」と言った一言に、あの人が言った。
「中学生でも留学できますか?」と。
それは非道なことのように思えたけれど、その翌日、夢精をしてしまって、俺はここで暮らすのはもう限界だと思った。
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