自室に女。蘇る昨夜の地獄


 少しの頭痛を感じて僕は目をうっすらと開けた。カーテンの隙間から一本の線のように差し込んでいる朝日が眩しい。


「んんん……」


 なんだか身体のあちこちが痛い。うつ伏せで寝ていたからかもしれない。


「ん?」


 いつもは布団をしいて寝ているのだが、なぜかこの日はソファーで寝てしまったらしい。何かがおかしいのは感じていたが、起きてすぐでその違和感を特定することは出来なかった。


「ん……」


 固まった身体を伸びをしてほぐしながら目をこする。

 

 視界に入ってきた光景に僕は硬直した。

 少し離れたところに布団がしいてあって、女性が寝ている。朝日が首元を照らしていて、すけるように白い肌が輝いていた。


 蘭先輩だった。そうだ。今さらだが、蘭先輩は色が白い女性だった。


 嫌な予感がして、僕は慌てて自分の毛布の中を探った。よかった。ちゃんと履いている。まあ、別々に寝ているのだからそうだろう。


 それにしても、昨日の晩は……。


 慌てて記憶を手繰り寄せる。


 金曜の夜だったので、いつものメンバーで飲んでいたのを思い出す。楽しく飲んでいたのはいつもと同じ。だが、昨日は珍しく蘭先輩がベロベロに酔っ払ったのだ。確か。


「お前送っていけや。俺たちはまだ飲むから」


 亘先輩に言われて、僕は蘭先輩を一人で帰すことは出来ず、しぶしぶ彼女を送ることになったのだった。


「蘭先輩。先輩のうち、どこですか? タクシー拾いますから」

「あっち!」


 無邪気な笑顔を満面に浮かべて言われて、僕は戸惑ってしまった。


 蘭先輩ってこんな人だっただろうか?

 

「あっちじゃ分かりませんよ」

「あっち~!」


 自分でまともに歩けない蘭先輩に肩を貸して僕はため息をつく。

 スマホを見ると、8時37分と表示されていた。この時間でこんなに酔っている人は回りには見当たらない。


「しゅう君~。私、院に行きたいんだ~」


 唐突に蘭先輩に言われて意味がわからなかった。


「いん?」

「うん。大学院」


 蘭先輩は、僕の肩にかけていない方の手でバッグを高々と掲げてそう言った。


「ああ、大学院ですか。そうなんですね。行けばいいじゃないですか」

「でもね~、うちの両親は反対なの~」


 何がおかしいのかケラケラ笑いながら蘭先輩は続ける。僕はどう相手していいか戸惑いながらも、


「なぜです?」


 と先を促した。


「うちの実家田舎でさあ~。女は早く結婚しろ、みたいなのがあるのね~」

「え?」


 なんだか驚いた自分に驚いた。女性の生き方の一つの選択として結婚があるのは分っているのに。蘭先輩はまだ当分しないような、出来ないような、そんな勝手な印象を抱いていた。まだ研究室に一緒にいられることを疑いもしなかった。

 それに今時、女だから早く結婚しろなんて、時代錯誤も甚だしい。


「……それは、大変ですね。もしかして、相手がいるんですか? 幼馴染とか?」


 僕の言葉に蘭先輩は驚いた顔をして、また笑い出した。


「いるように見える~? あははは! いないいない~! どうせお見合いでもさせられるんだよ~」


 蘭先輩は笑ってはいるけれど少し悲しそうに見えて、なんだか僕は複雑な気分になった。


「しゅう君~、お酒って美味しいよね~! ねえ、私まだ飲み足りない~、あはは~!」


 両親に何か言われたのだろうか。それで蘭先輩は悪酔するまで飲んでしまったのかな。


「そんなふらふらな状態で、飲み足りない、じゃないです。だめですよ、もう」

「ええ~、しゅう君のいじわる~」


 子供のように駄々をこねる蘭先輩。


「家に帰りましょう。ほら、住所ぐらい言えるでしょ?」

「うん! ○○県○○市~」


 蘭先輩が言い出した住所は大学のある県ではない所だった。きっと実家の住所だろう。


「違いますよ。今住んでいる住所です」

「今? うんとね……」


 蘭先輩は突然そこで言葉を切ると、前屈みになった。


「き、気持ち悪い……」

「えええええ!?」


 お約束のように急に具合の悪くなった蘭先輩に僕はあたふたした。


「は、吐きますか?」

「う、う……」

「ちょ、ちょっと待ってください! ここではまずいです。トイレ、トイレ……」


 そういえばすぐ近くに公園があったはずだ。


「公園の公衆トイレに行きましょう。待ってくださいよ?」


 僕は蘭先輩を抱えるようにしてトイレに連れて行った。


 トイレで背中をさすり、そして、吐くだけ吐かせて、口をすすがせ……。やっと蘭先輩を公園のベンチに横たわらせて、僕は脱力した。


 はあ……。とんでもない日だ。


「蘭先輩、大丈夫ですか?」

「う……」


 蘭先輩はぐったりとして、そしてなんだか眠そうだった。


「駄目です。ここで寝たら風邪ひいちゃいます」 


 9月も下旬になって、夜は急に冷え込むようになった。僕は蘭先輩の肩を揺さぶりながら声をかける。

 それでも蘭先輩はうとうとして、返事もしなくなった。


 僕は満天の星空を見上げて、大きなため息をついた。


 このままじゃいけないよな。


 僕はたくさんの星が見守る中、蘭先輩を負ぶって歩き出した。

 蘭先輩本当に結婚するのかな。


 それはなんだか嫌だなと思った。

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