第90話

出向


 タコパは結局、三人ですることになった。中崎さんは私がブロックしているのに気がついて、もう近づいてこなくなった。中崎さんの部屋に置いてた少しの私物と洗濯物は梶先輩経由で返却された。


 そして私は部長に懇願して、出向の話を進めてもらった。


「十子…。いいの? 本当に?」と梶先輩がたこ焼きにタコを並べながら聞く。


 たこ焼きを焼いてみたかったけれど、流石に今日は元気が出なかった。揚げ玉が吉永さんによって振り撒かれる。じわじわと端から焼けるのを見ていた。


「出向、楽しみなんです。海鮮が美味しいし…。カニとか。だから休みになったら来て下さい」と言うと、呆れた顔で「実家に帰るでしょ? みんな。十子もでしょ?」と梶先輩に言われた。


「あ、そうでした」と言いながら、紅生姜をティースプーンでちょっとずつ入れていく。


「いや、それより、中崎…いいの?」と吉永さんに言われる。


 動きが鈍い私の紅生姜に吉永さんもスプーンを突っ込んで、反対側から撒いていった。


「…失恋したんで。言わないでください」


「旅行で何があったの?」とねぎをテキパキと振りかける梶先輩に聞かれた。


 私は俯いて「話せる時が来るまで…待ってください」と言って、缶ビールを直飲みした。


「やれやれ」と吉永さんはため息をついて、紅生姜全て入れてくれた。


「十子が何したのか、してないのか分からないけど…。中崎はきっと十子のこと…」と梶先輩が言いかけたのを、吉永さんが「あー、焦げてる」と大きな声で話を消した。


「ごめんなさい。せっかくのタコパなのに。もっと楽しい話ができたら良いんですけど」と謝ると、二人とも首を横に振った。


「いい時も、悪い時も…一緒に過ごして友達じゃない」と梶先輩が言ってくれた。


「友達…」


「そうだよ。俺も助けてもらってるし。小森ちゃんに」

 

 私は二人の前で思い切り泣いてしまった。たこ焼きは息の合った二人で無事に作られ、私は泣きながら、たこ焼きを口に入れて火傷した。

 その日は久しぶりに梶先輩のところに泊まった。大泣きしたせいか、すぐに眠れた。相変わらず梶先輩はいい匂いがする。


(梶先輩がどうか吉永さんと上手くいきますように)と私はお祈りした。



 そして逃げるように出向先に来た。仕事を覚えるまでは忙しくて、お陰で落ち込むことは少なかった。会社の人はみんな優しいし、ご飯も美味しかった。家に帰ると一人だけれど、今はそれがよかった。ベランダから一人で暮れて聞く海を眺めてぼんやり過ごした。海を見ると頭も気持ちも空っぽになれる。


 気がつけば冬になって、寒さが増してきた頃、雪が降り始めた。雪の大きさはどんどん大きくなって、私は朝になって会社に行く靴がないことに気がついた。焦っていると、スマホに着信があって、会社の川田さんが車で寄ってくれると言う。断ろうとしたけれど「近くだから」と言われた。


 マンションまで車で迎えに来てくれて、私は慌てて、川田さんの車に乗り込む。


「急に降ったから…びっくりしたでしょう?」と川田さんがのんびりした口調で話しかけてくれる。


「はい」と言いながら助手席に座った。


「そう言えば…好きな人とはどうなったん?」といきなり聞かれた。


「えっと…。なんていうか…上手く行かなくて」と途切れ途切れに言う。


「そう? じゃあ、うちの人の後輩と会ってみん?」と言われる。


「え…あ」


「若い人少ないから…」と言われる。


 ここで結婚して、生活するのも悪くないのかもしれない、と考えてみようと外を眺める。白い雪が家も道も覆っていく。こんなに雪が降る場所で暮らしたことがないから、綺麗に思える。

 住宅地の間に畑があって、小さな雪畑になっていた。見ていると、不思議なことに土の塊のように下から雪が突き上がる。


「あれ? 雪が…生えてきた」と私は言った。


「え? 雪が?」


「雪が…ぽこ、ぽこって…。至る所に」


「あぁ、土の上に?」


「はい…」


「それは雪玉言うて、悪さはせんから」


「雪玉?」


「なんやろねぇ。雪玉言うて、お化け? みたいなもんやけど、悪さはせんの」


 私は思わず川田さんの横顔を眺める。


「都会から来たから珍しいんかな?」と笑った。


「お化け?」


「そうよお。田舎だから、妖怪とか…いっぱいおるよ」と当たり前のように言う。


「…いっぱい」


「暗がりが多いからねぇ」と言って、川田さんも小さい頃はいろんなものを見たと話してくれた。


 私はトラちゃんがここに来た方がいいと言ってた理由が分かった気がした。雪玉はぽこぽこと増えたり消えたりしていた。ここなら私はきっと変な人と扱われないだろう。見えないものに対しての感覚が違うのかもしれない。


「それでうちの人の後輩どう? 消防署に勤めてて、ええ体しとるよ」


 返事ができずに、私は曖昧な笑顔を浮かべた。

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