第83話
天気雨
お昼になって、私は中崎さんと待ち合わせて、外に食べに行くことにした。会社を出て、何を食べようかと言ってた時、天気が良いのに雨粒が空から降ってくる。きらきら光のカーテンのように日光を反射している。
「…あ」
「天気雨だね」と中崎さんが言う。
綺麗な雨粒が光って、空から落ちてくる。私は空を見上げて、眩しい太陽に目を細めた。
「中崎さん…。給湯室に行ってもいいですか?」
「給湯室?」
「今すぐ…行ってきます。ちょっと待っててください」と慌てて会社に戻る。
もしかすると…と思って急いで給湯室に入った。
「桃さん」と私は呼びかけた。
振り向いた彼女は微笑んで、そして白く光っていた。
「あの…ありがとう。私もお礼が言いたくて…。色々相談に乗ってくれて…。ありがとう。私、友達いなくて…。桃さんに聞いてもらえて…嬉しかったから…」
もうほぼ白いだけになっている桃さんに私は伝えた。なんでも相談できる友達のいない私は桃さんにまで話を聞いてもらった。桃さんのためになんとかしなければ、とは思っていたけれど、私が助けられていることも多かった。
「ありがとう」
その言葉に
(楽しかった)と返ってきた。
「え?」
ふわあっと白い光がモヤのように広がって、私を包んで、煙のように細くなって消えていく。少し甘い匂いがした。給湯室から出て、窓を見ると雨が上がっていた。雨に濡れた街がきらきらと光っている。
「友達…に…なれた…のに」
もういなくなってしまった。それが彼女にとっては必要なことなのだけど。お別れは置いていかれる方がいつも淋しい。
「十子ちゃん?」
後から来た中崎さんが声をかけてくる。
「…友達…行っちゃいました」
「そっか」
そう言って、頭を撫でてくれた。時間が無くなったので、社食に上がる。私はうどんを選んで、中崎さんは麻婆丼を選んでいた。どこに座ろうか迷っていると、吉永さんが手を振ってくれる。梶先輩もいた。
二人でそこに向かって、座った。
「あれ? 小森ちゃん、朝は元気だったのに?」
「あ、大丈夫です」と言って、いただきますとうどんをすする。
「十子がうどんって珍しいね」と梶先輩も心配してくれる。
「なんか…あったかい物を食べないと、淋しくて…」と私が少し鼻声で言うと、吉永さんが中崎さんに「何かした?」と聞いた。
中崎さんが否定する前に「中崎さんのことじゃないんです」と言った。
「ん? どうした?」
私は改めて、心配してくれる吉永さんや梶さん、中崎さんの顔を見た。
「急に…お別れが淋しくなって」
私は友達がいない、人に好かれていないと不満を言っていたけれど、目の前の人達は私のことを心配してくれている。そのことに今更のように気付かされた。それが情けなくて、うどんを啜った。
「…十子、まだ辞令出てないから。わかんないよ」
確かに月曜日には出ると思っていたのに、もう木曜日だった。
「どうなってるんだろうね」と吉永さんが首を傾げる。
「明日かな?」と私はうどんを啜りながら言う。
「…十子ちゃん」と中崎さんに言われて、顔を上げた。
「部長と話して…やめてもらおうか?」
「あ、いえ。後で聞いてみます」と慌てて、断った。
そんな私たちをにやにやと笑いながら見ている吉永さんが「ところで、二人は恋人になったのかな?」と聞いた。
「あ…」と私は吉永さんを見た。
その答えをきっと中崎さんはまだ出せていない。中崎さんは目を伏せて、そして席を立ってしまった。
「十子? 大丈夫?」と梶先輩が声をかけてくれる。
「そういえば、小森ちゃん、報告あるって言ってたよね?」
「それは…来週になると思います。あの…中崎さんも悩んでて」
「何を?」と梶先輩が聞く。
いくら梶先輩でも中崎さんのデリケートな個人情報は話せない。
「もう少し…待ってください…」としか言えなくて辛くなる。
「小森ちゃん、なんで君ばかりが我慢してるの?」と吉永さんも言ってから「ごめん」と謝った。
「小森ちゃんが一番辛いんじゃないの?」と吉永さんが言ってくれた。
私は首を横に振って、黙ってうどんを啜る。
「じゃあ、今日、焼き鳥奢ろうか」と吉永さんが言ってくれる。
少し前なら喜んで頷いていたのに、私はまた首を横に振って謝った。
「ありがとうございます。でも…やっぱり中崎さんの側にいます」
「辛くなったら、うちにおいで」と梶先輩も言ってくれる。
私は二人にお礼を言った。
ランチの後に部長を探すけれど、見当たらなかった。予定表には会議と部屋番号が書かれているだけだった。給湯室はもう空っぽになっている。私はお菓子を片付けようかと悩んでいると、本田さんに声をかけられた。
「小森さん…」
「あ、お疲れ様です」
「あのさ…。彼女…」と言いにくそうに聞いてくる。
「もう、大丈夫です。だからお菓子を片付けようかなって思ってて」とお菓子の箱を手にする。
「俺…、後悔って…初めてした」
振り返って、本田さんの顔を見た。
「なんか…、格好つけたり、言い訳したりして…。本当のこと言えずに終わったから…。それでもう俺も三十半ばで…。自分に嘘をついて生きていくのが何だかキツくなってきたなって」
「嘘?」
「そう。仕事も…結婚も…自分も…こんなもんだろ? って自分で適当にそう決めて…」と自嘲しながら言う。
「それでも…今まで頑張ってきたことも…きっと嘘じゃないと思いますよ」と私が言うと、驚いたような顔をされた。
「…そうかな。そんな言葉…優しくて、泣きたくなる」
泣かれれるのかと驚いて、私は何も言えなくなった。
「でもちょっと変えていくよ。本当に自分がどうしたいのか…。今更取り返しのつかないこともあるけど」
「…はい。きっと…彼女も喜んでくれると思います」と頭を下げて、机に戻った。
しばらく机に戻って、ぼんやりしてしまう。でも美人人妻に怒られそうなので、そろそろ仕事を始める。彼女は優秀なので、引き継ぎしたいけれど、辞令も出ていないので、動けなかった。午後、女性社員が村岡さんについて話していた。どうやら顔に大きな傷が残るそうで、お見舞いも断っているそうだった。
「可哀想に」とは言うものの、どこか言葉とは違う気持ちが見え隠れする。
私は何も言わずに、仕事をする。
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