第66話

探す


 中崎さんと駅で別れた後、コンビニに寄って、私はお菓子を買う。今日はミルク饅頭なんだけど、会社に着くと、すぐに給湯室に置いた。しばらくすると「だれー? お饅頭置き忘れてる人」とまた呼び出しを受けた。福井さんと言う女性で会社歴が長い人で、結婚しても出産しても辞めずにきている。


「あ、私です」


「また小森さん? お茶まで置いてて。若年性アルツハイマー?」と遠慮なく言ってくる。


「すみません」


「…それともお供えでもしてるの?」


「え?」


「違うか…」と言って、出て行った。


 私は給湯室の隅に俯いている彼女を見た。


「早く食べて」と言って、そのまま置いて出る。


 十分後に取りに行った時はミルク饅頭はゴミ箱に入れられていて、お茶も捨てられていた。誰かが捨てたのだろう、と疑問が浮かんだが「仕方ない」と思った。


「食べた?」と聞くと、頷いたから、それはそれでいいか、と思った。


 お昼前に梶先輩に声をかけられる。


「十子、社食行く?」


「あ、行きます」


「じゃあ、一緒に行こう」


「はい」と言って、梶先輩に最近の調子はどうかと尋ねた。


「十子のおかげで、前を向こうって思えた。ありがとう」


「よかったです」


「幽霊って…小さい頃から見えたの?」


「小さい頃は見えてて…大学とかになったら、見えないようにしてたんですけど…」と私が言うと、梶先輩は驚いたような顔をする。


「見えるって…怖くない?」


「怖い…のもありますけど…。でもそれは人間でも怖い人、優しい人…それぞれいるから…。幽霊だって、元は人間ですからね」


 そんな話をしていると、後ろから「小森さん、幽霊、見えるの?」と朝の福井さんに声をかけられた。


「あ、いえ…あの」


「ふーん」と言って、しばらく黙ったけれど「給湯室に誰かいるの?」と聞いてきた。


「給湯室に?」と梶先輩まで聞く。


 仕方ないな、と思って、女の子がいつも俯いている、と教えた。


「女の子って? どんな?」


「顔は見えません。セミロングで…ストレート…身長は私より少し高い気がします」


「福井さん、何か心当たりあるんですか?」と梶先輩が聞く。


「セミロングストレートなんて山ほどいるじゃない」と言いながら、明らかに何かを知っているような顔をしていた。


「いじめられてた女性社員…」と私が言うと、福井さんはため息をついた。


「食べながらでもいい?」と言われたので、三人でテーブルについた。


 今日の日替わりは酢豚だった。福井さんはパスタを頼んで、梶先輩はきつねうどんだった。


「あのね…。私が出産後復帰した時よ、もういじめられてたの。その子、可愛らしい子だったんだけど、男前の営業の人にね、よく助けられてて…それを気に入らなかったのか、先輩が苛めてたのよ」


「それでどうなったんですか?」


「給湯室でよく泣いてるの見てたわ。私、気にしない方がいいわよって言ったけど…。そんな慰め何にもならないのよね」


 彼女は鬱になって、会社を休んだかと思えば、癌になり、若いせいで進行も早くてそのまま帰らぬ人となった、と言う。


「今でも給湯室にいるとしたら…かわいそうよね。あ…それであなたお菓子をいつもお茶と一緒に置いてるのね?」と福井さんが言った。


「はい…。少しででも気持ちが休まるといいなと思って。あ、お菓子の処分、福井さんがですか」と私が言うと「は? 処分?」と眉毛を上げた。


「今朝のミルク饅頭です」


「私、あなたに持って行くように言っただけで、後は知らないわよ」


 ゴミ箱に入っていたけれど、一体、誰が捨てたのだろう、と思った。


「まぁ…彼女かは分からないけど…。給湯室でいつも泣いてたから。それで男前の営業の子、虐めてた人と結婚したのよ」


「えー」と私は思わず声を上げる。


「だから…彼も悲惨よ。営業成績も下がってるし…。家庭も上手く行ってないとか聞いたけど」と福井さんはスパゲティを頬張った。


「そう…ですか」


 私は彼女がそうだとしたら、自殺じゃなくてよかったと思った。自殺だと成仏するのは難しい。


「もし小森さんがお供えするのなら、もう少し邪魔じゃないところに置きなさい」と福井さんに言われた。


「分かりました」


「私も考えるから…置き場所」と言ってくれた。


 福井さんは長く勤めているだけあって、生き字引きのようだった。さっさと昼食を食べると「お先」と言って、席を立った。


「何だかかわいそうね」と梶先輩が言う。


「まぁ、そうなんですけど。梶先輩は優しいから…同情はしちゃダメですよ」と忠告しておいた。


「え?」


「同情すると、甘えた霊が寄ってきますからね」と私は言う。


「でも私から見ると、十子がものすごく優しくて、同情しているみたいに見えるけど?」


「うーん。ちょっと放っておけなくて」と昨日の村岡さんの火傷騒ぎの話をした。


「それが…霊の仕業?」


「分かりませんけど。もしそうだったら、大変なことになるので」


 そんな話をしていると、吉永さんが声をかけてきた。


「ここいい?」


「あ、どうぞ。タコパの話しましょう?」と私が言うと、梶先輩が「来週は忙しくて…。再来週でもいい?」と言った。


「私も来週はお休みして、出向先のアパート探そうと思ってて」と言った。


「え? マジで小森ちゃん言ってる?」


「はい。マジです」と生真面目に返事をする。


「十子、断らなかったの?」


「断れるんですか? でもお手当つけてくれると思うし…」と私は現金な話をする。


「はぁ。でも…誰か友達いるの?」


「いませんけど…、素敵な漁師さんと知り合いになれるかも」と呑気なことを言った。


「素敵な漁師?」と後ろから声がする。


 吉永さんはため息をついた。私の真後ろに中崎さんが立っている。私は口パクで「早く教えてくださいよ」と吉永さんに抗議した。


 そして梶先輩は空気を読まずに「十子は海の男がタイプなの?」と聞いてくる。


「そうなんだ」と中崎さんが横に座って、顔を覗き込んでくる。


 中崎さんはハンバーグ定食にしたようだった。


「そ、そうですね。素敵な漁師さんと知り合って、美味しい魚をゲットできるかなーなんて」と苦し紛れな回答をした。


「十子は食べるの大好きだからねぇ。でもそんなので釣られちゃったの?」


「あははは。食べ物美味しそうだからいいかなぁ」と私は梶先輩の言葉に乗った。


 酢豚の豚が硬くて、私はその後、口数が少なくなった。どうしてタイミングが悪く現れるのだろう、と私は酢豚の豚と格闘しながら考えた。


「来週…出向先に行くって?」と中崎さんが聞いてくる。


「あ…はい。家…探し…しよ…かと…」と酢豚でうまく喋れない。


「ふーん。僕も休み取ろうかな」


「中崎もついて行くってこと?」と吉永さんが聞く。


「え? あ…まぁ、いい季節ですしね」と頑張って、飲み込んで、曖昧に言ってみた。


「美味しい魚が獲れるか…気になるしね」


 魚は正直、どうでもいいんだけど、と私は思いつつ、梶先輩と吉永さんの方を見ると、呆れた顔を二人でしていた。食べ終わって、私が洗面所で歯を磨いていると、梶先輩も歯磨きをしに来た。


「中崎は一体、どういうつもりなのかなぁ」


「えっと…」


 中崎さんの個人情報は流石に話せない。


「すごく十子のこと、好きそうなのに…」と言って、歯を磨く。


「…そうですかね?」と私が言った時、バタンと扉が開いて村岡さんが出てきた。


 もう火傷の様子は良かったのだろうか、と思う。そして私を上から下までじろじろ眺めて、軽く笑った。梶先輩がじっと見ると、慌てて手を洗って出て行く。


「十子がいないと…仕事…困るんだけどね」


「あ、それは…他の人に叩き込んでおきます」


「後寂しい」


「私も…です」と私は梶先輩に抱きついた。


「十子…」とよしよしされて、泣きたくなった。


 友達いないって言って不満を言ってたけど、私には優しくしてくれる先輩もいる。だから頑張れた、と心から感謝した。


 給湯室に向かうと小さな棚が置かれていた。その一番上にお茶と、お煎餅が置かれている。福井さんがしたのかもしれない。私は隅にいる女の子にお煎餅を食べたか聞いてみる。首を横に振った。


「お煎餅嫌い?」


 ゆっくり頷く。


「下げようか?」と聞くと、首を横に振った。


 その瞬間、福井さんが「ごめんね」と言いながら、お煎餅を置いてる映像が見える。福井さんは何も悪くないのに、きっとあの時、もっと何かできなかったのだろうか、と後悔していたみたいだった。その気持ちが伝わったのだろう。苦手なお煎餅でも置いておいて欲しいようだった。


「…死んでからも遠慮しなくていいのに。私、お煎餅苦手って言っとく」と言うと、激しく首を横に振った。


 人間、死んだからと言って、性格がそんなに変わらないようだった。彼女は遠慮しがちで、結局、自分を苦しめた。


「あのね。伝えられた方が楽ってことがあるんだよ。私だって、もし好きなものが分かったら…毎日、それ持ってくるし…」


 すごく小さな声でチョコレートと言った気がした。


「分かった。明日買ってくるね」とお煎餅を私は下げた。


 そして福井さんに「彼女、チョコレートが好きみたいで…」とお煎餅は苦手なことを伝える。


「えー。そっかぁ。分かった」と特に気にしないようで「それ、あげる」と下げてきたお煎餅をくれた。


 そして机に帰ろうとすると「小森さん、ありがとう」と言われた。


 初めて、この変な能力で感謝された気がする。私は何だか心が温かくなった。今まで気持ち悪いと言われ続けていたこの自分の能力を感謝される日が来るなんて思ってもみなかった。

 午後の仕事が終わろうとした時、中崎さんが机に来た。


「この書類なんだけど」と渡された書類にメモが貼られている。


『一緒に帰ろう。定時で終わるから』と書かれている。


「ここ、確認して」とメモを指差される。


 黙って、メモを読むと「これでいいかな?」と聞かれた。


 書類自体は営業の予算で、私はあまり関係ないから、正直見てもわらかないのだけど「多分…大丈夫です」と言うと「良かった」と微笑んで去って行った。わざわざ机にこなくても、携帯でやりとりすればいいのに、とは思ったけれど、何だか内緒でやり取りするのは正直、楽しかった。

 仕事を片付け、帰ろうとした時、村岡さんに呼び止められた。


「営業の経理の仕事は私なんだけど?」と言われた。


 私は資材、その他の経理をしている。


「はい…」


「どうして中崎さんの資料チェックしてるわけ?」


 それは資料のチェックじゃなかったからとは言えない。うまい言い訳が出てこず、私は「ごめんなさい」と謝った。


「もし違ってたらどうするの? 謝って済む話じゃないよね?」


(確かにそれはそうだ)と私が俯いていると、中崎さんが「あ、ごめん。とう…。小森さんに資材の件で相談してたことがあって…。次のイベントで使う壁紙発注の会社を教えてほしくて。…っていうか、疑問があるなら、僕に聞いてくれない?」と入って来てくれた。


「それは…中崎さんの資料はいつも完璧だから…私が口を挟むことなくて…」


「うん? 小森さんは関係ないよね? ごめんね。嫌な思いさせて。帰ろう」と私の鞄を中崎さんが持つ。


「あ…。ごめんなさい」と私は村岡さんにとりあえず頭を下げて、中崎さんと会社を出ることにする。


 いろんな人が私たちを見ているが、もう一月で出向だから、と言い聞かせて、歩いた。


「十子ちゃん、ごめん。あの人、なんであぁなんだろう?」


「それは…中崎さんのこと好きだからじゃないですか?」


「え?」


「え? って…」と私は驚いたような顔をした中崎さんを見上げる。


「でも、あんな態度を他の人に取ってるのを見せるのは逆効果じゃないかなぁ」


「…かも知れませんけど」


 トイレで梶先輩との会話を聞いていて、逆上してしまったのかも知れない、と私はこっそり思った。駅まで黙って歩いていたけれど、突然、意を決したように中崎さんが言った。


「十子ちゃん。あのさ…。もう僕のこと…はいいから」


「え?」


 何を言ってるんだろうと思った。


「十子ちゃん、出向で忙しくなるし…。わざわざ遠いところまで行くのも…」


「いいんですか?」


「うん」と頷く。


「…でも私一人でも行きますよ」


「どうして?」


「…そこで待ってる人がいると思うんです」


「待ってる人…」


 中崎さんの妹…。きっと一緒に川で溺れて、そのままになっているはずだ。中崎さんはたまたまいた浮浪者の人に助けられたけれど、妹さんはきっとそのままだ。そして中崎さんは助けられたのにも関わらず、誰も親だと名乗り出なかった。親どころか、親戚すら現れず、全く存在を知られない子どもだった。それなら、妹さんは存在していない子どもになってしまう。存在していない子どもとしてこの先もずっと、誰にも思い出してもらえないなんて悲しすぎる、と私は思った。


「…だから行かなきゃ」と私は言った。


 ぶくぶくと沈んでいる。水草の多く、光は届いているのに、ずっとそこにいるはずだから。

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