第62話
代用品
中崎さんの部屋で早速、おでんとピザまんを食べた。中崎さんはおでんとおにぎりを食べていた。
「おにぎりくらいなら作れるんですけど…」と私が言うと「今からお米を炊くのは大変だから」と中崎さんが遠慮した。
手際の悪い私だから、さらに時間がかかりそうだ。
「十子ちゃん、明日は帰るの?」
「流石に帰ります」
「もうここから通ったらいいのに」と中崎さんに言われて、驚く。
「…どうして…ですか?」
「それは…通勤が大変だと思うし…」と歯切れ悪く言う。
じっと見られると心臓がドキドキしてしまう。
「本気にしますよ?」と冗談っぽく言ってみる。
「一緒にいたいって言ったら、いてくれる?」と真剣に見つめられて、私は言葉がうまく発せれなくなる。
「…え? あ…」
「ごめん」
また謝られた。
「あの…中崎さんは私のこと好きだから、一緒にいたいって言ってくれたんですか?」
「…そうだけど、軽率だった」
「いいですよ。軽率でも」と私は言った。
私だって、中崎さんと一緒にいられる時間が貴重に思えるから。出向を決めてから、私は周りを気にしなくなったし、したいことをしようと思えるようになった。
「え? でも…」
「だって、中崎さん、私のこと、ちょろいって言ったでしょ? ちょろいから…。好きな人にそんなこと言われて、断れないです」
それに中崎さんは手を出してこない。安心して隣にいられる、と私は思った。
「…十子ちゃん。ごめん」
「もう。これ以上ごめんって言ったら、今から帰りますからね」と私は立ち上がった。
「分かった…。ありがとう」
「じゃあ、シャワーお借りしますね」と私は洗面所に行った。
私は大胆になっている自分に驚いた。ただこのまま一緒にいて、すごく好きになって、忘れられるのか分からない。きっと後から苦しくなるけど、今は一緒にいたいと思うのだから、仕方ない。
「中崎さんのこと、好き」と呟いた。
言葉にしたら、本当に気持ちが戻れなくなる。ごしごし体を洗って、洗髪もする。シャワーを浴びて、泡と一緒にこの気持ちが流れてしまえばいいのに、と思ったけれど、どうにもならずにリビングに戻る。
「中崎さん、お先です」と言うと、中崎さんはお水をコップに入れてくれた。
ちょっと悪戯してみようと思って「ありがとう、透馬さん」と言ってみた。
言った私が恥ずかしくなったけれど、中崎さんも瞬時に固まった。
「十子ちゃん…」
「あ、調子に乗りました」
「もう一回言って」
「え?」
改めて言われると恥ずかしくて、言いにくくなる。
「じゃあ、ドライヤーしてくれたら、言います」とさらに調子に乗ったことを言う。
「分かった」
中崎さんの大きな手が優しくドライヤーかけてくれるので、気持ちよくて眠気が出てきた。
「透馬さん、ありがとうです」と私は約束を守って言ってみたが、中崎さんはまた固まった。
そして無言でそのままシャワーに行った。
その間、私はテレビを見ていた。トラちゃんが横にきて、一緒にテレビを見ていたのだけれど、いつしか眠ってしまっていた。
「トーコ、元気ないの?」と人間の姿のトラちゃんが夢の中に出てきた。
「ううん。ちょっと、悲しくて、素敵な結婚式に参加したから…」
「ふーん。トーマはいつもトーコのこと心配しているよ」
「そっか…。でも後は…中崎さんのことだけだから…。それでトラちゃんともお別れだね。私、遠くに行くの」
「知ってる」
「じゃあ、そこで素敵な人と出会うと思う?」と私は欲張って聞いてみた。
トラちゃんは少し宙を見て頷いた。
「会えると思うよ」
「ほんと?」
「うん。トーコは…きっと今いる場所より幸せになれると思う」とトラちゃんが言ってくれる。
「そっかぁ。じゃあ、頑張らないとね」
「うん。そうそう。頑張って」
「中崎さんのことも頑張って…頑張って…解決しても大丈夫?」
「さあ? でも…トーマが知りたいって言ってたんでしょ? トーマがどうなるかは…僕には分からないけど…。でも…僕は知らないことがあってもいいとは思うけどね」
「…そう…」
「一つ知ったら、さらに知りたくなってしまう。どんどん自分の不幸を探すことになったら? ねぇ、過去なんて変わらないのに、どうして知りたいの? 過去を知ってさ、未来が良くなると思う?」
私はトラちゃんの鼻をそっと指で撫でた。
「知らないままだと、きっと前に進めないんだと思うよ」
「あぁ、そっか。ずっと…。そうか」とトラちゃんは不思議なことを言って、顔を手で擦る。
猫になって、私の手に顔を擦り付ける。トラちゃんはもうそれ以上喋るつもりがないのか、猫の姿のままだった。
「十子ちゃん、風邪ひくよ」と中崎さんの声で目が覚めた。
「あ…。寝てました」と口元を手の甲でよだれがついていないか確認した。
「ベッドで寝て」
「透馬さんも一緒?」と私は寝ぼけて聞いた。
「…うん」
「あ…はい」と私は立ち上がったら、抱えられてベッドまで運ばれた。
そっとベッドの上に置かれて「おやすみ」と言われる。
「透馬さんも…おやすみなさい」
私は固まっている中崎さんをベッドの中に引き入れた。絶対、手を出さないって分かってるから、私は腕を引っ張ってベッドの中に誘う。そして一緒に横になって、目を閉じた。しばらくすると、中崎さんの腕が伸びで私の体を抱きしめた。それは少しも怖くなかったし、なんなら何かから守るような形に思えた。
「好き」
私はそう言って、意識を離した。
中崎さんが私をぎゅっと抱き枕のように抱えて眠る。もしかして…私は、中崎さんの妹の代わりかもしれない。そう思いながら、深い意識の下へと潜って行った。
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