第57話

私の癒が欲しい



 二人でまた実家に来るなんて…としみじみ感慨深い。あれから一週間しか経っていないという。ものすごく濃い時間だった。

 

 もう幽霊なんて見なくていいな、と思った。見えないなら、見えない方がいい。


 色々あって、帰るのが遅くなったから、玄関先でお母さんは「もううちの子は不良になったかと思ったわ。お布団、中崎さんの横に敷いておいたらいい?」と言ってきた。


「お母さん」


「冗談よぅ。そんなことするわけないでしょう? お父さんもいるのに」


 お父さんいなかったら、するのだろうか、と首を傾げる。


 お父さんが後ろから首を出して「一週間続いたな…。チャートを増やさないと」と言い出した。


 続くも何も始まってない、と私は言いたかったが、疲れがどっと出て、早くお風呂に入って眠りたかった。


「十子ちゃん、コンビニでアイス買わない?」


 きらきらの笑顔で言われたら、多少の無理をしてでも付き合わなければいけない気がした。


「あらあら。アイス買うの? 私の分もお願い。私はチョコレート」とお母さんが言う。


「お父さんも一緒のでいいから」と厚かましく言ってくる。


「もう」と私が怒ろうとしたら、中崎さんが私の手を取って「行ってきます」と言って玄関を出る。


「中崎さん。ちょっと」


「ごめん。なんか恥ずかしくて」


「え? こっちの方が恥ずかしいです。我が家の両親が変なのも恥ずかしいですけど」


「変じゃないよ。楽しい家族だね」


「まぁ、どっちかっていうと、楽しい部類に入ると思いますけど」


「十子ちゃん…。お疲れ様」


 そう言われて、今日のことがどっと思い出される。


「あんな人、本当にいるんだ…」


「どうしてあんな人と付き合ったんだろうね」


「本当に人生は不公平だと思いませんか。紗奈さんみたいな人がクズと付き合って、私は誰とも付き合えないし…。っていうか、私、当分、誰とも付き合いたいって思えなくなりました。ちょっとしたトラウマです」


「え? どうかした?」


「だって…」と言って私は口を閉じる。


 あの映像のせいで軽くトラウマになっているのだ。思い出しても吐きそうになる。こんなんじゃ、誰ともセックスなんてできそうにない。


「そういえば気分悪そうだったけど…」


「あ…」


「もう大丈夫?」と顔を覗き込まれる。


「…はい。中崎さん、私、一人で生きる道も探ろうかと思います」


 すぐ先にコンビニの灯りが見える。


「一人で?」


 今日の疲れがどっと出て、私はなんだか心が温かくなるものが食べたくなった。アイスではない。


「コンビニでカップラーメン食べていいですか?」


「え?」


「中崎さんは食べなくていいんで」


「家で食べないの?」


「家…だって、落ち着かないから」と言うと、中崎さんは笑った。


 あの二人が色々話しかけてくるのが本当に今日は疲れてしまって無理だった。ただ心が少し暖かくなりたくて、お腹も少し空いていて、カップラーメンの小さいのを食べたくなった。


「十子ちゃん。夜に…そんなもの…」


「分かってます。ニキビもできるけど。だって…それ以上の癒しがないんですから」


 こういう時に、ペットがいたらな、と思う。黙ってそばにいてくれるペットがいたらどれだけいいだろう、と思えるのだ。

 そう思って中崎さんを見上げたら、突然抱きしめられて私は癒しどころではなくなった。


「今日はよく頑張ったね。お疲れ様」


 そう言って、強く抱きしめてくれる。私は理由なく涙が溢れていた。確かに疲労が限界を超えていた。今日一日でいろんなことが起こりすぎた。もう何にも考えたくない。こうして温かいものに包まれて、ぼんやりしてたい。


「私だけじゃないですけど…。みなさん…頑張りましたけど…。私にとって今日は…すごく…いろんなことがあって」


「うん」と相槌を売ってくれる声が中崎さんの腕で耳を塞がれてくぐもって聞こえる。


「本当は今すぐ眠りたいのに…お母さんもお父さんも…元気だし」


「うん」


(あ、だめだ。こんなにあったかいと立ったまま寝ちゃいそう)と私は思って、身を捩った。


「十子ちゃん?」


「眠たいです。急に…温められて」と言うと、中崎さんは笑って、しゃがみ込む。


「どうしたんですか?」


「おんぶしてあげる。家まですぐだから」


「え?」


「ほら。これでラーメンいらなくなったでしょ」と広い背中をアピールしてくる。


 その背中が魅力的で私は素直におんぶされることにした。イケメンにおんぶされることなんてきっとこの先、もうないだろうから、と思って。広い背中は暖かくて、私はそのまま意識を失っていた。


 朝、目を覚ましたら、私は中崎さんために用意された布団に寝かされ、そしてその横に別の布団で中崎さんが横にいる。


「おはよう」と携帯を見ていた中崎さんが微笑む。


「…あ…れ」


「家まで着いた時には寝ちゃって。…二階に上ろうとしたら、止められちゃって」と笑い出す。


 どうやら私は両親によって、一階に寝るように言われて、布団の上に横たわせさせられ、母の手で着替えさせられ、化粧まで落とされて「すみませんが」とその横に布団を敷かれたらしい。中崎さんはソファで寝ますと言ったのに「間違いがあっても、こちらは追求しませんから」と母が頭を下げるので、従ったと言う。

 起きない私も悪かったけれど…、と思わず顔が赤くなる。


「あ、ごめんなさい。本当に疲れてて…。顔、洗ってきます」


「十子ちゃん…。僕のことは…もういいよ」と優しい声で言う。


「え?」


「あんな辛そうな十子ちゃん、見たくないから。梶先輩のことだから、きっと止めても聞かないだろうと思ったから黙ってたけど」


「いえ。あれは…。大丈夫です」


「いいよ。過去のことを知って、僕はただ安心したかっただけで…。そんなことのためにって」


 中崎さんはスマホを閉じて、私を見た。


「今だって…そんなに疲れてるのに…。かわいそうで…」


(あ、寝起きの顔が最悪なんだな)と私は思った。


「あの…。中崎さんのことはきっちりしないと…。トラちゃんが帰れないみたいで」


「トラが?」


「はい。だから…。行きましょう。あの…ちょっと色々用意してくるので。ごめんなさい」と私は布団からノロノロと体を出す。


 二階へ上がり、多少の違和感を感じたが、特におかしい点もなく、着替えを用意して、風呂場に行くと、パンいちの男がいた。


「あー」と私は思わず叫んでしまった。


「おー。十子、彼氏ゲットおめでとう」


「なんでお兄ちゃんが帰ってきてるの?」


「いや、十子に彼氏ができたからって、ちょっと見に一泊二日で戻ってきた。昨日から待ってるのに遅い」と言った兄は絶対、さっき朝帰りしている。


「お兄ちゃん、いつ帰るの?」


「昼食べたら帰るよ。大学院生は忙しいんだ」


「じゃあなんで帰ってきたのよ」


「だから十子の」


「彼氏じゃないよ。職場の人だから」


「職場の人がなんで家に来るんだよ」


「それはお母さんが…」


「ってか、俺、先、風呂入るから」と言ってパンツを華麗に脱いで先に入ってしまった。


「うーー」


 お兄ちゃんにはいつも出し抜かれる。でもお兄ちゃんの周りには牛しか見えないからまだ彼女はいないはずだ。


「もー」って言ってみたが、ちっとも嫌味が通じなかった。


 二階に上がった時に感じた違和感は兄だったのか…と思っていると、着替えた中崎さんがリビングに顔を出していた。


「あ、兄が帰ってきてたみたいで。なんか勘違いしてて…」


「勘違い…しちゃうよね」


 兄妹喧嘩丸聞こえしてたみたいで、恥ずかしかった。

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