第48話

身体目当て


 たらこパスタはいたって簡単。

 フライパンにニンニクを細切れにして、オリーブオイルで香りが出るまで炒める。パスタは海の塩分量の塩水と言いたいところだけれど、たらこの塩気を鑑みて、塩分少なめのお湯にオリーブオイルを入れて、茹でる。茹で上がったパスタを先ほどのフライパンに入れて、白ワインをふりかけて、アルコールを飛ばして火を止める。そしてそこにたらこを投入。余熱でいい具合に半生になって、出来上がり。


 ということを私が説明して、中崎さんが全部してくれた。


「これ、簡単で美味しくていいね」と中崎さんが言ってくれる。


 私が泣いていたからというわけではなく、何だかおぼつかない手つきを見て、代わってくれたのだと思う。テーブルには切っただけのレタスの上にローストビーフが乗せられて、たらこパスタに、ガラスの器には洋梨がカットされて蜂蜜がかけられていた。


「すごい豪華な…」と私は口を開けて驚いた。


 シンプルなたらこパスタがすごく豪華なディナーに早変わりしている。


「さ、食べよう」と中崎さんはビールを取り出してくる。


「いただきまーす」と私は喜んで手を合わせた。


 中崎さんは私が出向リストに入れられていることを心配してくれた。仕事のことは正直、どう考えていいのか分からない。


「中崎さんは結婚されないって決められてますけど、もし奥さんになる人がいたら、働いて欲しいですか?」


「うーん。どっちでもいいけど…。もし子育てに時間を使いたいって言ってくれるなら、それでもいいし、働きたいって言うなら…いいと思うけど。僕は…育ての親の奥さんの方は働いてたから。共働きにも違和感ないけどね。…二人に子供がなかなかできなくて…。できたんだけど流産したって。それでもし生まれてたら僕と同じ歳だっていうので、引き取ってくれて。大切にしてくれたから。家にいてくれてなくても…別に…」と言う。


「…そうなんですね」


 とても優しくしてくれたと言っていたが、記憶を失った中崎さんは誰かの代わりとして愛された。それはとても苦しかったんじゃないだろうか、と思う。


「十子ちゃんは?」


「私はもし結婚できて、子供ができたら、ずっとべったりしたいです」と言って、何だか恥ずかしくなった。


「恋人とか…っていうより、子供が欲しいの?」


「…うーん。そう…ですね。確かに…恋人って…。私のこと好きになってくれる人っていうのが分からなくて。友達もいなくて…。恋人も…きっと私のこと、気味悪くなったりすると思うし。でも子供は…そんな私でも受け入れてくれるんじゃないかなって。あれ? なんか、すごくわがままなこと言ってますね。すごく誰かに愛されたいって、ずっと思ってて」


「でもご両親に愛されてると思うけど」


 中崎さんにしたら私はすごく贅沢な人間に見えるのだろう。


「そう…ですね」


「僕も…愛って、よく分からないけど」


 失った子の代わりに育てられた…。その彼に向けられた愛情は純粋に彼への想いか、それとも亡くなった子供への想いか…複雑だろう。きっと育ての親の中崎さんだって曖昧なのかも知れない。


「子供が欲しいっていうだけで結婚しようなんて…。こんな…私、婚活しても誰もマッチングしてくれませんよね」


「いや…なんか…身体目当ての人とマッチングしそうだけどね」


「身体目当て?」


 一瞬、私は固まった。中崎さんは何事もないように、たらこスパゲッティをフォークに巻き付ける。婚活で身体目当て…と考えに至らなかった。


「既婚者が遊びで入会していることもあるみたいだし」とスパゲッティを口に入れる前に言う。


「既婚者が遊びで?」


「…そういうこともあるみたいだよ」と言ってビールを飲む。


 ごくっと音がして、中崎さんの喉仏が上下したのを「かっこいい」と眺めつつ、別枠で震えた。マッチングアプリは幾多の恋愛経験上級レベルの人たちが蠢いている…と思うと、私は怖くなった。


「それに、勤め先だって、住所だって、嘘ついてたって、調べようがないし…。十子ちゃんにはちょっとおすすめできない気がしてて」


 私は上下に首を何度も振る。


「ネット婚活は…辞めた方がいいと思うけど」と中崎さんがローストビーフを小さく切って、差し出してくれる。


 そのフォークの先をパクッと食いついて、頷いた。ちょっと心なしか笑われたような気がしたけれど、すぐに真面目な顔に戻った。


「まぁ…。チャット一回してみたら分かるよ。男って、セックスできたらそれでいいって思ってるのが集まってるから」


「セ…できたら…それで」と呟いて…私はキスで大騒ぎしているのに、遠い世界のように思えた。


「ごめん、ごめん。怖がらせて」


 そう言われたけれど、私は大分、拗らせてしまった。顔も見えないうちから、身体目当てで、できたらそれでいいと思っている男性をうまく扱えるわけがない。


「十子ちゃんは可愛いから、ちゃんとした人と付き合って欲しい」


「…じゃあ、私も一生独身組でお願いします」


 私の婚活路線はさくっと変更された。


「じゃあ、独身者同士、楽しくやろう」と乾杯することになった。


 食べ終わって、片付けはせめて私が頑張った。料理も本当は私が頑張れたらよかったのだけど、と思いながらお皿を濯いでいると、コーヒーのいい匂いがしてきた。


「十子ちゃん、コーヒー飲む?」


「あ…でももう…帰らないと」と時計を見たら九時を回っていた。


「じゃあ、送ろう」と立ち上がってくれるけど、送っていったら、行って、帰ってくるのに二時間かかる。

 

「大丈夫です。一人で帰れます」


「夜だし、送るよ」


「そんな、駅からも近いし」と言って、慌てて濯ぎ終わる。


「十子ちゃん…」と言われた瞬間、足元がふわふわと暖かい感触がする。


「あ…」


 トラちゃんが足元に戯れてきて、帰るのを阻止している。


「…でも」と私は呟いたが「にゃーん」と鳴いた。


「え?」と中崎さんが私を見た。


「聞こえました?」


「鳴き声…した…け…ど」


 真っ青な中崎さんの顔を見て、私はため息をついた。今夜も家に帰れない。不良娘をお許しください。

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