第15話
愛されたい
乗り換え駅で「じゃあ、ここから別々に行こうか?」と中崎さんは気を聞かせてくれた。
「はい」と私はほっとしたような気持ちで返事をすると、「また後でね。十子ちゃん」と耳の側で言われたので、思わず顔を上げると、もう背中を見せていた。同じ電車に乗り込むのに、少しホームを歩いているだけで、すぐに会社の女子社員に見つかったようで「中崎さーん。おはようございます」と言われていた。
やっぱりイケメンオーラはすごい。こんなに人が多くても輝いて見える。私は満員電車に押し込まれて人の波で溺れそうだった。
「はぁ。本当に梶先輩のように近くで暮らしたい」と心の中で呟いた。
私は背が低いので、もちろん埋もれてしまうのだけれど、満員電車何より息苦しい。匂いがきつい人なんかの近くだと本気で気分が悪くなる。ちびでも痴漢に会うこともある。一人暮らししたいけれど、なかなかお給料的にも厳しい。梶先輩は営業手当がつくからと言ってはいたが、生活するだけで大変だと思う。二人で働いて一緒に住めばまぁあぁ先の見通しも立つだろうと思うと、さっさと相手を見つけて、結婚、あるいは同棲したい。
その前に誰か好きになる人を探さなければ…と携帯を窮屈な中で取り出す。
「あ…。ゲームのイベント全然できてない」
もう時間的に追いかけても勝ち目はなかった。最近、色々あったからなぁ…と思い、女の子はどうなるんだろう、と心配になる。
そんなことを考えて、ようやく最寄駅に着いた。
「はああ」と息を思いきり吐き出す。
毎日、命懸けで会社に通っているような気がしている。
午前中もランチもおひとり様で気楽に過ごせた。携帯のゲームを今更するつもりはなかったので、持て余した時間、あの女の子の事故の記事をネットで探した。離婚調停中、父親が娘を実家に連れ帰って、大人の目がない時に家からいなくなった…と言うことが書かれていた。
「お母さんに会いに家に戻ったのかな」と思いながら、もっと何か手がかりはないか、SNSで事故現場を検索してみる。
誰か女の子の知り合いの人が何か情報を発信していないだろうか、とチェックする。
「私の娘のクラスメイトが事故で亡くなって…」と書いた人がいた。
この人にDMを送ったところで、驚かれるだろう…と思いながら、その人のSNSを探る。住んでいる場所を割とオープンに書いている。どこどこのカフェに行った。近所のスーパーの情報。休日の遊び場。そして子供の運動会。小学校の写真がちょっと写っている。場所特定ができそうだ。
どうやら私は探偵に向いているかもしれない、と思って、昼休憩を終える。
昼からの仕事も順調だった。私は隣の人にチョコサブレを頂くと言う幸運に巡り会えた。最近、入ってきた隣の人はパートの美人人妻で、誰ともつるんでいなかった。だから私も挨拶や仕事のことくらいでそんなに付き合いがなかった。
「ありがとうございます」
「いいえ。よかったらどうぞ」
「手作りですか?」
「うふふ。そうなの。子供と一緒に作ったから」
頂いたサブレは後で食べようと机の端に置いておいた。今日は残業になるかもしれないので、その時のために取っておく。
「後で頂きますね」と言って、仕事にかかった。
今日は順調に終わりそうだと思っていると、隣のパートの人が「お先です」と声をかけてくれた。
「お疲れ様です」と私は時計を見た。
定時の五時だった。後少し、三十分くらいで仕事が終わるだろうか、と思って片付けていると、目の端にサブレが写った。手を伸ばそうとしたら、
「あ、美味しそう」と横から吉永さんが手にした。
「あ」と思ったが、別にいいか…と思っている間に「昼食べてないんだよね。もらっていい?」と言われる。
「どうぞ」と私は他にも何か食べれるものはないかと机を探る。
その瞬間、「何…これ」と吉永さんが私にサブレを見せた。
齧ったところから長い髪の毛が数本垂れていた。
「え?」
「これ、小森さんが作ったの?」
「隣の…パートさんが。…お子さんと作ったって言ってたから混入しちゃったのかな」と言いながら、私は何だか気持ち悪くなった。
吉永さんはティシュを口につけて、中のものを出している。
「…でも…そんなに毛が…抜けるか?」
「…さぁ」と言ってみたものの、私はなんとも言えない不気味さを感じる。
「捨ててくるわ」と吉永さんがそう言って、出て行った。
故意的に髪の毛を入れたサブレをどうして私にくれたのだろうか。他の人ももらっているのだろうか。でも騒いでいる人はいなかった。私は周りの人の机をちょっと見た。サブレを置いている人はいない。引き出しに入れている人もいるかもしれないが…、ここで聞き回って、何かの間違いだと大事になる。
(明日、直接聞こう)と私は決心して、帰る準備を始めた。
「お疲れ様です。小森さん」と中崎さんが言ってくれる。
ちょうど外回りから帰ってきたのだろう。
「お腹ぺこぺこで…これから帰るの?」
数分違いで中崎さんはサブレを口にせずに済んだ…、という事実に私はさすがイケメンは守られていると思った。
「はい…。もう帰ります」
「じゃあ、夜食…付き合ってよ。すぐだから」
(いや、帰りたい)と思っていると、吉永さんがまた私のところに来た。
「俺も何か食べたい。気持ち悪すぎる」と口をすすいで来たようだった。
「小森さんのせいだから、付き合って」
「私?」と驚いて聞き返すと、本当に気持ち悪そうな顔で吉永さんが頷いた。
梶先輩もいないかとキョロキョロしてみたが、近くにはいなかった。仕方なく、私は二人と一緒に会社を出る。中崎さんのシスターズは大人しくしている。母の言ったことが一応守られているようだった。
すぐ近くのコーヒーショップで簡単なパスタ料理が食べれるので、二人は食べていたが、私は軽いショックだったので、飲み物だけにした。
「十子ちゃん、どうしたの?」と中崎さんが聞くので、吉永さんが「十子ちゃん?」と聞き返した。
「あ、昨日、実家に泊めてもらったんだ」とあっさり告白するので、吉永さんが驚いた顔をする。
「えっと…偶然会って…母が…なんか強引に…」としどろもどろ言い訳をした。
「へぇ…」と驚いたような感じで息を吐いたが、吉永さんは吉永さんでさっきのサブレのことを話したくて仕方なかったようだった。
食べたサブレに髪の毛が数本入っていたことを中崎さんに話している。私はそれを聞きながら、ずっとどうして私に美人人妻が私に渡したのかが気になっていた。別に何かあったわけじゃない。
「私…恨まれてる…のかな?」と二人に聞いてみた。
「いや、何かしたの?」と中崎さんが遠慮がちに聞いてくれた。
「してません。挨拶と…それから仕事の内容くらいで…」
「…子供と作ったからって…一つのサブレに髪の毛を数本混入させるなんて…な。でもまぁ、数本っていうのが言い逃れできる量だよな。しかも子供と作ったって…。自分は気づかなかったって言えるし」と吉沢さんは顎を手の甲でこする。
そう言われると、なかなかの策士と言える。
「思い当たる原因が全くなくて…」
「そっか。何か会話した記憶は?」と中崎さんが私の顔を覗き込んだ。
「会話? 初めまして。小森十子です。よろしくお願いします…ぐらいかな。向こうも…名前を言って…それから、『おいくつ?』くらい聞かれて答えましたけど…」
「ふーん。全く持って普通だな」と吉永さんはため息をつく。
ただ少し、ほんの僅かだが、『おいくつ』という質問に答えた時、一瞬、間があったのを思い出した。しかしそれは私が年齢と想像とは違っていたからかな、と思った。私は二十五歳だが、見た目が幼いから、若くは見られた。そのギャップかもしれない。
「十子ちゃん、大丈夫?」
「あ…はい。明日、直接、聞いてみます」
「え?」「え?」と二人は同時に言った。
「きっと…何かの間違いだと思うから…」
そして私は二人にお暇を告げて店を出た。一体、なんだったんだろう、と私は空を見上げる。努力しても何をしなくても恨まれるなんて…。ついてないとしか言いようがない。
家に帰る道で、私は鮮烈に誰かに愛されたい、と思った。中崎さんみたいにみんなに愛される人になってみたい、と強く願った。
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