第23話

猫探しにアテがあるわけではない。けれど、探さないとオロロンが帰られなくなってしまう。

もしかしたら途方もない時間が経ってしまうかもしれない。だが、燈は億劫だとは思わなかった。一ヶ月も必死に探していたオロロンと比べれば大したことないのだから。燈とウィルは、レイアスを中心に捜索する事にした。


「…ねぇ、オロロンって本当に鳥なの?」


レイアスに向かっている中、少し前を歩くウィルに尋ねる。


「鳥だよ」

「でも翼がないけれど…?」


オロロンの真っ黒な身体には翼が見当たらなかった。指も五本揃っていたし、どう見ても鳥ではない。……と言っても、他に思い当たる動物もいないのだが。


「腕に少しだけ羽が生えていたのを見たかい?彼の羽は退化してしまって、飛べなくなってしまったんだ」

「……そうなんだ」


ペンギンの類いだろうか。それなら何とか説明がつく。猫がいないかと辺りを探っていると、二人の目の前を白い猫が通り掛かった。


「君、タートンの家を知らないかい?」


ウィルが猫に声を掛ける。タートンとは手紙を渡す相手の名前。亀のお婆さんらしい。それにしてもいくら手詰まりだからといって喋るわけのない猫に話し掛けなくてもと燈が困惑していると、白猫がフン、と高慢に鼻を鳴らした。


「知らないな」


少年のような少し高い生意気な声。それは確実に猫から発せられたものだった。


「猫が喋った…!」


燈はギョッと目を見張る。すると白猫の金色の瞳が燈を睨んだ。


「何だぁこの人間? 猫が喋るのは常識だろう?」

「燈の世界の猫は喋らないんだね」


ウィルが耳元でコソリと囁いた。


「まぁ…ね」


ミレジカでは猫が喋るのは常識。やはり、ここの常識にはなかなか慣れない。ウィルは身体を屈めて白猫に微笑みかけた。


「猫の溜まり場に案内してくれない?」


どうやらウィルは猫の溜まり場に三毛猫がいるのではないかと推測したらしい。溜まり場にいなくても、猫に三毛猫の情報収集が出来る。

ウィルは抜けているところがあるが、頭の回転は早いようた。あてのない猫探しに希望が見えてきた…と一安心したのも束の間、白猫がハッと鼻で笑った。


「嫌だね。余所者を俺達のなわばりに入れるわけないじゃないか」

「頼むよ。猫を探しているんだ」


ウィルがお願いするが、白猫はなかなかうんと言わない。ウィルは笑ったまま黙り込んで燈を振り返った。どうやらお手上げらしい。プライドの高い猫が自分達の縄張りにそう易々と入れてくれるとは思えない。希望の光が一気に薄れた。うんと言わない猫に頼み込むより、地道に探した方がいいのかもしれない。


「ねぇ、ウィル……。地道に探した方が…」


燈がそう呟いた時だった。


「……ウィル?」


名前に反応した白猫が、耳をピクリと揺らした。


「お前があのウィルか…?」


先程まであんなに高慢な態度だったのに、ウィルの名前を聞いた途端、顔が強張った様な気がした。ピンと立っていた尻尾もダラリと下がる。


「どのウィルかは知らないけど、私はウィルだよ」


ウィルはにこやかに笑いながら答えた。


「そうか……お前が…」


言い掛けて、ウィルの顔を見て言葉を飲み込む。

背中しか見えない燈には、ウィルがどんな表情をしているかは見えなかった。白猫は酷く怯えた表情を浮かべて身体を縮ませ、小さな声で「悪かったよ…」と謝った。


「俺はレイアス出身だからあんたの事は名前しか知らなかったんだ。…分かった。あんたなら俺達の溜まり場に案内する」


それだけ言うと、白猫は背を向けて歩き出した。


「何だか……ウィルだから案内してもらえるみたいだね」


ウィルと白猫の間で何が起こったかなんて知るよしもない燈は、不思議に思いながらも言う。ウィルは「そうみたいだね」とニコリと笑うだけで、それ以上の事は言わなかった。

ウィルと分かった途端、手のひらを返したかのように白猫の態度が変わった。ウィルが相当な力を持っているようにしか見えなかった。


「ウィルって偉いの?」

「そんな事はないよ。ただ、あそこの上司だというだけ」


猫の姿を見つめながら、ウィルはのんびりと言う。あそことはあの紙に埋もれた職場。そこの社員はウィルを完全に舐めきっているように見えたが。

社員と住人。ウィルとの接し方が全く違うのはどうしてなのだろう。あの職場の上司だというだけなら、住人達は何とも思わないはずだ。


(なのに、何で……あの会社……あ。そういえば……)


「あの会社って名前とかないの?」


ウィル達が働く一室の名前。気に止めていなかったが、ウィル達の口から会社の名前を一度も聞いた事がなかった。


「名前? ……ああ、会社に? 燈の会社は名前があるみたいだけど…」

「私の世界では会社に名前が付いているのは常識なの」

「へぇ…そうなんだ」


ウィルの納得の仕方だと、ミレジカの会社に名前はついていないのだろう。


「名前、付けないの?」


ミレジカにどんな会社があって、どれくらいあるか分からないが、名前があった方が分かりやすいはずだ。ウィルは顎に手を当てた。


「うーん……。あ、じゃあ燈が付けてくれるかい?」

「え!!」

「そうだ。それがいいや。燈だったらいい案を出してくれそうだしね」


ウィルは爽やかな笑みを燈に向けた。そんな大役即効断りたい所だが、ウィルの期待に満ちた眼差しの前ではそんな事が出来ず……


「……か、考えておくよ」


燈はつい頷いてしまった。



✱✱✱✱✱



「ここだ」


白猫が連れてきた場所は家が並ぶ場所から少し外れた空き地だった。雑草は生え放題で、屋敷の手入れされた庭とは正反対だ。

そして猫の溜まり場というだけあって、そこには数十匹の猫がたむろしていた。燈とウィルが足を踏み入れた瞬間、猫達が一斉にこちらを見た。


「……おい、シロ。そいつらは何だ?」


この猫達のリーダーだと思われるトラ模様の猫が一歩前に出た。鋭い瞳が燈達を射抜く。燈は思わず息を飲んだ。


「魔法使いのウィルだ。…それと連れ」


白猫が尻尾を揺らしながら答える。その瞬間、猫達がざわめきだした。


「ウィル…?」「ウィルだって…?」


この猫達もウィルの名前に反応しているようだった。隣にいる燈には目もくれない。トラ模様の猫は驚きで目を見開いたが、やがて目をスウッと細めた。


「お前がウィルか。私はここのボスのトラだ。……こんな場所に何の用だ…?」

「猫を探していてね。ここにタートンの家を知っている三毛猫はいないかい?」


ウィルが微笑みながら尋ねると、猫達はこそこそと話始めた。


「それって…ミケの事じゃないか?」

「ああ、この前タートンの所でご馳走になったとか言っていたよな?」

「そのミケはここにいるかい?」


話していた猫に向かって話し掛けると猫は慌てて逃げてしまった。代わりにトラが口を開いた。


「今日は来ていないな。レイアスの城を見に行くとか言っていたが……」

「……レイアスの城?」


説明を求めようとウィルに視線を送る。視線に気付いたウィルは人差し指を立てた。


「レイアスには王の住む城があるんだ。…あと数日でパレードがあるみたいだから…。それの下見にでも行ったのかな?」


「へぇ…! お城でパレードがあるの? 行ってみたいなぁ…!」


お城があるのに驚いたが、パレードというフレーズに酷く惹かれた。燈の脳裏では、某テーマパークのパレードが華やかに行われていた。燈の輝かしい笑顔を見て、ウィルは思わずクスリと笑みを溢した。


「そう? じゃあその日になったら連れていってあげる」

「本当? ありがとう!」


王様のパレードだから、あのテーマパークよりも派手で華やかなのだろう。燈は飛び跳ねんばかりに喜んだ。……その様子を見て、猫達がまたざわめいたのに、燈は気付く事が出来なかった。



「じゃあレイアスの城に行こうか」

「………うん!」


いつものようにウィルの手を取る。本当は歩く体力なんてほとんど残っていないのだが、我が儘なんて言えない。勘づかれないよう、笑みを張り付けた。


「………」


ウィルは微笑み返す。……が、突然燈の手を離した。


「……え?」


手の温もりが突然消え、燈は戸惑う。ウィルの方から手を離すのは初めてだった。言い知れぬ不安に、燈はウィルを見上げる。何処から取り出したのか、ウィルは灰色の手帳に目を通していて「ああ、これか」と呟いてから、その細長い指をパチンと鳴らした。


「うわわっ…!」


その瞬間、燈の視界がぐんぐんと下がっていく。自分の身体が縮まる気持ちの悪い感覚。これは……モウのネックレスを取りに行く時、ウィルが小さくなる魔法をかけた時と一緒だった。燈はあの時のように小さくなっていた。


「ウィル!突然何を…!」


遥か上にいるウィルに抗議をする。突然小さくされて、怒らない人なんていないだろう。……まぁ、そんな体験普通に生きていたら絶対しないだろうが。

憤っていると、ウィルは手帳を懐にしまってから身体を屈めて小さな燈に手を差し出した。


「疲れただろう。私の肩に乗るといいよ」

「……え?」


一瞬何を言われたのか分からず、思わず目をパチクリとさせる燈。


「燈は分かりやすいな。疲れたなら疲れたってはっきりと言えばいいのに」


そう言われて、ウィルが燈の為を思って魔法をかけたのだとやっと気付いた。何も考えずにムッとしてしまった自分が恥ずかしくなってしまった。


「ありがとう……」


顔を赤らめながらボソリと呟く。声量も小さくなってしまったので、聞こえないかもしれないかと思ったが、ウィルには伝わったようだった。


「どういたしまして」


手に乗った燈を壊れ物を扱うかのように優しく自分の肩に移動させる。ウィルの肩はとても座り心地が良かった。……が、すぐ近くに顔があるので、何だか落ち着かない。


「……じゃあ、レイアスの城に行こうか」


ウィルは踵を返して歩き出す。彼が数歩歩いてから、燈は思い出したかのように慌てて振り返った。


「…あ、猫さん達ありがとうね!」


猫は二人をじぃと見つめたまま、何も言わなかった。



「……信じられない」


ウィルと燈がいなくなってから、ある猫がポツリと呟いた。


「……魔女に“心”を奪われたはずなのに、あの娘には……」

「あの……親を売った冷酷な魔法使いが……」


猫達のざわめきは、しばらく消える事はなかった。

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