第17話
上司であるはずのウィルは全く助けてくれようとしない。他の対策も浮かばない。願いを叶えに来てから数分で八方塞がりの状態になってしまった。その空気を察知したのだろうか。お尻しか出ていない依頼主が遠慮がちに口を開いた。
「もし無理ならおいらの落とし物を取ってくれないかなぁ……」
「……落し物?」
聞き返すと、依頼主は「そうだぁ」と言って尻尾をぐるぐると回した。
「お母さんの形見なんだぁ。綺麗なネックレス…。三日月の形をしているんだぁ」
ネックレス。燈は思わず自分の鎖骨辺りに手を当てた。いつも服の下に隠しているが、燈は大切にしているネックレスがある。蒼い石が埋め込まれた綺麗なネックレス。それはいつ、誰から貰ったか全く覚えていない。けれど、燈はこのネックレスを大切にしていた。小さい頃、お母さんから貰って大切にしているのかもしれない。覚えはないが、きっとそんな所なのだろうと燈は思っていた。
依頼主の動き回っていた尻尾が突然へにゃりと元気を無くした。
「あれはおいらの一番大切な物なんだぁ……せめて、あのネックレスだけでもおいらの手元に戻して欲しいんだぁ…」
「そんなに大切な物なんだ……」
母親の形見なんて、とても大切な物だ。他に代えが無い、依頼主にとってはかけがえのない宝物。
「よし」と自分を奮い立たせた燈は、ぼうっとしているウィルの腕あたりを軽く叩いた。
「ねぇ、ウィル。私を小さくする事出来る?」
「出来るよ」
「お願い!私を小さくして!」
もしかしたら断られるかもしれない…と思ったが、ウィルは「いいよ」とすんなり快諾した。ウィルの指がパチンと鳴ると、燈の視界がどんどんと下に下がり、ウィルの顔がどんどんと遠ざかって行く。自分でお願いしたのはいいものの、自分の身体が縮むという現象に酷く戸惑う。
建物が、ウィルが、全てが大きくなり。燈がどんどん小さくなっていく。視線がウィルの脛あたりになった所で……燈の身体は縮むのを止めた。
周りの景色が大きくなり、地面がごく近くにある。ウィルの顔は遥か遠くにあり、見上げても全く見えなかった。
「随分小さくなったね」
自分で魔法をかけたのに、まるで他人事のように言う。ウィルはその場にしゃがみこんだ。見えなかった顔がやっと見える。その表情はいつものようににこやかだった。後ろを振り返ると、何倍も大きくなった依頼主の尻。
「何が起きたんだぁ?」
挟まってしまっているので、何が起きているか分からない依頼主は足をパタパタとばたつかせた。
「私が小さくなったの。今からネックレスを取りに行くね」
「おおお…よく分からないけど、お願いだぁ…」
あんなに狭いと思っていた隙間は、今の燈には余裕で入れる。少々薄暗い道が、目の前に広がっている。
「気を付けてね」
「うん…」
背後から後押しされ、燈は薄暗い道に身体を入れた。依頼主の大きな身体が真上にあるので、妙に圧迫感がある。燈は小走りで大きなトンネルを抜けた。
後ろを振り返ると、依頼主の顔が見えた。大きすぎて視界に入りきらなかったが、白い身体に黒の斑模様があり、大きな鼻には金色に輝く鼻輪がはめられていた。それは正しく牛の姿。
依頼主の顔はライジル達のように人間の姿をしておらず、牛そのままだ。牛の依頼主はピチピチの青いTシャツを着ていた。
牛が僅かに顔を動かして燈を見下ろしてきたので、つぶらな瞳と目が合う。燈の姿を見て、牛は「なるほどぉ」と頷いた。
「君は妖精だったのかぁ」
そう言われ、初日に見た蝶のような羽を持つ小さな人を思い出した。どうやら燈の大きさで判断したらしい。燈は首を左右に振った。
「ううん、人間だよ。」
「んん? おいらの記憶だと、こんなにちっちゃい人間はいないなぁ」
「ウィルの魔法で小さくしてもらったの」
「……ウィル?」
「それよりネックレスを探さないと!」
話している暇はない。そう思い、燈は話を中断して辺りを見回す。ネックレスを見つけるのに時間はかからなかった。目の前にキラリと輝く金色の鎖。鎖の先には黄金色の三日月。
「あった……!」
燈はそれに駆け寄った。今の燈には、三日月は自分の身長の半分くらいあった。試しに持ち上げてみる。
「う…重い…!」
予想以上に重く、燈はすぐに手放してしまった。
「大丈夫かいぃ?」
上から牛の心配そうな声が降ってくる。
「大丈夫!」
燈は力強く言うと、ネックレスに向き直った。
(持ち上げるのが駄目なら…!)
燈は鎖を持ち、それを自分の腰に巻き付けた。
引っ張ればいい。燈は鎖を持って勢いをつけて歩き出した。
「うう…ん!」
持ち上げられなかった三日月がようやく動き出した。地面に擦り付けながら三日月はゆっくりと動く。
まるでタイヤを引っ張る筋トレのようだ。体力に自信のない燈にはかなりの重労働。数メートル歩いただけで息は上がり、額に汗が滲む。
「だ、大丈夫かいぃ? 無理はしないでくれよぅ」
「大丈、夫!」
燈は力みながら笑ってみせた。きっとかなりひきつっていたに違いない。早く行かなくては。気持ちだけ焦っているのだが、身体がついていかない。少しくらい運動しておくんだった。燈は今まで全く運動をしていなかった事を後悔した。
一体どれくらいの時間を要したのだろう。牛のトンネルを抜け、やっと開けた場所に出た。
「つ、着いた!」
燈は額の汗を拭って思わずその場に膝から崩れ落ちた。
「おおお、あ、ありがとうぅ!」
牛の尻尾がブンブンと、勢いよく回る。喜びを表現しているようだ。
「本当に大切な物なんだぁ。ほ、本当によかったぁ。ありがとうなぁ」
牛は心からホッとしたような声を漏らした。このネックレスが、牛にとっていかに大切かよく分かった。
とりあえず良かったと安堵した燈は自分に巻き付いた鎖を外そうとする。
「あ、あれ?」
変に絡まってしまったようで、鎖をほどく事が出来ない。ほどけない鎖に四苦八苦していると、後ろから自分くらいの大きさの手が現れた。
「きゃ……」
突然だったので、思わず声を上げると、「私だよ」と背後から穏やかな声が聞こえた。
「頑張ったね。偉いよ」
その声に、燈は安心した。燈の、一ヶ月限定の仮上司の優しい声。ウィルは燈に絡まった鎖を指先で器用にほどいていく。あんなに絡まっていたのに、ウィルは容易く解き、燈から鎖を外した。振り返ると、ウィルはやはり優しく笑っていた。燈の胸が、大きく脈を打った。
「ありがとう…」
「どういたしまして」
赤い顔を見られまいと顔を逸らして礼を言う燈は変に見られたかもしれない。しかし、ウィルは全く気にしていなかった。
ウィルが指を鳴らすと、燈の身体はたちまち元の大きさに戻った。周りの景色が一気に小さくなり、視点も変わる。しゃがみこんで見下ろしていたウィルを、今度は燈が見下ろす形になった。ウィルの手には三日月のネックレスがしっかりと握られていた。
「さあ、これを渡しな」
「うん…」
壁の隙間には相変わらず大きなお尻が挟まっていた。渡すといっても、どうすればいいのだろうか。それに、この人の最初の願いはここから出して欲しいという事だった。
早くこの人を救出しないとだが、どうすればいいのか、悩んでいると、ウィルが一歩前に出た。
「依頼されたのと違うけど、ネックレスを取る願いを叶えた事だし、これは私が何とかしてあげるよ」
そう言ってパチンと指を鳴らす。その瞬間、牛の大きなお尻が風船のようにしぼんでいき、ポテン、と音を立てて地面に転がった。
「おおお、小さくなったぁ!」
牛が起き上がって自分の身体をまじまじと確認する。そして隙間から余裕で抜け出す事が出来た。
「おおお、抜け出せた!」
「これで一件落着だね」
ウィルは燈に向けて優雅に微笑んだ。何だかほとんどウィルのお陰で助かった気がするが気にしないでおこう。
「じゃあ戻してあげないと……」
「あ、やっぱりウィルじゃないかぁ!」
小さなままの牛が、ウィルを見上げながら短い手足をバタバタと動かした。
「あれ、ウィル知り合い?」
「まぁね。トナマリの人とは大体知り合いだよ。この獣人は牛のモウだよ」
牛のモウは燈に「よろしくなぁ」と挨拶をした。
「この子はどうしたんだいぃ? 女の子を連れているなんて珍しいじゃないかぁ」
「この子は一ヶ月うちで働くからね。上司の私が一緒にいないと」
「そうなのかぁ…。でも、意外だなぁ」
ウィルと話しながら、モウは燈の顔をまじまじと見つめた。
「他人に全く関心を示せないお前が、この子に手を貸すなんてなぁ…」
「……え?」
「ウィルは可愛そうな奴なんだぁ……。こいつは、昔魔女に」
「モウ」
酷く冷たい声。隣から聞こえてきたその声に、燈の身が強張った。
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