第29話

***


 目を開くと、アメリーはグルト城の庭園に立っていた。頭が上手く働かず、どうしてこんな所にいるのだろうとぼんやりと考える。庭園をゆっくり歩いていると、ふと違和感に気が付く。アメリーの部屋から見える、庭師のオウルが最近造ってくれた綺麗な花壇があるはずの場所には何も無くなっていた。疑問に思っていると、何処かで子供達のはしゃぐ声が聞こえた。

 聞き覚えのある声に、つられてそちらの方向へ行ってみると、そこには金髪をポニーテールにした五歳くらいの少女が同年代らしいスカイブルーの髪の少女と遊んでいた。金髪のポニーテールは過去の自分だと理解するのに、時間は掛からなかった。

 これは夢だ。遠い過去を映す、アメリーの夢。現在のアメリーは干渉する事無く、それを遠目から見ていた。幼い頃のアメリーとスカイブルーの髪の少女――センカは、楽しそうに追いかけっこをしていたが、誰かがこちらに歩いてくるのを感じ、同時に顔を向ける。そして、二人ともその表情は嬉しそうな笑顔でいっぱいになる。

「ナツメ!」

 幼いアメリーが笑顔で駆け寄った先には、一人の男が立っていた。センカと同じスカイブルーの髪。前髪を炎の紋様が描かれた白色のカチューシャで上げている。藍色の瞳は精悍で優しさを感じさせる。藍色のマントに身を包んではいたが、服装は軽装でとても王族が着るようなものではない。ナツメは歯を見せて笑ってアメリーの小さな身体を抱き上げた。

「おー、アメリー。元気にしていたか?」

「うん。ナツメ、またあれやって! あれ!」

「あはは、アメリーは本当に好きだなあ」

 そう言うと、ナツメは一度アメリーを下ろし、自分の片腕に掴まらせると、その場でぐるぐると回転した。ナツメの腕にぶら下がるアメリーはきゃあきゃあと嬉しそうに悲鳴を上げる。

 幼いセンカも羨ましく思ったようで、その場でぴょんぴょんと跳びながら自分をアピールする。

「兄様、私も、私も!」

「おお、センカもか。流石に一人じゃ無理だなあ。なあ、オトギ。お前も手伝ってくれよ」

 回転するのを止めたナツメが顔を向けた先には、まだ髪色がスカイブルーだったオトギが立っていた。今から十一年も前なので、十五歳の彼はやや幼さが残っている。オトギは腕を組んでこちらを見ていたが、兄に声を掛けられた途端不機嫌そうに顔を歪めてそっぽを向いた。

「……私は兄上程力もありませんので」

「うー、仕方がないな。じゃあ、二人とも! しっかり掴まっていろよ!」

 ナツメは右腕にアメリー、左腕にセンカを掴まらせると、またぐるぐると回転する。遠心力で身体が浮く感覚を味わいながら、楽しそうに声を上げた。

 楽しかった、幼き記憶。現在のアメリーはナツメの笑顔を見つめながら、複雑な気持ちになる。

「ねえ、ナツメ。どうしていなくなってしまったの?」

 その問いに、記憶の中のナツメが答える事は無かった。


***


 ガタン、と一際大きな衝撃が身体に伝わり、アメリーはハッと目を覚ました。

 自室ではない、窮屈な場所。意識を失う前に荷馬車に乗り込んでしまったのだと思い出す。床に眠りこんでしまったようで、身体のあちこちが痛んだ。どうやらかなり眠ってしまったらしい。

(――って、それってやばくない⁉)

 荷馬車は明らかに動いていた。行き先はググ村のはずだ。アメリーはすぐに立ち上がって足の踏み場も無いガタガタと動く荷馬車の中でよろけながらも出入り口まで辿り着き、覆っている革製の布を少し捲ってみる。そこに広がるのはグルト城門ではなく、木々に覆われた小道だった。

「ど、どうしよう……」

 アリソンの泣き顔が脳裏に浮かぶ。しかし、戻ろうにもここから徒歩では大分かかってしまうし、迂闊に飛び出す事も出来ない。

 アメリーは手に持っていた黒い魔石を顔の前に持って来る。元はと言えば、この魔石が勝手に動き出したから荷馬車に乗り込んでしまったのだ。突然の睡魔も、もしかしたらこの魔石のせいではないか。

「もう、何て事をしてくれるのかな」

 魔石は動きも喋りもしなかった。ただの無機物としてアメリーの手の平に収まっている。

 このまま降りてグランデルに誤って荷馬車に乗ってしまった事を伝えるべきかと悩んだが、また呆れられてしまいそうだ。不可抗力だったと言っても信じてもらえないだろう。

 どうしたものかと悩んでいると、荷馬車の速度が遅くなり、やがて動きが止まった。どうやら目的地へ到着したようだ。アメリーは慌てて荷馬車の隅へ隠れる。ここへいてもいつかはバレてしまうのだが、気持ちの問題だ。

 少しして、荷馬車の後ろを覆う布が捲られる音がした。恐らく御者あたりが荷物を下ろす為に入ってきたのだろう。アメリーは高く積まれた木箱の裏側に隠れていたが、入って来た空気の臭いに、思わず咳き込んでしまいそうになった。

 何かが焦げた臭い。そして――鉄の臭い。この臭いは、以前アメリーがリィに救ってもらった時に嗅いだものと同じ。

「……血の、臭い」

 むせかえるような血の臭い。これは魔物の血ではない。ググ村にいた人々の血だ。アメリーは隠れている事も忘れてゆっくりと立ち上がった。物資を外へ出そうとしていた御者は王女の姿に気が付き、ギョッと目を見開いた。

「あ、アメルシア王女⁉ どうしてこちらに……」

 御者を通り過ぎ、導かれるようにアメリーは外へと向かう。御者は制止をしたが、アメリーは荷馬車の中からググ村の様子を目の当たりにした。

 外は地獄だった。家々は倒壊し、全焼したものもある。綺麗に整えられていたであろう道は何かで削られたような痕もあり、赤黒い液体がこびりついている。そして時折見えるのは、生命を断たれたググ村の者達。老若男女問わず、血を流して倒れていた。死体は胸を一突きにされているものもあれば、首を落とされているものもある。母親と子供が共に槍で貫かれている死体もあり、直視する事に耐えきれなくなったアメリーは思わず目を逸らしてしまった。

 アメリーは以前ググ村へ来た時、彼らに会っている。リィに怯えた表情を見せていた彼らは、今は何も喋らない骸と化している。 じわりと涙が滲む。彼らにも平穏な日常があった。それなのに――何者かにより、一瞬で奪われてしまった。

これ程の凄惨な現場を見た事が無かったアメリーは、ショックのあまりその場でよろめいてしまう。そのまま尻餅をつきそうになってしまったのだが――寸でのところで誰かに腕を掴まれた為、地面に座り込む事は無かった。

「リィ……」

「アメ。大丈夫か」

 アメリーを掴んだのはリィだった。ここにアメリーがいる事に戸惑いを覚えているようで、少し困惑している。アメリーは健康的に焼けた顔をやや青くさせながら頷いたが、足に力が入らず、リィが手を離したら崩れ落ちてしまいそうだ。いつまで経っても自分の力で立とうとしないアメリーに、ようやく異変に気が付いたリィは、彼女の腰を軽々と持ち上げた。

「え、ちょ、ちょっとリィ……」

「…ここら辺は血で汚れているから、別の場所に座った方がいい」

 突然の事に動揺の声を上げたアメリーだったが、リィはそれに構わず移動し、近くにあった切り株の上に座らせた。アメリーはリィに礼を言ってから、自分の身体が震えている事に気が付く。リィは顔色の悪いアメリーが心配のようで、しゃがみ込んで彼女の顔を覗き込んでいる。

「アメ……どうしてここに」

「……この黒い魔石が、私をここへ連れて来たの。この魔石、勝手に動いて喋って……」

「……魔石が?」

 リィはアメリーの手から黒い魔石を取ると、目を凝らして中を覗き込んだ。その後に、以前国王リグルトに渡された自分の魔石を取り出し、並べてみる。黒い魔石と、リィの氷魔法を秘めた透明な魔石。リィの魔石の方が倍近く大きいのだが、色が真逆だ。並べた時、黒い魔石の中のどす黒い光が揺らいだような気がした。

「……色以外は、他の魔石とあまり変わらないように見える」

「うん……でも、本当なんだよ? 私、今回は行かないって決めていたし」

「うん。アメが嘘をつくとは思えないから信じる」

 リィは少しも疑う事無く頷いてくれた。その姿が、アメリーを少しだけ安心させた。

 黒い魔石が普通のものではないと気付いたはいいが、リィとアメリーではどうすればいいか分からない。アリソンという頼りになる男もいないので、二人で悩んでいると、ようやく王女がこの場にいる事に気が付いた騎士隊長グランデルが血相を変えて駆け寄って来た。アメリーは慌てて黒い魔石をリィから奪ってポケットにしまった。

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