第23話
アメリーは自分からは滅多に行かない書庫室へと入り浸り、黒い魔石について調べた。魔石類いの書物は大量にあり、壁一面の本棚から探すのはとても苦労した。三日通いつめて調べたが、黒い魔石についての書物は何処にも無かった。
「はー、疲れたー」
本が積み重なる机に覆いかぶさり、思い切り息を吐く。
アメリーは机に上半身を預けたまま、目の前に転がる黒い魔石を指先で軽くつつく。魔力を微かに感じるので、ただの石ではない事は明白だ。しかし、正体は全く掴めない。この魔石が包まれていた紙の切れ端に書かれた文字も、どこの言語かも分かっていない。
正体不明の魔石なんてアリソンが飛びつきそうな案件だが、そんな彼はオトギとセンカに付きっきりの為、まだ話も出来ていない。――それに。この魔石の存在をオトギに知られてはいけないと勘の鈍いアメリーでも気が付いていた。彼がこの城内にいる限り、油断は出来ない。センカが必死に何かを伝えようとした時のように突然現れるかもしれない。
「アメ。俺の名前が書けるようになった」
黒い魔石の事で頭を悩ませるアメリーの隣で、リィは目を輝かせながら紙を見せる。そこには歪な文字でリィの名前が。幼少期まではググ村にいたとはいえ、文字の読み書きを教わって来なかったリィ。アリソンに教わった事を応用し、アメリーの横で文字の書き方を勉強していたようだ。
無表情ではあるが何処となく嬉しそうなリィに思わずクスリと笑ってしまう。純粋な彼の姿に、少しだけ疲れが癒されたような気がした。
「リィ、大分上手になったね。次は私の名前も書いてよ」
「分かった」
何度も頷き、リィは本で調べながらアメリーの名前を書こうと奮闘する。少し休憩がてらにリィの様子を観察していると、書庫室の扉が遠慮がちに開かれた。現れたのは給仕係のエマだった。
「アメルシア王女! カリバン王国王子と王女がもう帰国されるので、お見送りの準備をお願い致します!」
エマにそう言われて、アメリーは少しだけ表情をしかめたが、最後くらいは顔を出さないといけない。アメリーはすぐに行くと返事をすると、文字を一生懸命書くリィに顔を向けた。
「リィ、ちょっと行ってくるからここで待っていて。もうオトギ王子も私に殺意を向ける事は無いと思うから安心して」
「……うん」
リィはオトギという名前にピクリと反応したが、素直に頷いた。アメリーは彼に微笑みかけると、黒い魔石と紙の切れ端をショートパンツのポケットに突っ込み、書庫室を後にした。
***
アメリーがドレスに着替えて城門に行くと、既に馬車の用意がされていて、オトギとセンカがアリソンに別れの挨拶をしている時だった。アリソンの表情はやややつれているように見える。三日間オトギの相手をして疲れてしまったのだろう。心中で礼を言いながらもアメリーはセンカに視線を送る。彼女は顔を俯かせていて視線が交わる事は無かった。
続いてアリソンに目配せすると、彼は一瞬だけ眉を下げた。どうやらセンカから聞きだす事は出来なかったようだ。そんな中、ただ一人晴れやかな笑顔を浮かべているオトギは、アメリーの姿を見つけると胸に手を当てて大袈裟にお辞儀をする。
「おや、アメルシア王女。お見送りに来てくださったんですね。この三日間お会いできなかったので、先日の事を気に病まれてしまったかと思ったのですが……」
「いえ、気にしていませんので」
オトギは笑みを浮かべたままなので、謝罪は全く心が籠っていない。アメリーは笑みを返しながら気丈に返事をする。オトギの冷たい瞳が脳裏を過ったが、リィの「危険な目に遭わせない」という言葉を胸に秘めたアメリー。もうオトギに怖気づく事は無かった。
「今日はあの片目の騎士はいないのですか?」
「……彼はここへは来ません。それよりも――」
彼の事は他国に知られてはいけない。下手に詮索されないように、アメリーはすぐに違う話題に切り替えた。オトギは不審に思っていないようで、アメリーと少し言葉を交わしてからセンカに振り返る。兄に視線を送られたセンカはビクリと肩を震わせた。
「それではお見送りありがとうございました。センカ、行きましょう」
「あ、センカ……」
「……また、会いましょうアメリー」
オトギに手を引かれ、センカは馬車に乗り込もうとする。アメリーは思わず彼女に声を掛けたが、センカは悲しそうに微笑むと馬車の中へ入ってしまった。続いてオトギも乗り込もうとしたが、ふと思い出したかのようにアリソンに顔を向けた。
「ああ、そうそう。本日もグランデル騎士隊長はおられないのですか?」
「ええ。グランデルは城を留守にしていますが、彼に何か用事がありましたか? 伝言でしたら私が承りますが」
「いえ。騎士隊長はお忙しいと思っただけですよ。それにしても、グルト王国は寛大ですね。あのランディール家の御子息を騎士隊長に任命するのですから」
「……何が言いたいのです?」
「“裏切りの血_”は、彼にも受け継がれているのでは?」
その瞬間――アリソンの身体からバチリ、と何かが弾けるような音が聞こえた。アメリーがハッとして弟を見ると、彼は怒りの形相で身体から雷を放出していた。
「貴様……!」
アリソンはアメリーよりも魔力が強いので、魔石はいらない。だが、まだ歳が若いせいか怒りで力をコントロール出来なくなる時がある。アメリーは慌てて彼の肩を抱き、「アリー、落ち着いて!」と宥める。同じ雷の魔力を持つアメリーならば、少しチクリとはするが雷を放出するアリソンに触る事が出来る。姉の体温に我に返ったアリソンは、すぐに冷静さを取り戻し、雷を放出する事を止めた。
「……失礼、しました」
まだ怒りが収まっていないが、声を押し殺しながらポツリと謝るアリソン。オトギはすぐ側で剣を抜こうとしていた護衛達を手で払う仕草をして追いやってから、口元に笑みを浮かべた。
「おっと失礼。貴方の気分を害するつもりはなかったのですが。……フフ、まだまだ青いですね、アリソン王子。それではこれにて失礼します。またお会いしましょう」
そう早口に言うと、オトギは素早く馬車の中へと入ってしまった。彼が馬車に乗って少しして、馬がゆっくりと動き始めた。馬車はゆっくりと城門を出て行き、アメリーとアリソンは見えなくなるまで見送った。
完全に見えなくなってから、アリソンは苛立ちを足に込めて地面を強く蹴った。
「くそっ、本当に嫌な男だ! 出来れば二度と会いたくない!」
腹の虫が収まらないアリソンは怒りを露わにしてそう吐き捨てるように言った。オトギはマイクル、リィ、グランデルとアリソンが尊敬している人々を貶した。明らかにアリソンの機嫌を損ねようとしていた。一体、どうしてそんな事をするのだろうとアメリーは考えるが、狡猾な男の考えなど分かるはずも無かった。
もし、彼がカリバン国王になってしまったら、グルト王国次期国王アリソンとは絶対にうまくやっていけない。――ナツメがいれば。優しく人の気持ちが汲める男がいれば、この国の先を憂う事はないのに、とアメリーは思う。幼い頃に会ったナツメは兄のような存在で太陽のような笑顔を持つ男だった。
「ナツメは何処に行ったんだろう」
彼の失踪には、意味があるのだろうか。水面下で何か黒いものが蠢いているような気がする。
どうかこの嫌な予感が杞憂であって欲しいと願いながら、アメリーは空を仰いだ。空はアメリーの心を現しているかのように曇天だった。
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