第16話

鍛錬場はグルト城西側にある。床は何も敷いておらず土の地面だ。隅には巻藁がいくつか設置されており、そこで本物の剣を持った騎士達が斬りつけている。少し離れた場所では二人一組になり模造剣を振るっている。

 目の当たりにしたアメリーは思わず「すごい」と呟いてしまう。あまり縁が無かったので来た事の無かった鍛錬場は騎士達の熱気で温度が上昇しているような錯覚を受けた。入口で二人してぼうっと突っ立っていると、騎士達に戦い方を指南していた騎士隊長グランデルがこちらに気付き、歩み寄って来た。

「リィ、来たか。……と、アメルシア王女もいらしたんですね。最近は城下町へ行っていないようで安心しております」

「あんな事があったら流石の私も外出を控えるよ……」

「今日は何故こちらに?」

「リィの練習している姿が見たくて」

「フフ、仲がよろしいようですね。――リィ、早速練習に加わってくれ」

「分かった」

 リィはこくりと頷くと、隅に置かれていた模造剣を一つ取って騎士達の練習の中へと入っていった。

 アメリーはその背中を見送ってから、ふと違和感に気付く。グランデルはリィが自由の身である事を反対していた。それだというのに、今は笑顔で彼を出迎えている。グランデルもリィの人柄に触れて心を許したのだろうか、と思って彼の顔を覗き見る。騎士隊長はリィの背中を見つめている。――その目に、鋭さがあった。

(グランデルは、リィをまだ警戒しているんだ)

 リグルト、アメリー、アリソンが許したからといって、王族を命がけで護る騎士達は警戒を怠ってはならない。彼の目はそう言っているような気がした。

ふとグランデルがアメリーに顔を向けた。先程までリィに向けていた鋭い瞳は何処にも無く、いつもの笑みを浮かべている。

「アメルシア王女。リィが練習を始めるようですよ」

 グランデルにそう言われ、アメリーはハッとしてリィの方を見た。リィは一人の騎士と組み、剣を交わせようとしていた。背筋を伸ばして両手で剣を構える騎士に対し、リィは腰を落とし、模造剣を自分の方へ腕を軽く引いて両手で構える。

 先に動いたのは騎士だった。リィに向かって模造剣を振るう。リィはそれを剣で受け止め、後ろに軽く跳躍する。足が地に着いたと同時に、今度はリィが体勢を低くして騎士の胴を狙う。騎士は一瞬遅れたが、何とかそれを剣で受け止めて押し戻した。リィはその勢いを使い、くるりと一回転して着地した。そして間髪いれずに今度は騎士の首を狙う。

 リィは片目が塞がれているというのに視野が広く、騎士の攻撃を軽くかわしている。眠そうな黒い瞳は騎士の一挙一動を見逃さまいとしきりに動いている。

 騎士は態勢を整えようと一旦距離を取り、リィの胸を斬ろうと、振り被ろうとした時――片目の男は隙を見逃さなかった。リィは目にも止まらぬ速さで騎士の懐に入ると、ガラ空きになった胸を躊躇なく叩いた。ゴツ、と嫌な音が響く。

「あ」

 それと同時に、リィから間の抜けた声が漏れた。騎士は蛙が潰れたような声を上げると、その場に倒れてしまった。周りにいた騎士達が慌てて駆け寄り、倒れた彼の様子を確認する。彼は白目を剥いて気絶してしまっていた。

「……ごめん。距離感を間違えた」

 数人に抱えられて医務室に運ばれる騎士に、リィは申し訳無さそうに呟いた。彼の主な武器は双剣である為、刀身がやや短い。それなので、リィは双剣のつもりで強く胸を突いてしまったようだ。

「……すごい」

 ずっと見ていたアメリーは思わずそう呟いてしまう。リィの動きには隙が全く無かった。普段のぼんやりしている姿とは比べ物にならないくらいの俊敏な動き。魔物を切り裂いた時と同じ。対人が苦手だと言っていたが、全くそうは見えなかった。

「――彼の戦い方は見た事がありますね」

 グランデルが顎に手を添え考える仕草を見せる。アメリーは興奮した様子でグランデルの腕をつついた。

「ねえ、リィすごいでしょ。あの素早さで魔物を圧倒したんだよ」

「ええ。彼の戦闘センスはかなり高いですね。流石魔物の森で生き抜いただけあります。――少々、加減を知らないようですが」

「もしかして、グランデルがリィと戦ったら、リィが勝っちゃうんじゃない?」

 アメリーは軽い気持ちで言ったのだが、グランデルは押し黙ってしまった。グルト王国騎士隊長にそんな事を言っては失礼だったか、と思い恐る恐る彼の顔を見上げてみる。騎士隊長は紫色の瞳を伏せ、何も言わない。その様子に、もしや自信が無いのだろうか、と心配したアメリーだったが――

「なるほど。彼と一戦交えてみるのもいいかもしれませんね。そうすれば思い出すかもしれませんし」

「え」

 顔を上げたグランデルは爽やかな笑顔を浮かべると、模造剣を取りゆっくりとリィに近付いていった。もしや彼の変なスイッチを押してしまっただろうか、とアメリーはひやひやする。しかし、騎士隊長グランデルと魔物の森に住んでいた男リィが戦うなんて滅多に見られない。期待を膨らませ、アメリーは二人を見守る事にした。


***


「リィ、なかなかの腕前だな」

「グラン」

 リィは三文字以上の名前をなかなか覚えられないので、グランデルの事はグランと呼んでいる。グランデルは騎士隊長という地位があるが、アメリーとアリソン同様、愛称で呼ばれる事をそれ程気にしていない。

 リィはグランデルの笑顔を凝視する。あまり人間と関わって来なかったが、魔物の森で死と隣り合わせの生活を送っていたので、相手の動作を観察してしまう癖があるようだ。

「……グラン。俺は別に気にしないから無理に笑顔を見せなくていい」

「はは。もしかして人の心まで読めるのか? 流石得体の知れぬ存在だな、リィ」

 グランデルは否定をせず、笑顔も消さずにそう言う。普段ぼうっとしているリィだが、人の感情の変化は何と無く感じ取れるようだ。グランデルがリィに対し、警戒心を持っていた事は始めから伝わっている。

「どうだ? 私と一戦交えてみないか? お前の実力がどれ程のものなのか実際に確認したい」

 持っていた模造剣をリィに見せながら、グランデルは目を細めて言う。その瞬間、周りにいた騎士達がざわめきだす。無理もない。グルト王国の騎士隊長を務める彼はこの国の一二を争う実力者だ。そんな男が、ここへ来て一週間くらいの男に勝負を申し込んだのだ。リィは少しも驚きもせず、こくりと頷いた。

「……俺は構わない」

「よし、それでは始めよう。リィ、君は双剣使いだったな? 模造剣だとこちらの方が有利か?」

 リィは自分の持っていた模造剣を凝視していたが、何を思ったか、刃先を地面に押し付け、足を使ってボキリと真っ二つに折った。突然の奇行に驚いた表情を浮かべるグランデルと騎士達だったが、次の言葉で彼の行動の意味が分かる。

「これで有利じゃなくなった」

 二つに折れた模造剣をそれぞれ両手に持ち、腰を落とした独特な構え方を見せるリィ。彼の目は相変わらず眠そうだが、虎視眈々と獲物を狙う獣のような荒々しさを感じ、グランデルはゾクリとする。

「……ふふ。お前とは本気で戦えそうだ」

 グランデルは微笑みを消さずに剣を前に構える。周りにいた騎士達は、慌ててその場から離れて遠くから二人を見守る。アメリーも彼らの様子を遠くから見つめていた。グルト王国騎士隊の長であるグランデルと幼少期から魔物の森で魔物達と戦ってきたリィ。一体勝つのはどちらなのか。


 初めに動いたのはリィだった。腰を低くさせたまま地を蹴り、グランデルの懐に入り込み、二つに割れた模造剣の片方を突き出す。グランデルは一歩身を引き、それを剣で弾き返した。弾かれた衝撃を利用し、もう片方の双剣でグランデルの脇腹に刃を突き立てようとするが、すぐに模造剣で防がれる。そのまま振り抜かれ、リィは衝撃を減らそうと後ろへと跳躍する。その隙を突き、グランデルがリィの胸元へ刃を突き出すが、彼はぐにゃりとその場で膝を折り、上半身を逸らした。スレスレの所で、グランデルの剣が空を切る。

「随分と体幹が鍛えられているな」

 グランデルの感嘆の言葉に何も答えず、リィはその格好のまま地面に両手を着き、全体重を乗せてから彼に向け両足で蹴りを放つ。グランデルは反応が遅れたものの、それを剣で防ぎ、何歩か後退した。その間にリィは起き上がり、再度構える。そして間髪いれずにリィはグランデルへ刃を向ける。彼の猛攻を受け流しながら、グランデルは既視感を覚えていた。

 彼の動きは無駄が無く、正面から戦うというより、隙をついて相手の喉元を掻っ捌く動きをする。以前、国王と共に目的地へ向かっていた時に黒いローブを被った男達に囲まれた事があった。

(――あれはエンペスト帝国からの帰り道だ。あの男達は私達が討伐したが何処の者か分からず仕舞だった)

 一人捕虜として捕らえようとしたが、毒薬を飲み自死してしまった。証拠も残さない正体の分からない暗殺集団。もしかしたら、この男はあの黒いローブの男達と関係があるのではないか。

(では、何故彼は――)

「グラン。戦闘中に考え事はしない方が良い」

「!」

 間近に聞こえたリィの声に我に返ったグランデルは、眼前まで迫ってきていた双剣もどきに気付き、身体を逸らして避けたが、一瞬遅かったようで彼の頬に傷が付いてしまう。それを見た周りの騎士達がざわめいた。掠り傷とはいえ彼に傷を付けた者は、現段階ではマイクルしかいないからだ。

「……これは失礼。お前の動きに既視感があってね。リィ、君はその戦い方を誰から教わった?」

「これはエダから教わったものだ」

「エダ? それは一体誰だ? 魔物の森にいたお前とどのような関係だ?」

「エダは俺を幼少期から見ていてくれた男だ。魔物の森の守り神をしている」

「守り神?」

 流石のグランデルも怪訝な表情を見せた。彼も神の類いを信じている男ではないので、リィが突然現実離れした事を述べたので不審に思ったのだ。神などと、人間の生活から離れていた男が口に出す単語ではない。

「ますます不思議な男だ。お前の素性が本当に気になるよ」

「――俺も」

 リィは構え直してから、軽く地を蹴ってグランデルと距離を詰める。グランデルは自分の腰を狙う双剣を防ごうと剣を構え連撃を防いで弾くと、リィが一歩後退し、少しだけ隙が生まれた。グランデルはそれを見逃さず、彼の胸元へ向けて模造剣を突き出した。

 この瞬間、誰もがグランデルの勝ちだと思った。――しかし、彼の剣はリィの胸を突く事は無かった。リィは突然、その場から消えたのだ。

 グランデルは目を見張る。彼の動きが全く見えなかった。リィは瞬時にしてグランデルの死角に入り、攻撃を避けたのだ。普通の人間の動きではない、とグランデルは思う。まるで四足歩行の魔物のように俊敏で、気配を感じさせない。

 リィの姿を見失ったグランデルだが、背後で土の踏む音がかすかに聞こえ、ハッと後ろを振り返る。リィは既にグランデルに向けて双剣を振りかざしていた。一瞬だけ、二人の視線が交錯した。普段は瞼が重そうな目だが、今は集中しているのか、瞼を完全に開きグランデルの目をしっかりと見つめている。

(間に合わな――!)

 グランデルの胸元に、リィの双剣が当たる直前だった。リィは突然動きを止めて、辺りを見回す動作を見せた。

「……エダ?」

 リィは何故かエダの名前を呼んだ。途端に彼の集中力は途切れ、黒い目は瞼で半分覆われる。それを好機と捉えたグランデルは、完全に気の抜けたリィの額向けて模造剣を突き出した。ゴッと嫌な音がして、リィの額に直撃する。

「え」

 まさか全く避けないとは思ってもみなかったグランデルは間の抜けた声を上げてしまう。騎士隊長の攻撃をまともに受けたリィはそのまま後ろへと吹き飛ばされ、地面に何度も転がっていく。回転が止まったが、地面に大の字になったままリィは動かなかった。――彼は、白目を剥いて気絶していた。騎士達は戦いの幕引きに唖然となっていたが、すぐに我に返り、リィを医務室に運ぼうと動き出す。

「り、リィ―――‼」

 王女の悲痛な叫び声が、鍛錬場に響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る