第3話
会計を終え、酒場を後にしたアメリーは先程聞いた二人の男の話を思い返していた。この国の王女であるというのに、その噂は聞いた事が無かったのだ。五百年前の魔獣、リィスクレウムが復活したと知ったら大騒ぎになるはずだ。アメリーが生まれる以前の話とはいえ、魔獣の生まれ変わりと思わしき男は生存している。グルト王国は何故そのような男を野放しにしているのだろうか。
(まあ、所詮噂だから嘘なのかもしれないけれど)
そうは思うが、何とも好奇心を掻き立てられる話だった。魔物の目を持った、殺しても死なない男。そんな物語に登場するような者が本当に存在するのだろか。
――見てみたい。好奇心の塊の王女はひっそりと思う。この街を出て、ググ村という偏狭な地に行ってその男を見たい。しかし、それは容易ではない。
アメリーは遠くに見える塀に目をやった。街を囲むようにして建っている白い塀。ここを出るには一か所しかない扉を使わなければならないのだが、あそこは門番が常駐している為、出る事が出来ない。
街を囲う塀の高さはそれ程高くないので頑張ればよじ登れそうだが、そこには見えない魔法の壁が張ってあり、脱出しようものなら電流を浴びてしまう。グルト王国を統べる王リグルトは雷魔法を得意とする。この場が魔物に襲われずに済むのは、リグルトが雷の防御壁を張って入り込まないようにしているからである。
城を脱出するのが得意なアメリーでさえ、あの門を突破するのは不可能だ。この街を出て外の世界をたくさん見るのが、アメリーの夢である。しかし、父であるリグルトは外へ出る事を許してくれない。アメリーが城を毎日のように抜け出すのは、それの当てつけもある。
「そろそろ会食の時間かな。もう少しブラブラしたら戻ろうかな」
「もうブラブラする時間はありませんよ、アメルシア王女」
上から降ってきた男の声に、アメリーはビクリと肩を跳ね上げて恐る恐る振り返った。そこに立っていたのは、アメリーの頭一つ分背の高い白紫色の短髪の男だった。紫の鎧を纏い、腰に立派な剣を差した男は、グルト王国を護る騎士団の長を務める男であり、アメリーの良く知る人物である。
「ぐ、グランデル……」
男――グランデル=ランディールは腕を組みながらアメリーに笑顔を向けていた。勇ましく吊りあがった眉の間には皺が寄っており、笑顔ではあるが明らかに怒っている。
「本日はカリバン王国との会食があると聞いておりますよね? 今からでも間に合いますから、早く戻りますよ」
「い、嫌だ! 何で私があのいけ好かない王子と食事しなくちゃいけないの! アリーがいるからいいでしょ!」
「そのアリソン様より命令を受けてアメルシア王女を探しに来たんですよ。さあ、行きましょう」
アメリーは嘆息してからグランデルの側に歩み寄ろうとして――直ぐに踵を返して走り出そうとする。城に戻るのは御免だ。だが、相手は騎士隊長。アメリーの行動を予測していたようで、長い腕を伸ばして彼女の肩を掴んだ。
「私から逃げられるとでも? アメルシア王女」
「ううう」
アメリーは城から脱出するのは得意だが、グランデルの目の届く所で逃げ出して成功した事は一度も無い。アメリーが生まれた時から城に仕えているので、幼い頃から知っている彼はやる事全てお見通しだった。
「はあ。グルト王国が平和だといえ、騎士隊長の私が毎回王女の捜索に使わされるとは。勘弁してくださいよ」
「城の中は退屈なの! 少しくらい出掛けたっていいじゃない!」
「少しくらい……。ほぼ毎日抜け出しといて少しくらい、ですか」
もう逃がさないように王女の両肩をガッチリ掴んで、グランデルはわざとらしく嘆いた。王女であるアメリーにこうも軽口を叩けるのは、家族を除けば彼くらいだろう。グランデルが城に仕えたのはアメリーと同じ歳の時だったそうなので、現在の彼の年齢は三十二。若くして騎士隊長に任命されたのは、彼の類い稀なる闘いのセンスがあったからだろう。そして、皆が頭を悩ませる王女の脱走をいち早く捕獲出来るのも、彼の才能の一つだ。
そんな彼に捕まってしまっては、為す術が無い。アメリーは逃走を諦めて素直にグランデルに従って城へと戻る事になった。
***
嫌々城へと戻ると、給仕達が安堵の表情で出迎えてくれた。王女の脱走を目撃してしまったエマは号泣している。彼女には悪い事をした、と思いながらもアメリーが今後脱走しない、という気持ちにはならない。
無事任務を遂行したグランデルは満足げに去って行った。彼の後ろ姿を恨めしげに睨んでから、給仕達に会食用のドレスに着替える為に衣裳部屋へと連れられる。
「アメ――姉上!」
その途中、弟のアリソンに呼び止められた。姉のアメリーと同じ金の髪にエメラルドグリーンの瞳。姉弟で顔立ちが似ており、背も同じくらいで声色もそっくりなので見間違えてしまいそうだが、彼の肌はスノーダウン家特有の雪のような白さなので、小麦色に焼けた姉とはすぐに区別がつく。
心無しか、怒っているように見えるのは気のせいではない。怒りの元凶であるアメリーは少しも反省の色を見せずに弟に向けて笑顔を見せて手を振った。
「アリー」
「今は愛称で呼ばないでください。全く、姉上はどうしてこうも脱走するのか……」
「ずっとお城の中にいるのは退屈でしょ。アリーも一緒に城下町へ行こうよ」
「行きません! 姉上は王族という立場を考えて行動してください! 国民から平民王女などと呼ばれて恥ずかしくないのですか⁉」
「むしろ嬉しいけど」
自由奔放な姉に、アリソンはこめかみに手を当てて盛大な溜め息を吐いた。姉とは対照的に弟のアリソンは生真面目が取り柄で、自分が次期国王になるのを自覚しており、日々鍛錬や勉学に勤しんでいる。
そんな彼が姉の脱走癖を許すはずがなく、アメリーが城へ連れ戻される度に、アリソンは小言を言いに来るのだ。
しかし、今回の小言は一人の従者が小走りでアリソンに近付いて来た為、中断される。
「アリソン様、アメルシア様。先程カリバン王国より伝令が来まして、王子の体調が芳しく無い為、今回の会食は見送って欲しいとの事でした」
直前の連絡にも関わらず、アリソンは嫌な顔一つせず、「そうか、それは心配だな」とだけ言った。それに反して、アメリーは嬉しそうに両手を上げた。
「会食無し? やった!」
「アメリー! じゃなくて、姉上! あちらの王子がご病気だというのにそんな事を言っては――!」
「どうせ仮病でしょ。あの人やりそうな顔しているし」
「全くあなたって人は!」
少しも心配する様子の無い姉に憤慨したアリソンだったが、そんな事はない、と否定しないところを見ると、彼もカリバン国の王子ならやりかねない、と思っているのだろう。伝令を伝えた従者に了承を伝えると、彼はアリソンに「それともう一つ」と話を切り出した。
「王子、よろしいですか。明日のググ村訪問の件なのですが――」
「ググ村?」
最近聞いた村の名前に、アメリーは反応する。それは酒場の男二人が噂していた村だった。
「ああ。ググ村とはグルト王国の北にある小さな村ですよ。父上が不在なので加護石を届けなくてはならないのです。騎士隊長のグランデルも同行してもらう予定です」
加護石とは王族のみ扱える不思議な石だ。本来は魔石と呼ばれている。国によって用途は様々だが、グルト国王リグルトは、城外の町や村を魔物から護れるように、城下町に張られている透明な防御壁のような効果を発揮するよう魔力を与えている。それなので、グルト王国では加護石と呼ばれている。それは長い間効力を持たないので、定期的に加護石を交換しているのだが、今回その任務にアリソンが任命されたというわけだ。
アメリーは目を輝かせる。行きたいと思っていた村に、弟のアリソンが行くという事になっているのだ。これは運命だと胸を弾ませた。
「私も行きたい!」
「は⁉ 行けるわけがないだろう!」
姉の要望は、弟の少々素の出た返答によって一刀両断された。こほん、と一つ咳払いをして冷静さを取り戻したアリソンは続ける。
「姉上は、父上から待機命令が出されています。ググ村の近くには魔物の森があり危険なのです。だから、雷魔法を完璧に会得出来ていない姉上を行かせる事は出来ません」
「私、アリーの出来ない回復魔法使えるけど」
「うるっさいなアメリー! 父さんからそういう命令が出ているんだから、黙って言う事を聞いてよ! 元はと言えばアメリーが城を抜け出してばっかりだから要注意人物扱いされているんだよ! アメリーがググ村に行ったら絶対魔物の森に行くだろう‼」
「そんな事……しないよ」
「とにかく! アメリーは明日外出禁止! いいね!」
「……分かったよ」
アメリーが渋々答えれば、アリソンは長く一呼吸してようやく王子の表情を取り戻し、他所行きの笑みを見せた。
「ありがとうございます、姉上。お土産は買って来ますから、大人しくしていてくださいね」
そう言うと、アリソンは伝令の従者と会話をしながら去って行った。
カリバン国との会食が無くなったので衣裳部屋に行く必要が無くなり、給仕達に自室へと戻るよう促される。アメリーは嘘のように大人しく従った。その様子に給仕達は安堵していたが、彼女が自室に入った後――
「――誰が大人しくするかっての」
そう言って自室の隅にある大きなドレッサーの前に立ち、引き出しに入っている金色の宝石の付いたブレスレットを取り出してアメリーは怪しく笑ったのだった。
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